Day.8 金木犀

 眠るのが上手いのはカミノの長所だ。

 考えすぎて眠れなくなることも稀にあるが、基本的に寝付きはいいしどこでも寝られる。単純に身体が保たないせいもある。火の属性を持つ人間はエネルギー消費が大きいのだ。

 ともあれ考えるのを放棄してとっととベッドに入ったカミノは、翌日夜明けとともに起き出すと家事を片っ端からこなしていった。普段見過ごしてしまうような場所も暴き立てて磨き、なんとなく処分を保留していたものも思いきって切り捨てた。

 潮が引いてすっかり干上がった心のなかに生まれた火の車が、小さいながらも猛烈な勢いで回っていた。途中で起き出してきた夫は、いつもと違うカミノの様子に怯えながら仕事に出ていく。その様子を醒めた目で見送りながら、プレート山盛りにした冷凍ワッフルとベーコンエッグ、アイスクリームを黙々と平らげた。燃料を得て大きく育った火はカミノを内側から温め、またすこし眠って日が高くなる頃には、ずいぶん気持ちが凪いですっきりしていた。

 空はいくらか雲の出た、穏やかな秋晴れ。石畳で跳ねるスーツケースをなんとかなだめつつ公園へ向かう。ベンチではあの老人がうとうとと日向ぼっこをしていた。挨拶代わりに手にした紙袋を差し出す。中身は街で買い求めたスモークハムのバゲットサンドだ。

「賄賂です」

 老人はかははと快活に笑って受け取る。仕草はやはり若者のそれ、ステラは喜んでサンドイッチにかじりついた。

「ルミナも授業終わりで来ますよ。もうそろそろじゃないかな」

「じゃあ、お隣いいですか」

 ベンチ横の街灯はマーガレットの茂みに変わっており、足元近くをふわりと照らしている。カミノがじっと見つめていると、ステラが飄々と「まえのものはあなたに渡してしまいましたからね」と笑う。あの薔薇はいま、カミノの部屋で逆さにして吊るされている。

 腰を落ち着けて持参のコーヒーを啜りながら、並んで川の流れを眺めた。水鳥の声、紙袋を丸める音、吠える犬と負けじと吠える人の声。老人の姿をまとっているからかステラの気配はやわらかく、会話はまったく弾まなかったが気まずくもならない。まだ結婚する前の夫とこんな感じだったことをふと思い出して、鼻の奥がじんとした。

「ああっ、ステラずるい」

「ああ、おつかれ」

 ルミナが現れると空気が一気に華やぐ。アランニットにタータンチェックのスカートというクラシックな装いのルミナは、口元を尖らせて二人の間に割り込んだ。

「ルミナ狭い」

「私のほうが先にお友達になったんですう」

 ステラと一緒にいるルミナはすっかり妹の顔で、カミノはその発見を口には出さずに一人で楽しんだ。

 門番のステラが道をあけ、ルミナとカミノは連れ立って踏み込む。横倒しにしたスーツケースがわずかに引っかかったせいで、二人は向こう側にごろりと転がりでた。

 ぐるんと回ってふらつく頭に、冴え冴えとした甘い香りがなだれこむ。

「わあ、ルミナとカミノだ」

「よく会うねえ、ひまなの?」

「ひまじゃないよ!」

 言い返すルミナに小さな人たちはくすくす笑った。かれらは片口のざるを手にしていて、地面に散らばった鮮やかな橙色をすくい上げては集めている。

「金木犀だ」

「そうだよ、収穫でおおいそがしだよ」

「へえ」

「黄昏の国の、貴重な資源のひとつなんです」

 ルミナが説明をはさんだ。彼女のハシバミ色の瞳が輝く。

「強大な力がないかわりに、身近にあるものの価値を見つけて力を引き出すことが上手なので、金木犀だけじゃなくて、波の音や月の光まで、一番すてきなときに採集して形にするの」

 枝ぶりの大きく張り出した金木犀の木が空いっぱいに広がって、その下でたくさんの人たちが働いていた。木登りの得意な者は上に登って枝を揺らすが、みな小柄なため苦労しているようす。

「手伝おうか」

「えっ、いいんですか」

 カミノが立ち上がると、周りからぴいと叫び声が上がった。無理もない、かれらの身長はひときわ背の高いカミノの膝くらいまでしかないのだ。こぼれた花を踏まないように用心して足を運び、すぐ上の枝にとりつく。

「気をつけてくださいね」

「大丈夫」

 カミノの体重がかかると枝はぎしりとしなり、それだけでばらばらと花弁が落ちる。その様子はまるで火花が散るようだ。

「どんどんいくよ」

「わああ、まってまって」

 わざと枝を揺らしながら枝から枝へ。腕を伸ばし、足を開き、体を大きく使うのは気持ちがいい。大きな声を出すのも久しぶり、誰の頭にも降り注いだ花がのっかって、上から見下ろすととても愉快だった。

 夢中で木登りに励んでいると、ルミナからストップがかかった。

「もう、かごもざるもいっぱいですー」

「あらら」

 枝の丸みに身体をするする滑らせて、カミノは危なげなく樹から降りていく。大きな樹とはいえ樹冠が低い位置にあるぶん足がかりには事欠かなかった。

 地面に足をついた途端、下にいた収穫班から拍手が起こった。面食らってできそこないの笑顔を浮かべるカミノに、紅葉色のズボンをサスペンダーで吊った娘がひとり、後ろ手を組んで進み出る。

「ちょっと顔かしてください」

 思わず救いを求めるカミノに、ルミナは可笑しそうに頷く。カミノはそうっと頭を下げた。

 娘は小さな人差し指を収穫かごに差し入れてから、カミノの頭のまわりをひとめぐりさせた。花弁がするすると列をなして引き出され、あっというまに黄金の冠ができあがる。

「てつだってくれた、お礼です」

 そう言ってはにかむと、ひょこひょことあとずさりして集団のなかに紛れてしまった。

「……ありがとう」

「みてみて」

 ルミナがさっとモバイルフォンの画面を差し出す。そこに写った自分の姿に、カミノは思わずつぶやいた。

「なんだか王子様みたいね」

「ちがうよ、お姫様だよ!」

 誰かが甲高く叫ぶ。たちまちそうだそうだと抗議の声が上がって、なぜかカミノが怒られている図になった。

「姫、木登りお上手でしたよ」

「とんだおてんば姫だこと」

「なら、もう少し姫らしいかんじで撮ります?」

 ルミナのこの提案にみんなが写りたがったので、実際の写真は姫というより引率の教師のようになったものの、これはこれで嬉しい。

 朝から働き詰めで疲れているはずなのに、体はずいぶん軽い。それがカミノには不思議と心地よかった。

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