11章 「i」で溢れた②

 あんなに苦悩していたのに、一瞬で世界が変わってしまった。

 「瀬名灯乃は輝けるよ」と先輩は私を信じた。


 演じ続ける瀬名灯乃でいい。それが私。

 偽物でも、紛いものでも、これが私。


 私は今のままで間違っていない。何百年も生きている吸血鬼が肯定するのだ。私より、『自分らしさ』を見失い続けた女性が言うのだ。

 ……事実は変わらない。瀬菜がいない世界は変わらない。

 それでも、瀬名灯乃はここにいる。


「よく頑張ったな、偉いよ」


 優しく撫でられ、また涙が溢れた。

 



 × × ×


 一度溢れた涙はなかなか止まらず、30分ほどは泣いていたと思う。その間、ミラさんはずっと私の手を握ってくれていた。もたらされた温かさが、私の心の中のわだかまりを溶かして、さらに水が溢れた。


 そして、今。


「…………」

「…………」

 

 私たちは海沿いの夜景スポットから去り、ミラさんの家に帰ろうと歩いていた。

 演じていたこと、私の過去、私の想いを全部吐露し、泣き顔まで晒した。

 ……正直言って、一緒に帰るのが恥ずかしかった。

 「時間ずらして帰りましょう!」と提案したが、ミラさんに却下された。

 でも、恥ずかしいのは私だけじゃない。

 ミラさんだって恥ずかしいのだ。


「……何か喋ってくださいよ」

「…………すまん、何か照れくさい」

 

 私のことを「好き」と言い、そしてき、き、き……す……までしてきたのだ。あの時は堂々と私の唇を奪ったくせに、今は恥ずかしがって私のことを正面から見られくなっている。時折チラチラと私の横顔を伺い、挙動不審である。

 可愛いな、と思う。何百年も生きているのに、見た目通りな女の子だ。


「……手、繋いでください」


 返事はなかったが、私の手を掴んだ。ミラさんの小さな手は温かった。人と、吸血鬼でも変わらない。私と同じだ。


「瀬名は夢が叶うまで演じるつもりだったのか」

「そうですね。そのつもりでした。夢が叶って、セナになれたら私は私に戻ろうと思っていました」

「声優を辞めるってことか」

「……はい」


 夢が叶ったら心残りがなくなり、瀬菜にやっとサヨナラが言えると思った。

 『セナ』という名前を曲や、物語に残して、永遠にしたなら、もう私は演じる必要はなくなる。私は、私として生きられると思っていた。


「今は違います。ずっと演じつづけます。夢はありますが、終わりはありません」


 変わらない、私はこのまま歩き続けていく。

 瀬名灯乃として生きていく。


「それに私、わかっていたんですよね」

「うん?」

「瀬名灯乃でいることが好きなんです。声優として演技するのが好きなんです。この声は瀬菜ではなく、私のものです。そんな私の声をミラさんは良いと言ってくれました」


 演じていても、この声は私の声だ。

 瀬菜を演じるといいながら、いつの間にか自分が1番楽しんでいた。声優という仕事の面白さを知ってしまった。もっともっと上手くなりたいと思う。歌も、ダンスもたくさん練習したい。そう思いたいほどに、私はこの仕事に熱中していた。


「声だけじゃない、腕もだ」

「もうっ……! でもそうなんですよね。ミラさんは最初から瀬名灯乃を、私を噛んでいた。私を肯定してくれていたんです」


 初めからミラさんは、『私』を見てくれていたんだ。

 演じる私に可能性を感じ、従属にして、腕を噛んだ。


「そっか」

「そうです」


 言葉短く、先輩は答えた。

 でも、その横顔は嬉しそうで、私も嬉しくなったのであった。




 × × ×


 年末年始になるも、2月のお披露目イベントに向けてレッスンの毎日だった。

 今日は歌の練習。エスノピカの3人で合わせて歌う特訓だ。


 あの日、瀬名灯乃のままでいいとミラさんに言われ、私の気持ちは切り替わった。やる気で満ち溢れ、声優の仕事に、声優グループの活動に全力で打ち込んでいた。


 ……のだが、


「そっと私に口づけっ……」


 歌詞の『口づけ』につい反応してしまい、詰まった。

 口づけ。キス。ミラさんの唇の感触。


「うわわああ!!?!」

「ど、どうしたの瀬名!?」

「瀬名、ご乱心」


 練習中に突然、声を上げる私に、エスノピカのメンバーの砂羽と鈴が戸惑う。


「な、何なのこの曲!?」

「なにって新曲の1つだよ?」

「どうした?」

「どうしたも、何もありませんよ!? 『そっと私に口づけて』って歌詞、破廉恥すぎませんか!?」

「キスが破廉恥? よく歌詞で見るけどな」

「瀬名はエッチ」

「私はエッチじゃありません!!」


 はぁはぁ。落ち着け、私。

 すーはー。深呼吸をして、落ち着く。

 歌詞。これは歌詞なんだ。実際にするわけじゃない。


「……ごめん。取り乱した。続きやろう!」

「うん、じゃあ続きから音楽流すね」


 私の歌唱部分は終わり、次は砂羽のパートだ。


「Kiss me~♪」


 Kiss. キス、キス、キス。

 あの時の光景が思い浮かぶ。夜景の綺麗な場所で、私は吸血鬼に触れられた。忘れられない。初めてを、忘れるわけがない。


「き、Kiss me.って、キスしてってこと!? やっぱこの歌って破廉恥じゃん!」

「瀬名、落ち着いて!」

「瀬名、おかしい」


 ヤバい。顔が真っ赤だ。思い出してしまった。

 忘れようと思っても、鮮明に覚えている。時間が経った今の方が、感覚が確かだ。

 私がこんな調子なので、いったん音楽は止まり、休憩となった。


「二人とも、ごめん。ちょっとね……」

「瀬名……、彼氏でもできたの?」

「え!?」


 心配そうな顔で、砂羽に尋ねられる。


「だって、さっきからキスとか、口づけに反応しまくりだしさ……」

「え、あの、その」

「ごめん、言いづらいよね。でも、これからグループ活動あるからあまり影響ないようにね」

「スキャンダル、御法度」

「違う、違う! 彼氏なんかいない! できたことない!!」


 彼氏ができたから、キス、口づけに過剰に反応したと思われた。盛大な勘違いなので、必死に否定する。


「そこまで言わなくて、大丈夫だよ?」

「瀬名、顔真っ赤」

「ぁぁ……」


 逃げ出したくなるけど、レッスンから逃げるわけにはいかない。

 なんとか誤解を解こうと思うも、うまい言葉が見つからない。悩んでいたら、砂羽が問いかけてきた。


「もしかして、彼氏じゃなくて…………彼女?」

「へ?」

「ごめん、それこそ言いづらいよね! でも、僕は否定しないよ! いいと思う! 応援するから!」

「瀬名、百合」

「ち、ちち、違うーーー!」

「瀬名、必死」


 砂羽には応援されるし、鈴には揶揄われた。

 砂羽は何故かテンション上がっているし、何で鈴は「うんうん」と腕を組んで納得しているの!?


「瀬名の彼女さんもきっとイベントに来てくれるよね。僕たちで、素敵なライブをお届けしようね!」

「おー」

「だ、だから違うって!!」


 否定しても、ニヤニヤされるだけで訂正を受け入れてくれなかった。


 彼女じゃないし! ミラさんは彼女じゃない。

 ……あれ? でも私は告白されたし、キスされた。

 私は何も言ってないけど、そのまま同棲は続いている。

 …………彼女なの? へへへ。ち、違うし! 

 でもミラさんの私への好意は本物で、ついつい顔がほころんでしまう。うへへ。


「いい笑顔」

「彼女さんは素敵な人なんだね~」

「次はちゃんと歌うから、曲よろしくお願いします!!」


 そして、今度は噛まずも、「そっと口づけ~」のところは小声で言う私がいた。


 これは瀬菜ではない。全くもって演じられてない。

 私だ。偽物でも何でもなく、私だ。

 こんな表情は、瀬名灯乃しかできない。

 こんな戸惑いは、瀬名灯乃しか生まれない。


 ……こんなんで、私はお披露目でこの曲を歌えるのだろうか。

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