其の一 信長、異世界に立つ

 幾百度目かの本能寺の炎に身を焼かれ、わしの意識は永劫の闇の中へ落ちていった。願わくば来世では平凡な庶民に生まれ変わり、「織田信長」の宿業から逃れたいものだが、それが叶わぬ夢であることはわしも身に沁みて知っておる。わしはきっと、この宇宙が終わるその時まで信長であり続けねばならぬのだろう。



「――ちょっと、おじさん。ちょっと」



 あれからどれほどの時が経ったのか分からぬ。わしが闇の中で最初に聞いたのは女性にょしょうの声であった。女性にょしょうというより、これは年端も行かぬ女子おなごの声であろう。


「起きてってば。もうー、困っちゃったなあ。おーじーさーんー」


 やわい手がわしの両肩を掴んで乱暴に揺さぶるのがわかる。なるほど、わしはもう次の世界に転生しておるようじゃな。口調から察するに、この声の主は二十一世紀あたりの頭の軽い「ぎゃる」であろう。わしくらいになると声を聞いただけでわかるのよ。色々な時代の色々な未来人をいやというほど見てきたからの。

 この女子おなごがわしを「おじさん」と呼んだことからして、わしは今回、元のわしの姿のままでどこかの世界に飛ばされたらしいの。なるほどなるほど、今回はその「ぱたーん」か。わけのわからぬ美少年の姿で転生させられるよりは幾分良いわ。挙句、女性にょしょうの姿にでもされた日には目も当てられぬ。


「……ひょっとして、死んじゃってるの? 困るよぉ、アナタと一緒に世界を救えって言われたんだからぁー」


 女子おなごが泣きそうな声でわしの身体を揺さぶっておる。やれやれ、そろそろ起きてやるか。


「そんなに揺さぶらんでも起きておるわ」


 声帯を震わせ声を発すると同時に、わしはぱちりと目を開けた。眼前に映るのは、困り顔からたちまち驚きの表情に転じる色の白い女子おなごの姿。その小柄な肩の向こうに広がるのは、嫌味なほど青く晴れ渡った空と、一面の大草原であった。

 なるほど、三文さんもん「うぇぶ小説」の異世界転移物でよく見る光景じゃて。どうせこの後、適当な「もんすたー」か何かが出てきて、わしかこの女子おなごが「ちーと」を初めて使って腕試しをするのじゃろう。知っておる、知っておる。未来人どもが散々その手の筋書きの物語をわしに見せつけてきたからの。


「あっ。……よ、よかったぁ」


 わしが生きておることに安堵したのか、女子おなごは白い「せーらー」の胸元を押さえてほっと息をついた。

 この格好は日本ひのもとの女子高校生の制服であるな。腰巻きはお決まりの紺色の「ぷりーつすかーと」。年の頃なら十六、七であろうに、小生意気にも「せみろんぐ」の髪を明るいだいだい色に染めておる。だが、やはりわしの睨んだ通り、顔黒がんぐろだの山姥やまんばだのが幅を利かせておった平成初期の「ぎゃる」ではなく、平成二十年代あたりのごく標準的な女子高校生であるようだ。

 もっとも、知性の欠片も感じさせぬこの軽薄な口調と、周囲に迎合して染めただけかのような髪色、「すかーと」の丈の短さなどを見るに、その澄ました顔の裏には如何なる「びっち」の本性が潜んでおるのか分かったものではないが。


「……何ジロジロ見てるのよ、おじさん」

「おぬしに興味などない。わしとおぬしの意識が入れ替わる『ぱたーん』でなくて良かったわ、と、胸を撫で下ろしておったところじゃ」

「えっ、ムネをナデオロスとか、ちょっと、何、キモいんですけど」


 参ったな。日本ひのもとの言葉をまともに知らぬ「ぱたーん」か……。浅薄な見た目に反して実は中身は秀才、という「ぎゃっぷ」を持たせた「きゃら付け」をこの女子おなごに期待したわしがウツケだったようじゃ。


「おぬし、わしが誰だか知っておろうの?」


 日本ひのもとの出身らしき未来人と行き合った時には、わしは取り敢えずこう尋ねてみることにしておる。まともな教養があればわしを知らぬ筈が無いからの。南蛮胴なんばんどう甲冑かっちゅう緋色ひいろの「まんと」、この特徴的な「すたいる」の武将を見て織田信長の名が出てこぬようでは、よほどのウツケか、歴史の改変された「ぱられる」の日本ひのもとの出身か、どちらかであろうよ。


「えっ、ハイハイハイ、知ってる知ってる! なんか昔のエライ人でしょ。えっと、たぶん戦国時代とかの人。あ、わかった、宮本みやもと武蔵むさし!」

「かすりもせんわ、たわけ!」


 わしの怒声に女子おなごがびくりと震えて肩を縮こまらせる。幾度もの転生を経てきたわしであるが、やれやれ、今回はこのようなウツケを相手にせねばならんとは。己の居城で未来の料理人やら未来の医者やらを囲っておった方が幾分楽であったわ。


「えっと、じゃあ……緋村ひむら剣心けんしん?」

「それは架空の人物であろうが。もうよい、もうよい」


 女子おなごが無い知恵を振り絞って回答を続けようとするのを片手で遮り、わしは「まんと」をひるがえして告げる。


「わしは、織田弾正忠だんじょうのちゅう平朝臣たいらのあそん信長……おぬしらが呼ぶところのじゃ」


 その名を聞いた瞬間、女子おなごの目も流石に驚愕の色に染まった。

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