第13話 異世界の騎士、宿泊を決める。

「――それで、アルスターさんは、これからどうするんですか?」


 昼食を終え、トモエの淹れた本日二度目の珈琲コーヒーを賞味していたとき、彼女はふいに私の目を見て問うてきた。

 いずれ話がそこに及ぶであろうことは私も勘付いてはいた。私とて、いつまでも彼女の店で油を売っている訳にはいかず、夜になればどこかに一夜の宿を求めねばならない。

 いや、一夜どころの話ではない。仮に我が世界の魔術師達が最速で召喚魔法の準備に取り掛かってくれたとしても、再び次元の渦が開いて私があちらに戻れるのは、最短で三十日後であろう。それまでの間、私はこの煤煙ばいえんに満ちた世界で生き延びねばならないのだ。


「とりあえず、今夜はウチに泊まっていったらどうです? アルスターさん、外は苦手でしょ?」


 私が結論を導き出すよりも先に、トモエは私の目をじっと見たまま言ってきた。


「む……」


 実際のところ、今更考えてみるまでもなく、今夜はここで世話になるしかなさそうなのである。

 トモエに上着とマントを預けた手前、その修繕が終わるまでは彼女に別れを告げることはできない。しかし、この建物の外は、地平線の彼方まで見渡す限りの巨大建造物の森。私が落ち着いて野宿できるような場所があるようには思えない。これほどの規模の街であるから、宿屋は当然あるのであろうが、この世界の通貨も常識も持ち合わせぬ私が街で寝床を求めることは現実的ではない。

 かくなる上は、恥を忍んでトモエに一宿いっしゅくを乞い、装束の修繕が出来上がるまでの間に身の振り方を考えるしかあるまい。


「……其方そなたが構わんのであれば、世話になろう」

「やったぁ」


 トモエは何故か嬉しそうに握り拳を作った。何を喜んでいるのかは知らぬが、私を逗留とうりゅうさせることは彼女にとっても悪しからぬ出来事のようである。


「でも、お誘いしておいてナンですけど、大丈夫ですか? アルスターさんのお家と比べたら、ここ、すっごく狭いと思いますけど……」

「なに、騎士団の遠征で、農家の馬小屋を間借りして眠ったことを思えば――」

「え、ひどい! さすがに馬小屋よりはマトモな環境ですよ! お風呂もありますし!」

「庶民の家に風呂だと!?」


 つくづくこの世界の文明には驚かされる。それが本当ならば、確かに馬小屋よりはましな一夜になりそうであると思った。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 昼食ののち、トモエと私は階下の店舗に戻ったが、結局、その日はもう新たな客が店をおとなうことはなかった。

 トモエが客から預かった仕立ての仕事を黙々とこなす横で、私はソファに座り、彼女が勧める「テレビ」なるものを延々見ていた。スマートフォンと同じく、人が動いたり喋ったりする映像を映す道具であるのだが、なるほど、これならば、文字を知らずとも音声を通じて情報を得ることができる。この社会の識字率がどの程度かは知らぬが、高等教育を受けられぬ庶民にとっては、このテレビというのは実に有益な道具であるに違いない。


「……それにしても、この世界では本当に誰もがスーツを着ておるのだな」

「そうですよ? だからそう言ってるじゃないですか」


 夕刻、黒猫に待望の餌をやっているトモエに私が言うと、彼女は自分の手柄のように小さく胸を張ってきた。


「全世界で通じる正装ですからねー。立場のある人がおおやけの場に出るときは、普通はスーツですよ」

「ふむ……」


 そのときテレビに映っていたのは、この国の政治を司る議会の様子であった。何やら大学を作るや作らぬやという話が延々繰り広げられているが、次から次へと画面に映る議員達の装いは皆、色は違えど、判で押したように上下揃いのスーツである。

 流石に上質の生地きじが使われていることは画面越しにも見て取れるが、どうにも、私の目には、大の男が上から下まで同じ色柄で揃えているという光景は落ち着かぬのだ。


「だが、何故なにゆえ、この世界では斯様かような装いが正装として発展したのだ? かつては我が世界のように上下の生地や色柄を違える装いが普通であったと、其方そなたは申しておったな」

「んー。えっとねー、そのへんを語りだすと、ほんとに長くなるんですけどね。今でも、本当にかしこまった場ではまた違った服装があるんですよ。お昼の礼装はモーニングコートっていうんですけど、これは確かに上下で違う生地ですよね。あ、でも、夜に着る燕尾服テイルコートとかタキシードスモーキングは、もうジャケットとトラウザースが同じ生地になってるからー……」


 トモエは指を唇に当て、何やら思い出しながら語ってくれたが、最後には「礼服は流石に専門外なんです」と言って照れ隠しのように小さく舌を出した。


「……まあ、我が目には貧相に映るこの装いにも、それなりに歴史があるということか」

「あっ。アルスターさん、なんか、ちょっとスーツに理解示してくれました? じゃあズボンも揃えちゃいましょうよっ」

「それとこれとは話が別だ」


 トモエが目を輝かせて傍に寄ってくるのを私は片手で遮った。異文化の装いに理解を示すのと、自分がそれを着るのとはまた別の話である。上着に関しては修繕が終わるまで妥協するしかないが、なればこそズボンまで手放す訳には行かぬ。


「……頑固だなぁ、もう」


 深皿の餌をむさぼり食う黒猫を優しく撫でてから、トモエは再び作業机へと向かった。正規の顧客から預かった仕事が優先ということなのか、彼女は未だ私の服の修繕に手を付ける様子はない。


「あ、ひょっとして、なかなかアルスターさんの服に手を付けないから心配してます? 大丈夫ですよ、お仕事外のことは夜中にやりますからー」

「そうか。賢明だな」


 この世界の科学文明が誇る照明器具は、夜でも炎より明るく部屋を照らすのであろう。夜でも昼と変わらぬ明るさを得られるとなれば、人が一日に働く時間の長さもまた我が世界とは違うのかもしれぬ。

 私はトモエの仕事の邪魔をせぬよう、また黙ってテレビを見ることに集中した。リモコンという道具を使って、画面に映る内容を切り替えられることも知った。議会の様子や、その日に起こった出来事を報道するものだけではなく、子供と一緒に歌を歌うものや、一分にも満たぬ短時間で商品の宣伝を伝えるもの、さらには人の姿を映すかわりに着彩ちゃくさいされた絵が動いて喋るものもあった。

 現実に居る人間の姿を映すだけならまだ分からぬでもないが、絵が動いて喋るなどまるで魔法ではないか。これほどの人智を超えたわざを数多く持ちながら、異世界転移を非現実的な現象と捉えるとは、まことに不思議な民族である。


「ふう。お仕事タイム、しゅーりょー」


 客の上着を縫い上げてトモエが大きく伸びをする頃には、店の外の街路にはすっかり夜のとばりが下りていた。それにも関わらず、やはり店の中は昼間のように明るいままだった。

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