第13話 ホワイト企業顧問

 風薫る五月の半ば、志津は白山とともに再びカッパ達の住む町を訪れていた。少しぶりに顔を合わせる三太郎は、今日は黒のパーカーを身にまとい、沢山のキュウリが入った竹カゴを携えていた。

 町で白山達を待っていたのは三太郎だけではなかった。カッパ達の雇い主たる水神も、あのカイゼル髭の中年男性の姿に化けて、千曲ちくま工務店の社屋を約束通りの時間に出てきた。


 町を流れる川のほとり、普通の人間に入り込めないように不思議な力で隠されたカッパ達の集団墓地の一角に、目新しい石が置かれている。三太郎がその前に膝をつき、キュウリのカゴをそっとそこに置いた。


「イッちゃん……今日は、ここに来たっすよ」


 ぐすっと泣きながら三太郎は手を合わせた。水神も彼のすぐそばに立って手を合わせている。この墓の主を死に追いやった張本人である彼が、どこまで本気で改心して墓碑の前に立っているのかは志津にはわからないが、裁判所で交わした和解の内容をたがえずにここに出てきただけでも上出来と思わなければならないだろう。

 志津も一歩引いた位置で手を合わせて黙祷した。顔を見たこともない一平太というカッパの破顔はがん一笑いっしょうするさまが、なぜかまぶたの裏に浮かぶようだった。


「……安らかに眠りたまえ」


 白山が小さな声で言った。志津が横目にちらりと見た彼の顔は、人間のブラック企業犠牲者の墓前に手を合わせるときと寸分変わらない真剣な色をしていた。



「白山センセのおかげで、アイツの無念を晴らすことができたっす。本当に、何とお礼を言っていいか……」


 墓参りの後、三太郎は白山に向かって深々と頭を下げた。首をひょこりと前に突き出す、カッパ特有の格好で。


「礼には及ばんよ。ブラック企業の撲滅は俺自身の願いであり使命でもあるからな。君の勇気ある行動によって、あの社長は少なくとも見た目上は改心したのだ。どこまで本気かはわからんが……なに、、心配することはない」


 白山はそう言って、離れた場所で水煙草たばこを吹かしている水神のほうを軽く指差した。


「成功報酬の請求書は後ほど郵送しよう。さあ、君は今日一日を有益に過ごしたまえ。今日は君が当然の権利として勝ち取った休暇なのだから」

「……はいっす。またゴロちゃんも連れてお礼に伺うっす。ありがとうございました」


 独特のお辞儀を再度繰り返し、青年は道を渡って町へと消えていった。人間の姿に化けたその背中は、人間と同じ権利を勝ち得た誇りと嬉しさに輝いているように見えた。


「――さて」


 白山が水神の方へと歩み寄っていく。三太郎は休みだが、あいにく、彼と志津はまだ仕事中だ。


水上みなかみ社長。早速、御社に戻って、労使協定の雛形を作りましょうかな」

「ふん。取れるところで金を取りに来おって。あまり人間の理屈ばかりをこねると承知せんぞ」


 口先では渋々ながらといった口調を作りながらも、志津の目には、今やこの水神が本気で白山をうとんじているようには映らなかった。

 ホワイトウルフ法律事務所の主要事業の一つに「ホワイト企業顧問」がある。ブラック企業の被害者達からほとんど報酬を取らなくても事務所の経営が成り立っているのは、ホワイトになりたい企業からたっぷり顧問料を頂いているからなのだ。

 三太郎の件での和解の後、白山は、千曲ちくま工務店のホワイト化のために顧問を引き受けることを水神に提案し、合意していたのである。


「まあ、せいぜい教えてもらおうじゃないか。人間の掟に触れずに利益を出す方法とやらを」

「大船に乗ったつもりでいたまえ。法曹界のホワイトウルフと呼ばれるこの俺が、御社を人間の会社にも優るホワイト企業に生まれ変わらせてしんぜよう」


 白山の言葉にフンと息を鳴らし、水神は社用車に乗り込んだ。彼と一緒に工務店の社屋に向かうべく、白山も愛車の運転席にひらりと滑り込む。

 その助手席に乗り、よく晴れた空を仰いで、志津はほっと息を吐いた。


「白山さん。変われるんですかね、妖怪の世界は」

「俺が変えてみせるとも。しっかり小説のネタにしたまえ、シーズー君」

「いやいや、こんなの書いたら編集さんに怒られますよ」

「どうだかな。昨今のキャラ文芸の流行りは妖怪物だろう。手堅い人気を誇る職業物と組み合わせれば、WEB小説界を席巻できるのではないかね?」

「……さあ……」


 窓枠に頬杖をついた志津の溜息を排気音エグゾーストノートが飲み込み、純白のクーペが水神の車を追って走り出す。


 もうすぐ梅雨が始まる。カッパ達の季節だ。成功報酬として送られてくるキュウリの調理法のことに思いを巡らせながら、志津は先祖代々の水神とカッパが守り続けてきた川の流れをぼんやりと眺めていた。


(第1話・カッパ編 完)

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