ガラスの少女

天音

第1話

 カツン。

 前を歩く清水さんのポケットから、何かが落ちた。足元まで転がってきた濃い青のビー玉を拾って、手の平で転がしてみる。なんの変哲もないただのビー玉だ。隣を歩いていた実里みのりが、わたしの拾ったものを見て冷ややかな笑い声をあげる。

「何それ、ビー玉? 清水が落としたわけ?」

「そうみたい。……渡してくる」

「別に良くない? ていうか後でいいでしょ」

 非難めいた声を出す沙耶香にもやんわりと首を振ってから清水さんを追いかけた。彼女たちの声にはため息が混じっていることに気づかないふりをする。

「先にお弁当食べとくから」

「うん。渡したらすぐ戻る」

 返事をしてから少し駆け足にして、二人から離れた。


 清水羽瑠しみずはるはクラスでは少し、いやかなり浮いている女子だ。ひどく整った顔立ちをしているが、それを台無しにしてあまりある付き合いの悪さ。清水さんと同じクラスになって2年目だけど、打ち上げの類に彼女が出席しているのは見たことがない。わたしがつつけば壊れそうなくらいに華奢な体。透けるような白い肌っていう言葉の意味は、彼女の肌を見て理解した。綺麗に肩甲骨までのびた黒髪は、体育や家庭科の授業以外では結ばれることなく、いつも彼女の呼吸に合わせて揺れていた。

 存在自体が宝石みたいだと思う。水晶みたいな。もしくは、磨かれたガラス玉、鏡。たまにクラスの女子たちから嫌がらせをされているのを見るけど、わたしはもう嫉妬すらしない。アレは格が違いすぎるんだよ。

 部活でやけた肌と髪。筋肉のせいだと言い張っている太めの足。前に集合写真で彼女と隣だったとき、ほんとは死にたかったんだから。


 付き合いの悪い彼女は、いつも教室でお昼ご飯を食べない。昼休憩になると決まってどこかへ行ってしまう。どこにいるのかを知っている子もいない。あの子に、話をするような友達なんていないから。お弁当ではなくて学食を食べるために食堂に行ってるんだと思ってたけど、前にグループで食堂に行った時には清水さんの姿はなかった。

 わたしにも好奇心がないわけじゃないよ。だから、どこで何をしているのか知りたくなくもない。うん。でも直接話しかけるのは無理だ。仲良くなんてないし、周りの子達がどう思うかなんてわかってる。

 だから、これはちょっとラッキーだ。

 清水さんがお昼、どこで何をしているのかを突き止めるチャンスだから。昼に先輩と隠れてヤってるとか、そういう噂を流している女子がいるのも知ってる。男子がそれを面白がっているのも知っている。

 でも、わたしはあの子がそういうことをしているからどこかに行っているんだとは、どうしても思えない。何をしているのかって聞かれたらわからない。そう。だから何をしに教室を出ているのか知りたいんだ。

 みんなが知らない彼氏がいて二人で食べてるんなら、ある意味安心するんだけど。同じ人だと思えないくらい綺麗なあの子も、ただの人間なんだなって。


 タカタカと、春の日差しが差し込む廊下を足早に歩く。胸に抱えたペンケースの中身が音を立てて、気づかれないかとヒヤヒヤした。わたしが追いかけていることになんて気づかずに、清水さんはどんどん歩いていってしまう。

 無心でついて行っていたら、部室棟に来ていることに気づいた。しかもこの辺りはあまり使われていない部室だ。

 まさか先輩とうんぬんという噂話は本当なんだろうか。ぎくりとして歩く速度が落ちる。それが真実なら追いかけたのは大変よろしくない。変な音や声が聞こえる前に教室に戻った方がいいかな。

 (……やっぱ、ビー玉ひとつで追いかけるとかおかしいかも……)

 一番隅の部屋に清水さんが入って行ったのを確認して立ち止まる。あの部屋がなんの部活に使われているのか知らなかった。

 教室に戻って、こんな玉な机においておけばいいか。一瞬弱気になってしまったけど、ここまで来たんだからもう少しだけ近づいて確認しようと思い直す。やばそうだったら帰ろうと思いドアに近づく。耳を壁にくっつけるようにしてみるが、特に物音は聞こえない。清水さん一人みたいだった。話し声もしない。

 教室のドアの前に立つ。心臓がうるさかった。緊張しているらしい。たかだかクラスメイトに落とし物を渡しにいくだけなのに。

 深呼吸をした。そう、落とし物を渡すだけ。この青いビー玉を渡すだけだ。その時少しでもここで彼女が何をしているのかがしれたらいい。

 とってに手をかける。

 ノックをするなんていう思考には緊張のせいか至らなかった。使われてなさそうな割に滑らかに横に滑ったドアの先に、気になっていた彼女はいた。

 窓際の机に、授業中と変わらない姿勢でついている。振り返った顔の大きな黒い目は、驚いてこぼれ落ちそうなくらい見開かれていた。

 清水羽瑠がお昼に何をしているのか知りたい。そんな軽率な好奇心からここまでこっそりついてきた。のぞみは簡単に叶った。

 お人形のような彼女は空き教室の椅子に座っていた。

 そこで何をしているのか?

 彼女はまさに、紅いビー玉をポイとその口に放り込んでいるところだった。

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