吸血鬼な先輩声優さんが、私の腕を噛んできます

結城十維

第1部 吸血鬼とのハジマリ。

1章 引退って聞いていません!

1章 引退って聞いていません!①

「あと1年で、私は声優引退するから」

「えっ……?」


 私、瀬名灯乃せな ひのはこの4月に事務所に所属になった、ピチピチの新人声優です。

 事務所で憧れの先輩に出会い、興奮のあまり、

「会いたかったです。憧れです! 最推しです。握手してください! あのサインも貰っちゃってもいいですか……?」

 とオタク丸出しになりました。

 私もプロになったのだから、こういうファン的なことをしては駄目! とは思うのですが、あのミラさんが目の前なんですよ? 大好きを抑えることなんて到底無理な話です。

 でも先輩は快く受け入れてくれて、「あ~声優になって良かった!」とこの時初めて感激したんです。

 で、そこから先輩のとんでも発言により、ジェットコースターもびっくりの急降下ですよ。

 『引退』。

 先輩があと1年で引退?


「ミラさん、今年で引退ってどういうことですか……?」


 千夜せんやミラ。

 この声優事務所で1番人気の声優さんであり、歌手としても大活躍しています。

 いや、この事務所どころの話ではありません。

 25歳と20代半ばの年齢にして、ベテランのような風格があり、声優ランキングがあったとしたらトップ5に確実に入る超人気声優なんです。

 大きくない身長ですが、その銀色の髪の存在感に加え、独特な声はこの世のものとは思えないほどに神秘的です。

 深みがあって低く、ややかすれているのに、透明感もあり、他の人と混ざっても『千夜ミラ』だとすぐにわかる個性的な声。そして吐息がめっちゃエっ、扇情的なんです!

 唯一無二の声は、クールなキャラ、お姫様なキャラ、時にはヤンデレキャラで十二分に発揮されてきました。

 

 そして、歌。

 声優界の三大歌姫の一人と言われるほどに、彼女の歌声は人々を魅了し、惹きつけます。彼女の不思議な声に心が癒され、気づいたら泣いている。けど落ち込むような涙じゃなくて、また頑張ろうと思える。ミラさんはそんな女神とでも呼べる存在なんです。

 そんな千夜ミラ先輩に憧れ、そして夢を実現するために私はこの事務所に入りました。

 

 なのに、引退って聞いてない!


「言葉通りだよ。期間限定の声優活動だったんだ。なあそうだろ、恵実」


 話を振られ、社長の片山恵実かたやま えみさんが罰の悪そうな顔をします。


「残念ながらその通りなの、瀬名せなさん。ミラの気まぐれじゃなくて、前から決まっていたの」

「ああ、5年間の声優活動という約束で、今年がだ」

「そんなこと聞いていませんーーーー!」

「……といわれてもな。事務所内でも知っているのはごく少数だ」


 一般の人は当然知りません。

 人気絶頂の千夜ミラが引退する。

 そんな重大事件を知っていたら、日本中のオタクたちが大騒ぎで、大混乱です。


「辞めないでください! やっと先輩に会えたのに、これから仕事を一緒にできると思ったのに、ひどすぎます!」

「ごめんなー。でもこればっかりはどうしようもなくてな」

「私、ミラさんの引退、絶対に認めませんから!!」

 

 今にして思えば、

 これが私の始まりで、

 ミラ先輩との長くて短い時間の始まりだったのです。

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