第11話 漫画みたいな裁判
民事裁判の弁論というのは本来、びっくりするほど淡白で単調なものである。双方の弁護士が朗々と主張を読み上げて
ホワイトウルフ法律事務所に勤めるようになって、初めて民事の法廷を傍聴した時には、志津も想像上の「裁判」のイメージと現実とのそのギャップに肝を潰したものだったが……。
「だから、ひとたび工事が始まれば手を止められんことも多いのが我々の仕事なんだ。従業員にホイホイと休まれてたまるか!」
「そういう場合は
「だーかーら、そんなもの守ってたら経営は成り立たないんだよ!」
「労働法というのは事業者が守るべき最低基準だ。それを守ったら経営が破綻するというなら、それは貴兄に経営の才覚が無いということであろう」
「若造が偉そうな口を叩きおって!」
ばん、と被告席の机を叩いて水神が
「あー……。被告は少し落ち着いてください」
ダンダンとハンマーで音を立て、裁判官が言った。……さては、あのハンマー、実はやってみたかったのか?
「被告、いいですか。原告代理人の言う通り、労働基準法というのは全ての事業者が経営の前提としなければならない基本なんです。せめてそれに沿った主張をしてもらわなければ、裁判所の心証は悪くなりますよ」
「裁判所の心証? なんだそれは。あんたがどう思うかということか?」
「んー、まあ、そうですが」
「あんたは元人間だろう。人間側の肩を持つのは当たり前だわな。いいのか、こんな不公平な裁判で」
「……いや、原告はあくまでカッパの三太郎さんであって、白山弁護士は代理人に過ぎないので、人間の肩を持つも何もないんですがね」
裁判官がはぁっと溜息を
「いいですか、事実を確認しますよ。妖怪最高裁の判決が出たのが2月のことですが、被告はそれから現在に至るまで、原告をはじめ全ての従業員に有給休暇を与えておらず、特別措置としての換価支給も行っていない。そういうことでよろしいですね?」
「ふん。馬鹿馬鹿しい。なぜ働きもせん日に代わりのキュウリなど与えねばならんのだ。しかもそれを二年前の分まで
ふんぞり返って述べる水神の言葉に、原告席の三太郎のみならず、五郎丸をはじめとする傍聴席のカッパ達もぐぬぬと拳を握っているのがわかった。
(何よ、あの態度。よくあんなんで神なんて名乗ってるものだわ……)
水神の発言内容をノートに書き留めながら、志津も憤りに手を震わせていた。ここまで物分かりの悪い経営者など、確かに人間界でもなかなかいるものではない。
人間の経営者ならまだ少しは法律に慣れているので、形だけでも従業員が有給消化しているように見せかけたり色々と汚い手を講じてくるものだが、そこは流石に人間界の法律に馴染みのない水神ということなのだろう。妖怪最高裁の判決とやらを真っ向から無視して、人間のルールは守らないと言い切っているのだ。
しかし、そんな主張が裁判所で通じるわけもなく。
「あなたが納得できなくても、法律で決まっていることには従ってもらわないといかんのです」
ほとんど呆れ顔で、裁判官は水神に向かってそう言うのだった。
「あなたの会社は今や労働基準法のもとにあるわけですから、従業員には法定の有給休暇を与えなければなりません。妖怪最高裁の決定では、過去二年分の有給を現に休暇として取得させることが業務上困難な場合は、
幽霊裁判官の説明を聞きながら、これはもはや裁判というよりお説教に近いなと志津は思った。このまま判決まで行けば、原告の完全勝訴となることは間違いないだろう。
(ふぅん……有給の買い取りが移行措置として特別に認められてるわけね……)
今の裁判官の話を聞いて、白山が今回の
志津がこれまでの経験で学んだ限りでは、いわゆる有給の買い取りというのは、法定の日数を超えて有給が付与されている場合や、従業員が退職してしまって有給消化の可能性がない場合など、限られた状況においてしか認められなかったはずだ。しかし、妖怪最高裁は、人間界の労働法を妖怪に適用するにあたり、現実的に可能なラインでの特別措置を設けたらしい。いきなり過去二年分もの有給休暇を与えるのが現実的に無理なら、互いの合意の上でそれを給与に換えて支給しても構わないというわけだ。
「義務、義務って……あんたら、寄ってたかってワシの会社を潰すつもりなのか!」
「ほう。たかがこれだけのキュウリをカッパ達に支給したら御社は潰れるのかね?」
しばらく裁判官に任せきりだった白山が、そこで思い出したように口を開いた。その眼光がぎらりと鋭く水神を睨みつけている。
「……いや、その程度で直ちに潰れはしないが、そういうことではないわ! 法律だの権利だの義務だのと、これからも好き勝手に言われ続けてはたまらんという意味だ!」
「好き勝手に言いなど誰もせんさ。三太郎氏は法に定められた権利をただ適切に行使せんとしているだけに過ぎない。……亡くなった一平太氏とやらもな」
彼が一平太の名前を出した瞬間、ゲロ、と大きく鳴いて、原告席の三太郎が目元を手で覆った。
「裁判官。宜しいですかな」
「どうぞ」
「ここまでの発言から明らかなように、被告の法
「……そのようですな」
白山の言葉に、裁判官は深く頷く。
「では、さっさと
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