2 伸ばして
「どこだここ……? 右直事故に巻き込まれてぐちゃぐちゃになったはずじゃ……」
迫り来るトラックを目の前に瞼を閉じて、開けたら知らないところにいた。目の前には黒い布を全身に纏った女性。
こちらをひたすら不思議そうに見つめているが俺も全く同じ気持ちだ……。というかさっき神様ですかとか聞かれたっけ。
とんでもねえ、あたしゃフリーターだよ。
「あ……と」
考えてても始まらない。とりあえずは現状把握だ。
「ここってどこなんでしょう……? 気がついたらここにいて……。あ、もしあなたの持っている敷地内とかだったらごめんなさい、すぐに出ていきます」
なんか周り遺跡みたいな感じだし、私有地じゃなくても国有の土地には違いない。出ていかないとめんどくさいことになるだろう。
警察沙汰にでもなれば最悪バイト先をクビになるかもしれない。
「……ここはウライ神聖帝国の聖山、オクライ山の頂上です。私ではなく、私のお父様の治める土地になります」
鈴が転がるような綺麗な声で女性は告げた。その中には何か気品のようなものを感じる。
というよりウライ神聖帝国? 聞いたことも無い国名だ。
「えと、それってどこに位置してる国なんですか?」
「どこ……というのは」
「アジアとかヨーロッパとか……そういう大きな括りでいいんですけど」
「あじ……?」
女性は???という顔でこちらを見つめている。どういうこっちゃ。
「こんなこと言っても信じて貰えないと思うんですけど、僕はさっきまで日本にいたんです。で、交通事故に巻き込まれたと思った次の瞬間にはここにいて……」
何言ってんだ俺。漫画みたいなこと言って。まるでこれじゃあ異世界転移ものだ。
「…………」
いやいやいやいや。
頭によぎったものをどこかへ追いやる。ありえない、そんな非現実的なこと。
「そうなのですね……。あなたの住む、にほん? という場所のことは分かりませんがどこかから転移してこられたということでしょう」
「え? 転移?」
嫌な汗が背中を伝う。
そんなまさか、な。
「変なことをお聞きして申し訳ありません。転移っていうのはまさか……魔法とかそういう話じゃないですよね?」
少し首を傾げた女性は動揺する俺に、
「転移と言えば転移魔法を使うか、聖具を使うしかありませんよ」
そう告げた。
強い眩暈に襲われてふらつく。
ありえないありえないありえない。トラックに突っ込まれて異世界転生なんてそんなベタな手法、今どき"な〇う"でも避けられ始めてるというのに。
「夢……なわけないよな……」
だってこんなに夜風が気持ちいい。
ふと見上げると満天の星が俺を見降ろしていた。
「はは……星空、あったな」
手の平をかざし、その指の間から零れる星明かりを全身に受ける。
歌の中では色々歌っているけれど、本当にこうやって自然を感じたのっていつぶりだろうか。
「あの……先程の歌はあなたが?」
「歌?」
「はい、あなたが転移してこられる前に歌が聴こえたんです。あるはずの星空を見上げるばかり……と」
「あぁ……聴かれてましたか」
トラックに追突される前に呟いていたものだろう。歌を聴かせるのが生業ではあるが、鼻歌を聴かれるのは少し照れくさい。
「あの歌、とっても素敵でした。その後にあなたが光とともに現れて、本当に私の祈りが通じたのかと……」
「はは、ありがとうございます。えっと、祈りっていうのは……?」
そう訊ねると女性はビクッと肩を震わせた。
「あっごめんなさい! 言いたくないことだったらいいんです」
慌てて両手を振って否定する。
女性のプライベートにズカズカ踏み込むもんじゃない。距離感間違えた。
「い、いえ……そういう訳じゃ無いんです! あの、あなたはウライを知らないんですよね……?」
「はい……そして多分この世界のことを何も知りません」
「そうですか……」
少し思案したようだったがやがてこちらを真っ直ぐ見つめ、被っていたフードを取った。
「っ……!」
長く美しい髪が月明かり星明かりを反射しながらキラキラと零れていく。
その下から美しい目をした少女が現れた。
「申し遅れました。私はウライ神聖帝国の皇女、アイラ・エルスタインと申します」
服の裾をちょんとつまみ優雅にお辞儀する少女に呆気に取られる。
え? 皇女? 皇女って皇帝の娘ってことじゃあ……。
「こ、皇女殿下であられましたか……御無礼をお許しください……」
大慌てで今まで口にしたことの無いような最大限の敬語を放ちながら深々と頭を下げる。
なんか失礼なこと言ってなかったよな俺?
「いえ、良いのです。実質的にはもう私は皇女では無いようなものですから」
その何もかもを諦めてしまったような哀しい声に釣られて顔を上げる。こちらを見るアイラ皇女の顔には深い哀の色が浮かんでいた。
そんな顔ですら息を飲むほど美しい。
「こんな踏み込んだことを聞いていいのか分かりませんが、今の言葉は一体……?」
ウライ神聖帝国の皇女と名乗った彼女は、実質的にもう皇女では無いと言った。
何か複雑な事情がありそうだ。
「……そうですね、それを話す前に移動しましょう。先程の貴方が転移してこられた光を誰かが見ていたら見回りに来るかもしれません」
皇女は辺りをキョロキョロと見回して人影や近づいて来る光が無いことを確かめていた。
見つかったらまずい身の上なのか。
「こちらです。ついてきてください」
確認を終えてひとつ頷いた皇女がこちらに歩いてきて、俺の後ろにある丸い岩に触れた。
一瞬ポウと光を発した岩がしばらくするとゴゴゴと音を立てて横にずれていき、人ひとりが通れそうな穴を現した。
皇女は驚いた風も無く静かに穴の中へと歩いて行く。慌てて後を追って中に入ると、後ろで音を立てながら再び岩が蓋をしていくのが分かった。
「今のって魔法……なんですか?」
「そうですね。私達、ウライ神聖帝国の皇后、皇女にだけ伝わる合言葉のような魔法です。このオクライ山のような聖地には必ず私達巫女だけが入ることの許された空間があって、祭事の際や有事の際に避難が可能になっているんです」
やはり、魔法なのだ。
目の前で見てもまだ実感が湧かないが全て現実に起こっていることだった。
完全に岩が停止すると隙間から入ってきていた星明かりが無くなり、真っ暗闇が訪れる。
「光よ」
皇女が呟くと、その右手に光が宿った。
頭の上でくるっと手を一回転させると洞窟のなかのあちこちに光が飛んでいき、中を明るく照らしだす。光の下で見るアイラ皇女の髪は綺麗な桜色をしていた。
「……手品でこんなの見たことあるけどあれは確か握ると光る電気を手に持ってるとかだったよな……。これが正真正銘の魔法か……」
現実味が無さすぎる光景にただただ呆気に取られる。
俺もこの世界に来た今なら魔法を使えたりしちゃうんだろうか。
洞窟の中は思ったより天井が高く、大広間といった様子だった。他の場所に繋がっているであろう穴も見えるので、更に枝分かれした部屋があるのだろうか。
広間には木の机や椅子等の家具、端の棚には日用品も置かれており少しの生活感を感じる。
「そちらに腰掛けになってください。今お茶をお淹れ致しますので」
「えっ! いやいや、そんなお構いなく!」
慌てて遠慮するがアイラ皇女は軽く手で制し、楽しそうな様子でお茶を用意しに行ってしまった。
皇女様にお茶をいれさせるとか不敬罪で裁かれたりしない??
幸いこの場所に近衛が踏み込んできたりすることは無く、温かなお茶の満たされたポットが2つそれぞれの前に置かれた。棚からティーカップを持ってきた皇女が俺の向かいに腰掛ける。
「すみません皇女様にこんなことをさせてしまって……」
「いいんですよ。私お茶を淹れるのが好きで、城にいた時にもよくみんなに淹れてあげていたんです。どうぞ、飲んでみてください」
人の良さそうな笑みでこちらにお茶を勧めてくる皇女様。会釈をひとつして、高そうなカップにお茶を注いでいく。赤色の綺麗な液体が湯気をたてながら満たされていった。
「えと、いただきます」
ニコニコとこちらを見る皇女の視線に若干萎縮しながらカップに口をつける。
「ん……」
怒涛の出来事に自覚していなかったが冷えていたのだろう。温かい液体が喉を通ると身体の力が抜けていくのがわかる。
少し漢方のような香りがするお茶だ。向こうでいうルイボスティーが近いだろうか? 正直こういう系のお茶は苦手なのだが、今この瞬間に飲むのは最高に美味い。
「お口には合いましたか?」
俺の様子を見て皇女もカップに口を付ける。背筋がすっと伸びていて本当に絵になるなあ……。
こうして明るいところで見ると女性というよりは少女と言った方が近いかもしれない。16〜18歳くらいだろうか? まだ少しあどけなさが残る顔にはクマが浮かんでおり、安心して眠ることができていないのだろうと推察できた。
「はい。温かくて少し安心できました」
「ふふ、それは良かったです」
微笑む皇女を目の前になんだかドキドキしてしまう。こんな美人と2人きり指し向かいでお茶を飲む。不思議な時間であった。
「さて……何から話したものですかね」
カップで両手を温めながら皇女が少し宙を見る。
ウライ神聖帝国の起こりは300年前に遡る。
この大陸は昔から火山の活動による地震や大雨による洪水、かと思えば何年も続く日照りによる干ばつ等、様々な自然災害に悩まされてきた。
人々が4つの小国に別れ、その中で育つことのできた数少ない食物等の資源を奪い合い戦争を続けていたそんな中、1人の女性が現れる。
彼女は自らを巫女と名乗り、人々が争いをやめ神への祈りを続ければこの自然災害は収まり、やがて緑豊かな地になるだろうと予言した。長年に渡る戦争に疲れきった人々は藁にでも縋る思いで1人、また1人と巫女の元へと集っていく。
勢力を拡大した巫女を筆頭とした集団はやがて抵抗を続けていた最後の国を征服し、全ての国をまとめウライ神聖帝国を築いた。
帝国民の希望を背負い、オクライ山の頂上に作られた祭壇から巫女は寝食を惜しみ祈り続けた。すると次の年からは地震の頻度が減り、日照と降雨のバランスが良くなり、やがて大地には小さな芽がぽつぽつと生え始める。
民は喜び、巫女をより深く信心した。そして巫女の隣でその働きを支え続けた男を帝王とし、ウライ神聖帝国は300年の平穏の時を手に入れたのだった。
しかし1年前、先代の巫女アイラ皇女の母親が崩御したことからその平穏が崩れ始める。
300年前の初代巫女の代から、巫女の娘が代々神への祈りを捧げる巫女を受け継いできたのだが、巫女となったアイラの祈りは神へと通じることは無かった。
先代の巫女が崩御した日にこの地を大地震が襲い、そこから豪雨が大地を覆う。
アイラは必死に祈り続けたが自然災害が止むことは無かった。
帝国民は次第に生活に窮していき、その不満の矛先を巫女であるアイラへと向けるようになっていく。
「……そんな中私のお兄様、カルム・エルスタインがクーデターを起こしたのです」
カルム皇太子は巫女に不信を抱くものたちをまとめあげ、反巫女勢力を組織しクーデターを起こした。
その勢力は予想外に大きく、3日と経たずに王宮は制圧され帝王は投獄。アイラは従者達の助けによりなんとか脱出できたものの王宮に戻ることはできず、こうして一週間ほど各地の祭壇裏部屋を転々としているということだった。
「こうして暗闇に紛れて毎日祭壇への祈りは続けているのですが、巫女としての祈りが通じる気配は無く……」
今この状況を変えることができるのはアイラにより神への祈りが通じて災害が収まった、それを示して民の不信を払拭する。これしかない。
そんな訳で今夜もオクライ山の祭壇で必死に祈りを捧げていたアイラの元に、俺が転移してきた。
「今夜は本当に久しぶりの晴れ空。この星の下でならもしかして私の祈りが通じるかも……と思っていたのですが」
「そんなことが……」
とんでもないタイミングで転移してきてしまったんだな俺。
ぬか喜びさせてしまったのだろう。語る皇女の顔は話すにつれてどんどんと暗くなっていってしまった。
「現在までの簡単な説明はこんな感じです。次は貴方のことを教えてくれますか?」
「あ、そうですね」
皇女からすれば唐突に目の前に現れた俺の素性は怪しすぎる。口で説明したところでそれが真実とは限らないが、少しでもこちらのことを知りたいと思うのは当然だろう。
「僕の名前は桜井トウシ、魔法のない世界から来ました」
そこからは俺がどんな世界にいたのか、こちらへ来た経緯を掻い摘んで話して言った。
「鉄の荷車に轢かれてこちらへ転移を……。それはお辛いですね」
「いえ、皇女様に比べればなんてことも無い……とも言いきれないですがうーむ」
2人して黙ってしまう。とんでもない状況におかれた者同士が出会ってしまったものだ。
「この世界には転移魔法はありますが異世界への転移というのは聞いたことがありません。貴方の話を疑うわけでは無いですが、それができるとすれば神の御業に他ありません」
曰く、転移魔法は恐ろしい量の魔力を使ってしまうとか。遠いところへの転移魔法を発動させた術士はそれだけで魔力切れを起こし意識を失ってしまう者もいるらしい。
「この世界の神様が俺を……ね」
一体なんのためにこんなフリーターを転移させたんだ。命が助かったのはありがたいんだけどさ。
「ん? ということはひょっとして俺、帰れない?」
「そう……なりますね」
一瞬フリーズ。
うっそーーーん!! 明日もガッツリシフト入ってんのに。
俺の失踪により穴を埋めることになる全てのみんな、ごめんな。
「ひとつ可能性があるとすれば」
「え?」
「私の祈りが通じて神との対話が可能となれば貴方をその力によって元の世界に送還することはできる……かもしれません」
なるほど。神様がそんな細かいことまでやってくれるかは分からないが、災害を止めることができるほどの力を持つならそれくらい可能なのだろう。
というか呼び寄せたのなら帰すこともできるだろ。
「それじゃあ当面はどうにかこっちで暮らしていくしかないかあ…-」
残してきたものは仕事に家族と色々あるが、いつかは帰れると思えば少しは前向きになることができた。
「今後はどうされますか……?」
「うーん……。僕はこの世界のことを何も知らないのでどうしたものやら……」
1人で暮らそうにもどこへ行って何をするかの検討すらつかない。この世界のお金も無ければ言葉も……。
「あれ?」
ふとアイラ皇女の顔を見つめる。俺の視線に首を傾げる皇女。
「なんで言葉が通じてるんだ……?」
異世界の公用語が日本語の訳無いだろう。とすると何か特別な力が働いて理解できているのか……?
「翻訳の魔法……という可能性もありますが、ひょっとするとサクライ様は神から何かの祝福を受けているのかもしれません」
「祝福……?」
「私達巫女は神からの祝福を受けた存在だと言われています。祝福を受けたことにより神との対話が可能となり、他の方を大きく超えた魔力を扱うことができるようになっていると」
俺がそんな魔法を使える訳がない。とすると俺は転移の過程で対話を可能にする力を貰ったということか。神様やるやん……。
「言われてみればサクライ様の言葉は私達と違うようですがなんの違和感もなく理解できています。そのことにすら気が付かないくらいに」
確かに意識を向けてみるとアイラ皇女が喋っているのは聞いたことも無い音の並びだ。意識するまで分かららなかった。
「……サクライ様は本当に私の祈りによってこちらへと召喚されてしまったのかもしれません」
「え? いやーどうなんでしょうね……」
確かにタイミング、場所全て完璧ではあるがこんななんもできない奴を果たして神様が寄越すだろうか。それならもっと勇者になれるような人とかを転移させてくる気がする。
「少々、失礼します」
「おぉ……?」
突然皇女が身を乗り出して俺のおでこに手を当てる。細くてひんやりとした感触が心地いい。
少し目を閉じて何かを探る様子だったがやがて目を開けて、
「……サクライ様の中に魔力の流れは感じることはできません。本当に異世界の方なのですね……」
「そ、そうなんですか……」
まあそうでしょうね。ひょっとしたら異世界転移したことによって魔法をバンバン使えるようになっていてチートのような力で世界を救うことができる……なんてことをちょっとだけ期待したのだが。
「しかし妙ですね……この世界では魔力が無くてはどんな魔法も使うことができません。仮に神の祝福によって翻訳の魔法が発動しているとすればどこかにその元があるはずなんですが」
「なるほど……? ん、そういえばさっき転移魔法を使うには魔法か聖具? を使うしかないとか仰られてましたよね。その聖具っていうのは……」
「ええ、確かに聖具があればどんな人でもその聖具に備わった魔法を使うことができるのですが」
「が?」
「聖具を使うのにもその者自身の魔力は必要になるのです。ですので今のサクライ様では扱うことができないと思います」
「そうですか……」
まあそもそも聖具なんてもの持ってないしな俺。
うーーーーん。と2人して唸ってしまう。翻訳魔法が発動していることによって言葉が通じていること自体は便利でいいのだが、その発信源が分からないのは些か不気味である。
「そういえばサクライ様が背負われていたあの荷はなんですか?」
洞窟の片隅にたてかけてあるギターを見て皇女が尋ねた。
「あーあれはギターっていって、あっちの世界の楽器ですね」
「楽器……ですか。こちらにも竪琴や太鼓等はありますが、ぎたーというのは初めて聞きました」
アイラ皇女が興味深そうにギターを見る。
「気分転換に少し弾いて見ましょうか?」
「いいのですか? 是非聴いてみたいです」
途端目をキラキラさせる皇女殿下。そんなに期待されると少しやりづらいが俺もシンガーソングライターの端くれだ。客が求めているのならそれに応えるのは当然である。
「それでは準備をしますね」
壁に立てかけているケースのチャックをあけてギターを取り出す。桜の模様が特徴の桜色のアコースティックギター。これが俺の相棒だ。
外ポケットからスタンドやらチューナーやらカポやらを取り出して演奏の準備をする。皇女様に聴かせる歌だ、チューニングがズレているなんてことは許されない。
「……よし、こんなもんかな」
チューニングを終えて皇女の方に向き直る。
「それでは1曲だけ失礼します。売れないシンガーソングライターが夢を馳せるそんな歌」
──「伸ばして」
あるはずの星空を眺めているばかり
いつかは掴めると信じていた幼い自分はもうどこにも存在しなくて
いつの間にか見上げることすら無くなっていた
それでも確かにそこにあるもの
忘れていても必ずいつも
空の彼方のその向こうに
夢見た空はあるはずだから
あるはずの星空を眺めているばかり
今の僕にはそれしかできないけど
信じ続けて祈り続けて
変わらずに輝いてる
星に願いを……
左手を滑らせギターの響きを止める。歌とギターの余韻を楽しむようにしばらく無言で目を瞑っていた。
こんな風にひとりの人に向けて歌ったのはいつぶりだろう。
いつからただこなすように歌うようになってしまっていたのだろう。
「そりゃあ、ライブやってもファンがつくわけないよな……」
皇女に視線を向けるとその目から一筋の涙が落ちていた。
何か失礼があったかとギョッとするが、
「歌とは……こんなに素晴らしいものなのですね……」
アイラ皇女は震える声で最大の賛辞を伝えてくれた。その言葉に胸が締め付けられるような喜びを感じる。
あぁ、そうだ。俺はこんな風に自分の歌で人を感動させたくて……。
その時、俺の手元から突然眩い光が溢れた。
「んなっ……!? アコギが光ってる……っ?」
「まさか、その楽器は……!」
光は俺たち2人を飲み込み、気がつけば辺りは満天の星が輝く、美しい景色に変わっていた。
「なにがどうなって……? 洞窟にいたはずなのに」
「固有結界……?!」
驚愕したような声に視線を向けると、皇女がこちらを真ん丸な目で見つめていた。
「……どうやらその楽器が貴方の聖具だったようですね。しかし魔力を持たないサクライ様が、固有結界までを展開できるとは……」
「な、なんなんですかこれ……。あと固有結界って……?」
なんかとんでもないことしちゃったんだろうか、俺。
「先程申したように、貴方の翻訳魔法を発動していた聖具はその楽器だったようです。しかし今見ているこれは翻訳魔法などとは格の違う最上位の魔法、固有結界」
皇女がゆっくりと辺りを見回しながら続ける。
「これはその術者の心象風景をそのまま現実世界へと出現させる魔法です。この世界では何もかもが術者の思い通り。同じく固有結界を展開することのできる者にしかこれを破ることはできません」
何だかとんでもない話をされているが、聖具があったとしても魔力が無ければ魔法は使えないはずじゃ……。
「……ああ、そうなのですね」
アイラ皇女がこちらを見て何か納得のいった声をあげた。
「何が、ですか?」
「今この大きな魔力の流れを見てやっと分かりました。サクライ様はこのオクライ山の、世界の魔力を吸い上げてこの固有結界を展開しているんです。それは火山の噴火や地震、天候の変化と同じメカニズム……」
アイラ皇女がこちらに向いて膝をついた。
「貴方様は神の力を託された、神の使いだったのです」
そう言って頭を垂れる。
「嘘でしょ……?」
ただのフリーターの俺が、神の使い? 大切なことすらたった今思い出したような人間が?
「これより私、ウライ神聖帝国巫女アイラ・エルスタインはサクライ様にお仕えします。どうかこの国を、世界を、お救い下さい」
こうして売れないフリーターシンガーソングライターの桜井トウシは、異世界の神の使いとなったのだった。
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