本編

ミレイ×ユイ ノクターン的習作(掲載にあたり性描写省略)

 沖縄行きの飛行機は乱気流で遅れに遅れ、結依ゆいがマネージャーと一緒にタラップを踏んだのは夜九時を過ぎてからのことだった。


「ショウコさん、早く早くっ。早くホテル行かなきゃっ」


 びゅうびゅうと吹き付ける生ぬるい風の中、結依はマネージャーのレディススーツの袖を引っ張り、散歩の犬のような勢いで歩みを急かす。はいはい、と結依を宥めるように答えながら、彼女はそれでも早足で付き合ってくれた。七歳の頃から四年にわたって結依の面倒を見てくれている彼女には、きっと今の結依の気持ちもわかってくれているのだろう。

 幸い、事務所が奮発してビジネスクラスに乗せてくれていたため、荷物受取バゲッジクレームの待ち時間はかなり短いはずだった。それでも、その僅かな時間さえももどかしく、結依はハラハラする気持ちで携帯ミラホの電源を入れ、ラインの画面をタップしていた。

 到着が遅れたのを謝らなければ――と思っていた結依の目に、まるで先回りしたかのように、からのメッセージが飛び込んでくる。


 ――飛行機遅れてるみたいだね。だいじょうぶ?

 ――ユイちゃんと会えるの、起きて待ってるからね。


 可愛い自撮りアイコンから発せられる吹き出しの文字に、幼い結依の心はふっと緩んだ。


「ミレイちゃん……」


 早く会いたい。その思いを指先に込めて、結依は空港への到着を告げるメッセージを入力フリックする。

 結依より五つ歳上の十六歳。秋葉原エイトミリオンの次世代エースとして華々しく活躍するミレイとは、結依はもう半年近くも直接会えていない。結依自身も子役アイドルとしてテレビのお仕事に大忙しで、とてもオフの日を合わせて遊びに行くような余裕はなかった。

 今夜は、たまたまお互いのスケジュールがここ沖縄で重なり、幸運にも二人が同じホテルに泊まることになる、神様がくれたようなチャンスの夜だったのだ。

 それなのに……。天候を担当するほうの神様は、決して結依に優しくはなかったらしい。


「早く、早くっ」


 受け取った赤のトランクをからからと引いて、結依はマネージャーと一緒にタクシー乗り場へ急いだ。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「いい? ユイちゃん。ミレイちゃんとお話するのはいいけど、ちゃんと十二時までにはお部屋に戻って寝るのよ。あちらもお仕事で来てるんだから、迷惑かけちゃダメよ」

「はぁいっ」


 マネージャーが自分の部屋に引っ込んでしまうのを見届けるやいなや、結依はミレイからラインで聞いた部屋を目指した。夏の暑さと空港での小走りで、結依の纏う薄桃色のワンピースの胸元は汗に濡れてしまっていたが、この身をきれいにすることよりも、今は一秒でも早くミレイに会いたいという思いのほうが強かった。

 エレベーターを降り、結依はドキドキの高まる胸を片手で押さえながらその部屋の前に立つ。ノックをしようとしたとき、静かに扉が引かれ、ミレイの笑顔が結依の視界に飛び込んできた。


「ひゃっ。ミレイちゃんっ」

「ふふ。びっくりした?」


 くりくりした瞳に愛嬌のある唇、ふわりと肩にかかる艷やかな黒髪。水色の薄手のワンピースを着たミレイが、きらきらした笑顔で結依を室内へ手招きする。


「ユイちゃんをおどかそうと思って、ずっとドアの前で気配をうかがってたんだー」

「……もう。ホントにびっくりしたっ」


 バクバクと鳴る胸に両手を重ね、結依はミレイの部屋に足を踏み入れる。キングサイズのベッドが一つ置かれたダブルルームだった。ミレイはそのベッドにぽふっと腰を下ろし、移動お疲れさま、と結依に優しい言葉をかけてくれた。

 高校生のお姉さんになっても、天下の秋葉原エイトミリオンのエースになっても、昔と変わらないミレイの笑顔がそこにある。それが結依は嬉しくて、思わずベッドに座るミレイに抱きついていた。もう、そんな低学年みたいな振る舞いをして許される年齢じゃないのはわかっていたが、ミレイの前ではいつまでも子供でいたい自分がいた。


「甘えんぼだなあ、ユイちゃんは。よしよし」


 ミレイは嫌がる様子もなく結依の頭を撫でてくれた。服越しに伝わるミレイの身体の温かさ、髪を撫でてくれるミレイの指の優しさが、日々のレッスンやお仕事に疲れた結依の心にじんわりと沁み込んでくる。


「ミレイちゃん――」


 ずっと会えなくて寂しかった、と言おうとして結依が顔を上げたとき、ミレイとまっすぐ目が合った。その瞬間、言おうとしていた言葉は結依の頭から吹き飛んでしまった。


「……かわいい」


 劇場でサイリウムを振るファンのように、結依は思わずその言葉を呟いていた。半年ぶりに直に会うミレイの姿は、なんだかもう、その言葉以外に形容が見つからないくらい、きらきらと輝いていた。

 いつもテレビやグラビアでミレイの姿は見ているのに。それでも、直接こうして向かい合うと、画面や写真越しとは比べ物にならない輝きが彼女には宿っている。これが本物のアイドルなんだ、と、思い知らされずにはいられないくらいに。


「そうだよー、超絶カワイイ雪平ゆきひらミレイちゃんだよー。でも、ユイちゃんも――」


 さっと結依の髪をかきあげて、ミレイがその顔を覗き込んでくる。


「可愛くなった。秋葉原エイトミリオンの子達に負けないくらいに」

「ホント!? 嬉しいっ」

「さすが将来のライバルだね。わたしも負けてられないなっ」


 そう言うと、ミレイは優しく結依の身体を起こし、ふとベッドから立ち上がった。フロントに繋がる電話機に手を伸ばし、結依の大好きな先輩は問うてくる。


「ユイちゃん、何飲みたい? コーラ? アイスティー? コーヒーは飲めないよね」

「えっ。いいのっ」


 少し考えてから、結依はミレイにアイスティーをお願いした。フロントに電話するミレイの姿を横目に、結依は室内に視線を巡らせ、サイドテーブルにポットとコーヒーカップが置いてあるのに気付いた。

 あれはミレイが自分のために頼んだ飲み物だろう。結依には飲めないコーヒー。昔はミレイだって飲めなかったはずなのに――。


「……ミレイちゃんはもう、大人なんだよね」

「んー? ユイちゃんよりはねー」


 受話器を置き、ミレイがふふっと微笑む。結依は少しだけ寂しかった。五つも歳が離れているのだから当たり前のことなのだけど、それでも、自分を置いてミレイがどんどん大人の世界に行ってしまうのが。

 明日のミレイのお仕事だって、ここ沖縄のビーチでグラビアの撮影だと聞いている。十六歳の高校生になったミレイは、この春から水着グラビアを解禁され、たくさんの男性ファンを喜ばせているようだった。

 秋葉原エイトミリオンのアイドルとして、それが大事な役目の一つなのは結依にだってわかっている。わかっているが……。


「どうしたの? ユイちゃん」

「……うぅん。その……ミレイちゃんの、明日のお仕事……」


 結依がもごもごと言いかけたところで、丁寧なノックの音が部屋に響いた。はーい、と返事をして、ミレイが飲み物を受け取りに行く。綺麗な銀のトレイに載ったアイスティーは、よく冷えてとても美味しそうだった。


「はい、ユイちゃん。冷たいよー」

「ありがと」


 ミレイはストローを挿してグラスを渡してくれた。アイスティーの冷たさは、緊張と高揚に渇いた結依の喉を潤してくれたが、同時に紅茶特有の僅かな苦味が幼い結依の味覚を揺さぶった。

 ミレイがサイドテーブルに置いたトレイの上には、ミルクとガムシロップも載っている。結依の視線がそっちに向いているのに気付いたのか、チェアに座ったミレイはいたずらっぽく笑って、ガムシロップを一つ指でつまみあげた。


「お子様の味にする?」

「……いいもん」


 つい先程は、ミレイの前では子供でいたいと思った結依だったが――

 今は、いつまでも子供だと思われたくないという真逆の思いが結依の中に浮かんでいた。だって、ミレイが大人の世界に足を踏み入れているのに、自分だけいつまでも子供のままでは、どんどん二人の距離は遠ざかってしまう。


「いいんだ。ユイちゃんも大人になりたいかー、ふふっ」


 ミレイは自分のカップにコーヒーを注ぐと、美味しそうに口をつけていた。熱いカップに息を吹きかける仕草までもが可愛くて、ずるいな、と結依は思う。本当に自分は、こんなミレイに追いつけるのだろうか――。


「あ、ユイちゃん。さっき何か言おうとしてた?」

「えっ。あっ……あのね」


 冷たいグラスを持ち替えながら、結依はミレイの目から胸元あたりに視線をずらし、おずおずと言葉を並べる。


「最近のミレイちゃん、グラビアにいっぱい出てて……可愛くてドキドキするけど、でも、ちょっと辛いの」

「つらい?」

「うん……だって」


 白い肌を惜しげもなく露出したミレイの水着グラビアは、確かに神々しいくらい美しいのだけど、でも。

 それを多くの男性ファン達がどのように使のか、十一歳の結依だっていくらなんでもそのくらいは知っている。


「男の人達が……ミレイちゃんのこと、そういう目で見てるのは……わたし、どうしても」

「……ユイちゃんは可愛いね」


 えっ、と結依が顔を上げると、ミレイはどこか切なさの混じったような目で、じっと優しく結依を見ていた。


「そんな汚れてないユイちゃんが……わたしは、すっごく好き」


 ミレイの言ったという言葉が、とくん、と結依の胸を打つ。

 その言葉に複数の意味があることだって、結依はもうとっくに知っていて。

 きっと、ミレイが自分に言ってくれる「好き」は、子犬が好きとかミッキーが好きとか、そういう種類の「好き」に過ぎなくて。


「……ミレイちゃんは」

「んー?」

「ミレイちゃんは、その……」


 ミレイには、もっと違う種類の「好き」を、言い合う相手がいるのだろうか。


「大人だったら……いるの? その……お付き合いしてる人、とか……」


 一言一言を発するたびに、自分の心にいばらが食い込むような痛みを結依は感じていた。

 女の子は、大人になったら男の人とお付き合いする。物語の世界の女の子達もそうだし、芸能界にいる大人達だって、表に出したり出さなかったりは人それぞれだけど、みんなそういう相手がいることを結依は知っている。

 だったら、考えたくないけど、ミレイにもきっと――。

 結依がおずおずと上目遣いにミレイを見ると、彼女はふふっと笑って、こともなげに答えた。


「いないよぉ。アイドルは恋愛禁止だもん」

「あっ」


 そうだった――。ミレイの笑顔を前に、自分の聞いてしまったことが色々な意味で恥ずかしくて、結依はかあっと熱くなる頬を両手で覆う。

 そうしていると、ミレイはすっと立って、ベッドの結依のすぐ横に腰を下ろし――


「でも、ユイちゃんのことは好きだよ」

「えっ?」


 アイスティーのグラスを持ったままの結依の両手を、そっと柔らかな両手で包み込んできた。

 何度も繋いだことのある手なのに、なぜだか、ミレイの手のふわりとした感触に結依はどきりとして。


「ミレイちゃん――」

「ユイちゃんは、わたしのこと好き?」

「え……そんな……」


 制御できず高鳴る心臓の鼓動が、張り裂けそうな勢いで結依の全身を震わせる。

 ミレイのきらきらした瞳に自分の顔が映っている。もちろん、結依はミレイのことは大好きだった。だけど――今、ミレイが聞いてきたのは、そういう「好き」のことではなくて。

 アイドルが禁止されているほうの「好き」のことなんだと、なぜか、結依にははっきりと感じられた。


「飲んでいい?」


 結依の返事を待つことなく、ミレイはそっと結依の両手をグラスごと持ち上げると、指の端ですいっとストローの向きを変えて――

 赤く濡れた唇を、ためらいなくストローに添わせた。

 両手をミレイに握られた結依には、早鐘のように脈打つ胸を押さえることもできず。

 こくん、と、結依の目の前で、ミレイの喉が冷たいアイスティーを飲み下す。


「だめ、ミレイちゃん――」


 それ以上続けたら、何か、おかしなことになってしまうような気がする。

 そう頭のどこかではわかっていながらも。口ではダメと言っていながらも。

 ミレイとそのままおかしなことになってしまいたがっている自分を、結依は否定することができなかった。


「っ……」


 ミレイがストローから唇を離し、何かを促すように、優しく妖しい目で結依を見ている。

 結依はごくんと自分の唾を飲んで、そして――

 それだけでは埋まらない渇きを癒やすために――そのためだと自分に言い訳して、ミレイが離したばかりのストローに、そっと、口元を近づけた。

 こんなことをしたらダメだと、頭のどこかでもう一人の自分が呼びかけてくるが――

 そんな、いるかいないかもわからない幻の自分の声に耳を傾けるよりも、今目の前にいるミレイとを交わすことのほうが、今の結依にはずっと大事なことのように思えた。

 ストローに唇を添え、すっとアイスティーを吸い上げる。ミレイの味が、匂いが、冷たい液体を通じて伝わってくるような気がした。

 こくん、と、自分の喉がミレイと同じ音を鳴らすのが、なんだかすごく恥ずかしい。


「間接キス……しちゃったね」


 結依の両手を両手で包んだまま、ささやくようにミレイが言う。

 たちまち顔が熱くなって、結依はストローから口を離した。ミレイが自然にすっと片手を離して、結依の手からグラスを受け取り、ベッドのよそに置いた。

 結依と片手を握り合ったまま、ミレイが空いた片手を結依の頭に回してくる。結依の髪を優しく撫ぜて、ミレイは結依の耳元に口を近付け、そして言った。


「ユイちゃんも大人になる?」

「え……?」


 ミレイの息が耳にかかる。そのくすぐったさに結依が小さく身悶えたとき、続けざまの一言が再び優しく鼓膜を震わせた。


「ほんとのキス……したい?」







(性描写 約4,000字省略)







「……ユイちゃん、かわいい」


 雪崩のような気持ちよさの波が去った後、余韻の中ではぁはぁと息をつく結依の意識に、ふわりと雪のようにミレイの声が降ってくる。

 ミレイの笑顔はすぐ目の前にあった。大好きなミレイがそばにいることがただ嬉しくて、結依は自分からミレイと唇を重ねていた。

 優しく優しく舌を絡ませながら、ミレイの手が結依の頭を撫でてくれる。


「ユイちゃんは、もう子供じゃないよ」

「……うん」


 本当はしちゃいけないことをしてしまったのだという罪悪感が、溶けきった思考のどこかで首をもたげてくる。だけど、そんな普通じゃない関係にミレイとなれた嬉しさの方が、今の結依にはずっとずっと大きかった。

 大好きな瞳と、大好きな匂いと、大好きな味と、大好きな肌と……そして大好きな声が、結依の五感を包んでいて。

 この世に幸せというものがあるなら、今がそうなのかもしれないと思った。

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