Day.2 屋上

 コーヒースタンド、パブ、ファストフード店……通りからそれとなく覗きながら、しばらく居座れそうな店を探す。

 夜になると人のいる場所がくっきりと浮かび上がって、目につくものもずいぶん変わる。明暗のコントラストに四角く絞られた光のなかはちょっとした結界で、ひとりで割り込むにはいくらかパワーが必要だ。

 店の明かりにはじき出されるようにして、カミノはある古びたビルの前までやってきた。迷っているふりをしているだけで、結局行きたいところは決まっていたのである。

 建物は五階建て。エレベーターは故障中で、すべらかに角の取れた木の手すりを撫でながら階段をのぼる。このレトロさが気に入っている……などと言っていられたのも三階までで、ぐるぐるのぼっているうちに目が回ってきた。目的地は最上階のさらに上、無理はせずに休憩をはさむ。

 這々の体でたどりついた屋上階、はずむ息が吸い込むのはスパイスまじりの香ばしさ。ほどよく薄暗い店内には吊り下げランプがぽつぽつと明かりを落としていて、中央にでんと構えた細長い大テーブルと、壁沿いはしっとりした艶のソファ席。そして、あえて低くおさえた大庇の先に、同じく照明を控えたささやかな空中庭園が見通せる。

 場所柄か、この店にはおしゃべりよりも一人でゆっくり過ごすために訪れる客が多い。価格帯はすこしお高めだが飲み物も食事も相応に美味しく、またそのおかげで客の年齢層も比較的高い。常連のお歴々と比べれば、カミノなどは小娘に等しい。素っ気ないようでいて気配りの行き届いた空間がまた心地よくて、つい長居してしまう店のひとつだった。

 なかなか息の整わないまま顔を上げた先で、覚えのある飴色のブロンドが揺れる。カウンターにいたのは顔なじみの若いスタッフで、カミノは軽く会釈しながら注文に向かった。

「こんばんは。めずらしいですね、夜にいらっしゃるの」

「ああ、ちょっといろいろあって。うーんと」

「あっ、いま店内満席なんで、テラスになっちゃいますけど大丈夫ですか?」

「……寒くなければ」

「ヒーターはついてます」

「よかった」

 今日は何にしよう。メニューをたどるがどうしても目がすべる。首元がちくちくすると思ったらうっすら汗をかいていて、たまらずストールの結び目を緩めた。寒いところから急に暖かいところに入ったから。階段を一気に上ってきたから。でも、私ったらそんなに体力なかったかしら。

 おかしいな、と目を瞬くこと数度、ぐらりと傾いだカミノにさっと腕がのびた。

「大丈夫ですか? うわ、顔まっさおですよ」

 その声を遠くに聴きながら、カミノは世界の色が反転していくのをどこか醒めた気持ちで見ている。暗く閉じていく意識のかなたで、金色の輝きが散った。

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