1-6 オーホホホッ! お嬢さまと呼ばないで

「でっか……」


 首が痛くなるほど見上げなければ視界に収まらない何十階建てかというタワーマンション。

 サクラは常々、のどかな町に似つかわしくない建物だと思っていたが、まさか訪れることになろうとは。

 ここの最上階に星霊戦隊ブレイブレンジャーのイエローが住んでいるらしい。

 シシリィの情報から推察すると、絵に描いたようなお嬢さまであることが予想される。

 社会人男性とどちらがマシだろうかと考え、不毛な勝負だと頭を振った。


「今日はちゃんとアポとったんだし、堂々といくしかないよね」


 サクラはダイチに言われたように計画的な嘘が得意ではない。

 それなら正々堂々、面会の約束を取り付けてから訪問するのが一番である。

 問題はその方法だが、意外なところでサクラとイエローを結びつけるポイントがあった。


(ありがとう、リンネちゃん)


 サクラの友人、黒咲リンネが通う高校の生徒こそ、イエローだったのである。

 イエローに手紙を渡してくれるようにリンネに頼むと、彼女は不審げになりながらも了解してくれた。

 入学したばかりの一年生が、上級生のお嬢さまに手紙を渡すなど、なかなか気の重くなるミッションだ。

 そこは物怖じしないリンネのおかげで無事に手紙が渡り、今日を迎えたというわけだった。


「……憧れのお嬢さまに親愛の手紙を渡したことになっちゃったけど」


 リンネに戦隊のことを話すわけにはいかなかったので、そういうことにした。

 多少の傷と後悔を背負いながらも、サクラは意を決してインターホンを押した。

 しばらく待っていると、若い女性の「入りなさい」という声とともにドアの鍵が開いた。

 玄関をくぐるとすぐにエレベーターというわけではなく、ホテルのフロントのようなフロアになっている。

 サクラは嘘をついたときとは違った緊張が込み上げてきて、おっかなびっくりで足を踏み入れた。


(えー……マンションなのにフロントに人がいる……挨拶したほうがいいのかな)


 イエローの住まいは最上階の一番奥だと聞いていたので、戸惑いながらもエレベーターに向かう。

 すると、乗ろうとした直前にフロントスタッフに声をかけられた。


「失礼します。轟さまのお客様でございますか?」

「は、はい……」

「それではこちらへ。そのエレベーターでは最上階に行けませんので」

「えっ?」

「最上階専用エレベーターがございます」


 何それ、とサクラは脳内で繰り返しながら、流されるままに最上階へと運ばれていった。

 気付くと自然な案内と誘導でイエローの部屋前まで連れられており、スタッフは音もなく立ち去っていた。

 しばらく呆然としていたサクラであったが、ハッとして部屋のチャイムを鳴らした。

 中からコツコツと優雅な足音が聞こえて、ゆっくりとドアが開いた。


「やけに遅かったですわね? 一番上の一番奥なのですから、迷わなかったでしょう?」


 現れたのはお嬢さまであることを疑いようがないほど、お嬢さま然とした女性であった。

 ご実家の資産くらい豊かな金色の髪をハーフアップでまとめ、後ろにおろした髪はお嬢さまの代名詞である縦ロール。

 堂々とした立ち姿に相応しい抜群のスタイルは、サクラが望んでも得られなかった背丈と胸を兼ね備えている。

 自身に満ちた顔つき、優雅な立ち振る舞い、どこをどう切り取っても裕福さが滲み出ている。


「あっ、あ……サクラです……手紙で書いたとおり、お話に……」

「ええ、だから入りなさい?」

「お、お邪魔します!」

「サクラね……わたくしは轟メイカよ」


 轟メイカ。

 彼女が十七歳のうら若き女子高生にしてお嬢さまであり、戦隊のイエローであった。




 室内はサクラの想像よりも落ち着いていて、センス良くまとめられたモダンな雰囲気だった。

 構造上、マンションの一部屋なのだから大規模な改造がされることはないのだが、てっきり壁を取っ払って大広間なんて代物が飛び出すかと思っていた。

 よく考えたらそんな広いだけの部屋使いづらいだけである。

 部屋は落ち着いているが、サクラはまったく落ち着けない。

 そわそわした態度が隠せない中、メイカが静かに淹れてくれる紅茶のカップの柄を意味もなく凝視していた。


「砂糖はいるかしら?」

「だ、大丈夫です」


 楽しそうに紅茶やクッキーを準備するメイカを眺めていたが、ふと気付いた。


「ご自分で準備なさるんですね……?」

「妙な喋り方はしなくていいですわ。

 そうね、同じ階にハウスキーパーはいるけど、これくらいで呼ぶほうが手間ですわ」

「……あっ、わたしが戦隊の話をしに来たから?」

「意外と気遣い屋さんね? 安心なさい、普段から用がなければ一人よ」


 外見のインパクトのわりに庶民派なのかな、とサクラは密かに安堵した。

 思いのほか話しやすい雰囲気に気持ちもほぐれたのか、振舞われた紅茶はとても美味しかった。

 あとはどうやって話を切り出すかだが、スタートを切ったのはメイカのほうだった。


「悪いけど、今日はお茶を楽しむ時間しかありませんの。

 ですから単刀直入に申しますと、戦隊ヒーローにはなれませんわ」

「そんな! どうして!?」

「……お嬢さま、だからですわ」


 妙に含みのある言い方で、紅茶を口に運ぶメイカ。

 サクラははっきりと断られた衝撃でやや気後れしながらたずねた。


「その、それは令嬢の立場とか、お稽古が忙しいってこと?」


 メイカは静かに目を閉じながら、有無を言わせぬ気品でサクラに返答を待たせている。

 やがて、フッと微笑んだかと思うと、重々しく口を開いた。


「少々、家庭事情が複雑なのですわ。

 あまり他人に話すことではないけど、明確な理由もなしに引き下がれないですわよね?」

「……はい」

「それなら今から耳にすることは秘密にすると約束してちょうだい」


 習い事で不参加と聞いたときには正直どうかと思ったが、本当に深い事情を抱えているようだ。

 サクラは安心させるように胸を叩き、はきはきとした声で言った。


「任せてください、秘密は得意です!」

「それ特技ですの!?」


 魔法少女を(両親と友人二人以外に)隠し通した実績をアピールしたつもりだったが、伝わらなかったらしい。

 メイカはサクラの発言をさらっと流して、思い出すようなペースで語りだした。


「まずは、わたくしを普通のお嬢さまと思わないでほしいのですわ」

「自分のことを『わたくし』と言って、『ですわ』って語尾につけてるのに?」

「それは言わないでちょうだい。複雑な事情があると言ったでしょう」

「そもそもお嬢さまの時点で普通じゃない気が……」


 サクラが呟くようにこぼすと、メイカも苦笑しながら同意した。


「轟家の孫娘ですからね。

 お爺さまが築いた轟家の事業はご存知かしら?」

「ごめんなさい、あんまり……」

「いいのよ。たとえば、このマンションはうちのグループが管理してる物件ですの」

「ええっ!?」


 当然のように話しているが、マンションまるまる一つが轟家のものということだ。

 サクラには雲の上の話で想像もつかないが、きっとお金がたくさん動く話なのだろう。


「まぁ、うちのことはいいわね。

 言いたいことは轟家が祖父の代からの資産家であるということですわ。

 これがどういうことかわかるかしら?」

「え? えっと、お年玉がいっぱい貰える?」


 メイカはガクッと音を立てて崩れ落ちた。リアクションの幅が大きい人だ。


「違うわよっ! お母さまの代までは一般家庭、いいえ、むしろ貧乏だったそうですの」

「そうだったんですか?」

「そう、だから幼少時代のお母さまは裕福ではなかったのですわ。

 それゆえにお母さまには過度のお嬢さまコンプレックスがあるの」

「お嬢さまコンプレックス?」


 聞き慣れないワードに思わず繰り返したサクラだったが、恐らく辞書を引いても出てはこないだろう。

 メイカは物憂げに瞳を揺らすと、小さな溜息をついた。


「お母さまはご自身が叶えられなかった純粋なお嬢さまの夢を、わたくしに託すことにしたのですわ」

「……教育ママみたいなことですか?」

「そうなんだけど……まぁ、見てもらったほうが早いかしら」


 なんとも煮え切らない言葉とともにメイカが立ち上がり、自分の後ろ髪にぶら下がる縦ロールに手をやった。



 カチッ、ポロッ。



 次々に引きちぎられる――否、外されていく金髪の縦ロールたちにサクラは声を失った。

 最後の一つを外し終えると、メイカはふうっと一息を入れた。


「この髪型? 縦ロールはお嬢さま的演出の一つですわ。

 というかエクステだから、取れますの」

「付け毛なの!?」

「だって……本当に縦ロールにするなんて恥ずかしいでしょう……」


 エクステで周りからはその髪型だと思われている時点で変わらないと思うが、サクラは言わないことにした。

 メイカは外された縦ロールの一つを手に乗せながら、憂いを帯びた声で話しだした。


「この金髪も染めたものですの。

 お婆さまが亡くなるまでは猛反対してくれたのですが、今はお母さまと、お母さまに甘いお爺さましかいないから」

「お父さんは……?」

「婿養子で会社勤めのお父さまが意見なんて出せると思う?」


 メイカはフッと嘲るように笑い飛ばし、すぐさま諦めるように視線を落とした。


「幼少からお嬢さまの英才教育を施されたわたくしだけど、それは純粋であり、純粋じゃない。

 だって、お母さまの教材はリアルのお嬢さまではなく、アニメやマンガの登場人物ですもの」

「……すっごく、お嬢さまっぽく見えるけどなぁ」

「でも、お母さまの下町根性を確実に引き継いでいる自負がありますわ……」

「そ、そうかな?」

「ええ、たとえばこのクッキーの包装。湿気ないようにクリップで留めてるところとか」

「あっ、本当だ」


 サクラも気付かないレベルでお嬢さまと庶民が混在しているメイカの所作。

 本人すら自分が何者かよくわからない状態に困惑気味の様子である。

 メイカは溜息まじりにサクラへお願いをした。


「わたくしは立場上はお嬢さまだけど、お嬢さまじゃない。

 教養を身につけた一般庶民ですわ。

 だから、できればわたくしをお嬢さまとは呼ばないで」


 確かに複雑な家庭事情だと言わざるを得ず、サクラは頷くことしかできなかった。

 しかし、サクラだって魔法少女を背負って戦隊をしているのだ。

 事情を呑み込んだからといって、それとこれとは話が別である。


「メイカさん。それはわかったけど、戦隊をやれない理由になるんですか?」

「キャラづけはお嬢さまだけで十分……正体が戦隊ヒーローだなんて、属性過多ですわ」

(わたしなんて魔法少女で戦隊ヒーローだよ!)

「……なんか言いたそうな目をしてますわね?」

「ううん! なんでもない、心の声なんて漏れてないよ!」

「必死すぎますわ……まあ、いいでしょう」


 紅茶の最後の一口を飲み、計算されたようなタイミングで話に区切りがついた。

 それだけでもメイカが思慮深く、並々ならぬ努力で優雅なお嬢さま像を作り上げていることを示しているようだった。

 お嬢さまでありながらお嬢さまでない――そこに戦隊イエローという属性を加えることは、繊細な高級フレンチにカレー鍋をぶち込む所業にも思える。


「で、でも……イエローがいないと世界の平和が……」

「ならば他をあたることですわ。

 わたくしはあの猫に選ばれたときから、明確な意思は示していないのですから」

「やっぱりシシリィの勧誘が雑だったんじゃない!

 シシリィ! シシリィ出てきて! 文句、あ、いや、説得手伝って!」

「……あなたも苦労してるわね」


 同情するより戦ってくれ、とも言えず、サクラは応援を呼んだ。

 少々、声が大きくなり始めると、メイカが慌てて制止した。


「もう、落ち着きなさい。もうすぐお母さまが帰ってくるから……」

「ふっふっふっふ……」

「――え、この声は」


 サーッと血の気が引いたように青ざめるメイカの背後の扉が勢いよく開いた。


「話は聞かせてもらったわ!」

「お母さま!?」


 仰天して振り返ったメイカの先には、艶やかな黒髪をドドンと盛り、煌びやかなティアラを乗せて、シックな黒のドレスに身を包んだ女性がいた。

 どこの夜会に参加してきたのかと思うほどのインパクトに、サクラは目がチカチカした。


「びょ、病院の帰りにはまだ早いのではなくて!?」

(病院にその格好で行ったの!?)


 さすがに初対面の知人の母親にツッコミを入れることなどできず、サクラは頑張って台詞を飲み込んだ。

 堂々とした立ち振る舞いは確かにメイカの母親だとわかるが、不自然さが拭えないのは、隠し切れないやりすぎ感のせいだろう。

 メイカの母は鞄から扇子を取り出すと、ビシッとメイカに突きつけた。


「フロントスタッフから、娘が女の子を部屋に招いたと連絡があったのよ。

 あなた、家では息抜きしたいからとお友達を招くことなかったじゃない、パーティ以外で」

「自宅くらいゆっくりさせてちょうだい! というか、それで早く帰ってきたの!?」

「そうよ。お母さん、ウキウキしちゃって。こっそり様子を見るために隠し通路から入ったの」

「いつの間にそんな無駄なものを……!」


 頭を抱えるメイカの姿に、手助けするべきかおろおろするサクラ。

 しかし、どのように助けてあげればいいのかは、まったく見当がつかない。


「娘の会話を盗み聞きする母親がどこにいるのよ!」

「だって心配なのよ。あなた、お友達少ないじゃない。取り巻きはいるけど」

「お嬢さまの体裁が保てなくなるからよ!」

「何言ってるの、あなたはお嬢さまじゃない」

「そう、だけど!」


 姿こそ気品のある二人だが、内容はしょうもない親子喧嘩である。

 サクラも徐々に冷静さを取り戻し、放置するほかないと思い始めた矢先――



「それより戦隊って何よ? 世界の平和って?」



 サクラとメイカに衝撃が走った。聞かれた。知られた。

 硬直するサクラをよそに、メイカは母の突飛な言動に慣れているらしく、どうにか弁解をはかった。


「な、なんでもないですわ。聞き違えたのではなくて?」

「そんなはずないわ。この高感度マイクとイヤホンで聞いたんだもの」

「また無駄な買い物をっ!」

「イエローって言ってたわね。戦隊のイエローとして戦うの? そうなの?」


 メイカが後ずさるも、メイカの母は追撃の口を閉じない。


「いいと思うわ! 戦隊といったらメンバーにお嬢さまがいても不思議じゃないもの!

 夏頃には別荘に皆を招待しましょう! そういうイベント見たことあるわ!」

「お母さま、ちょっと落ち着いて……」

「専属の執事が必要かしら! 老紳士のセバスチャンを雇うべき?

 それとも姉妹同然に育ったメイドを用意しましょうか!?」

「存在しない記憶を用意しないでちょうだい!」

「それからそれから――――あっ」


 ふらっとよろめくメイカの母を、サクラがとっさに支えた。

 そこで気付いたが、メイカの母は体重が軽い。

 派手な髪型と装飾でわかりづらくはなっているが、身体の線が細いのだろう。

 それを知ると、病院に行っていたというのも不穏なものに感じる。


「こ、興奮しすぎたわね……」

「……お母さま、無理しないで」


 メイカとともに母をベッドに寝かせて、一息ついた。

 しかし、サクラはもう戦隊の話をする気にはなれなかった。

 表情から察したのか、メイカは申し訳なさそうな笑みを浮かべた。


「悪かったわね。あと、ありがとう」

「ううん、当然のことをしただけ……だよ」

「……戦隊にはなれないけれど、お友達にはなれそうね」


 そのとき、窓からするりとシシリィが部屋に入ってきた。


「サクラ、呼びましたか?」

「……呼んだけど、もういいよ」

「うん……? イエローの勧誘は成功しましたか?」

「それどころじゃないよ。お母さんに戦隊のことがバレちゃって」

「なんと! まぁ、サイケシスへの恐怖心がなければ不都合はありませんが、星の記憶を利用して巻き戻すことは可能です」


 メイカの母はとなりの部屋で眠っている。

 記憶を巻き戻さなくともメイカの戦隊活動を反対はしないだろうが、サイケシスと戦うことまでは考えが及んでなさそうだった。

 何より非常識な世界を理由もなく共有する必要はない。

 とはいえ、この場で決める権利を持つとすればメイカである。


「メイカさん、どうする?」

「お願い。お母さまに負担をかけたくないわ」


 シシリィが処置を施すあいだ、手持ち無沙汰になったサクラはメイカにたずねた。


「どうして、こんな大変な思いをしてまで、お嬢さまをやっているの?」

「……はじめは親の言うことだから、子どもとして素直に聞いていただけでしたけど。

 それでも幼心に、喜ぶ母の顔が見たくてやっていたのだと思いますわ」

「それは今でも?」


 メイカは少しだけ考える素振りを見せて、微笑みながら首を傾げた。


「……どうかしら。

 でも、期待してくれるなら応えたい……そんな気持ちわかる?」


 サクラにとって魔法少女がそれである。

 サクラはどちらも頑張ることを選んだが、メイカはお嬢さまを優先することを選んだのだ。

 気持ちは痛いほどわかる。その選択を否定することは、サクラにはできなかった。


「とにかく、わたくしはこの濃いキャラのお母さまのもとで、お嬢さまをやるだけで精一杯なの。

 これ以上、人生に余計な味付けをされたら胃もたれどころか、ゲボ吐いてしまいますわ」

「メイカさん、言葉遣いが……」

「あら、ごめんなさい。オホホホホ」


 サクラ、二連敗。

 果たしてブルーの説得はうまくいくのか。

 なんとなく始める前から気持ちがブルーになるサクラであった。

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