こだわり

秋津 心

第1話

自分は「こだわり」が強い。しかも、その「こだわり」がたくさんある。

 今、パッと思いつく限りでも3つは口に出していうことが出来る。


「靴下は、必ず裏返して履く」

「定食屋で出された漬物は一口だけ食べる」

「歯を磨くのは二日に一回の夜だけ」


 他にも、統一性のないこだわりが無数に存在する。なぜ、こんなにもこだわりがあるのか、自分でもよく分からない。しかし、気づいたらその無数のこだわりが自分の体に巻き付かれていた。


 守らないと落ち着かない。守らないと気持ちが悪い。こだわりとは現代の呪いのようなものだ。自分でコントロールすることは出来ない。他の人から見れば、ただ面倒な人だろう。


「お待たせ、道が渋滞してて」


 黒塗りのタクシーがエントランスに見えてから数秒後、赤いワンピースを着た涼香は高いハイヒールをツカツカと鳴らしながら、自分の元にやってきた。紺色のソファに腰かけていたぼくは立ち上がり、ぼそぼそとした自分の声を、まるで発声練習のように確認する。


「ああ、大丈夫だった?」


 僕の周りをうろうろしていた白服の店員は、待ちくたびれたような怪訝な顔をさっきまでしていたが、涼香が来たことを確認すると上手な作り笑いを見せて、僕たちを案内する。


「どうぞこちらへ」


 物心ついた頃からこだわりがあった。明るい色の服を着させられると泣いて暴れまわった。黒色の服しか来たくなかったのだ。母はそれをわがままだと思い、何度も何度も立ち向かった。「この服着!」しかし、そのたびにいつも泣き叫ぶ、普通の子とは明らかに違う嫌がりように、結局母は折れた。あの頃は凄く、迷惑をかけたと思う。「誰に似たのか」ぼくと違い、物分かりの良い兄と比べてよく悩んでいた。


 中学になり、こだわりの勢いはさらに増す。


「教室のドアを開けるときは左手を使う」

「爪の長さは0.2センチにそろえる」


 こだわりは案外簡単に作られていく。突然、これをこうしたらいいんじゃないか、と思い始める。このときはまだこだわりではない。しかし、二回、それを繰り返すと、以降何だかそれをやらなければ死んでしまうような恐怖に憑りつかれる。結果こだわりが作られる。


「こちらの席でございます」

 白服の店員は笑顔でぼくたちを招く。異様なほど歯が白い。

「わーおしゃれ」


 涼香は、子供のような声で、丸いテーブルの真ん中に飾られた紫の花に惹かれていた。窓からは光に彩られた夜景が良く見える。黒い海の奥に見えるのは、最近作られた海上に浮かぶ空港だろうか。光が届かないせいで、黒い大きなクジラが横たわっているみたいだ。


 席を引きすわる。席の右側から椅子に座わった。マナーよりもこだわりを優先してしまう。どうじにポッケにある、固い箱を指で沿い確認した。


 こだわりが多すぎて、よく人に迷惑をかけていた。


 高校時代、初めて彼女が出来た。吹奏楽部で背の低い可愛らしい子だった。

なぜかよく一緒に、近所の海を学校帰りに眺めていた。他愛のない会話の一つ一つが楽しかった。


しかし、その関係を邪魔するのは、自分のこだわりだった。


 別に彼女にこだわりを強要したわけではなかった。こだわりは自分だけのルールのようなものだったから。しかし、彼女がその、自分が作ったルールを破るとき、いい気持ちはしなかった。言葉には出さないように気を付けていたが、自分の顔にはどうしても出てしまう。


 彼女は泣いてしまった。


「どうしたらいいか、分からない」


 彼女の最後の言葉だった。

悪いのは自分の方だと思った。しかし、心のどこかでは、仕方ないだろう?そんな彼女を見下ろす気持ちもどこかにはあった。誰にだってこだわりはあるではないか。自分にだってどうしたらいいのか分からないのに、なぜぼく以外の誰かが先にいやになるのだろうか。


「海老とポルチーニ茸のアヒージョです」


 いくつかのメニューの後に、出されたのは中央に肉厚なエビと、つやのある、しめじのようなキノコが添えられた料理。フォークでエビを刺して食べた。固い尻尾もそのままかみ砕いて食べた。


「おいしい!」


 邪気の無い涼香の言葉を聞いて少し安心した。今日は涼香の誕生日なのだ。ぼくたちはそこまで子供ではない。だから盛大に誕生日を祝うのはどこか違うと思った。しかし、このチャンスを逃すことも違うだろう。思いついたのが、ホテルの下にある高級そうなディナーだった。綺麗な夜景を見ながら名前の分からない食べ物を食べる。完ぺきなようでどこか不釣り合いなところが少し笑ってしまう。


ついポケットを探ってしまう。今日は涼香にプロポーズをする予定だからだ。


 涼香とは、長い付き合いになる。出会ったのは、三年前。夕食を買いに自分のアパートを出たとき、一人の女性が道路の真ん中に座り込んでいた。酔っぱらいか、そう思い、近づいてみると、その女性はビニール袋片手に何かを拾い集めていた。なんと道路に落ちた氷を拾っていたのだ。話を聞くと、スーパーの帰りに、アイスを冷やすために入れた氷がつまずいた拍子に道路にこぼれてしまった、と言うのだ。それが涼香だった。


 それを聞き面白くなってしまった。早く帰らないと余計にアイスは溶け出してしまうだろうに。こんな変な人がるのだと。

直感的に好きになった。なぜだか、この人なら、自分のこだわりも受け入れてくれそうだったからだ。


 実際に、涼香はぼくのこだわりに、一切口に出してこなかった。むしろ、何も知らないような顔をして、こだわりを合わせてくれた。靴下は、裏側にして用意してくれたし、自分が残した漬物を食べてくれたし、歯磨きについても何も気にしていないようだった。コーラの炭酸を抜いてから飲んでくれたし、電子レンジで温めるときはラップを三重巻きにしてくれたし、時計は十五分ずらしてくれた。


 どんなこだわりも涼香は合わしてくれた。それはとても心地が良かった。

しかし、いつしかそれが不気味に思えてきたこともある。涼香は何を考えているのかが分からないのだ。多くの主張をする自分に対して何一つ自分の主張をしない涼香。そんな構図だから、自分の色のせいで涼香の色が隠れてしまっている。いつもニコニコしている涼香の心が分からないのだ。


 付き合い始めて三年にもなる。そろそろ、駒を一つ進めてもいいのではないか。そんなことを考えながら迫っていたのが涼香の誕生日だった。涼香の胸の内を明かしてもらうためにも、プロポーズというキッカケを作るべきだと思った。


「ごちそうさまでした」


 そう、おなかをさする涼香は子供のように満足そうな表情をしていた。

 それを見て覚悟を決めたぼくは、ポケットから結婚指輪を取り出した。


「ぼくが幸せにします」


 ついに言ってしまった。ドクドクと心臓が嫌な音を立てる。なぜだか涼香の顔を見られない。


 しかし、いくら待っても返事が来なかった。どうしたのだろうか、涼香を見ると、なんと口をもぐもぐさせながら、どこからか持ってきたお菓子を食べていた。


「やだ、結婚したくない」


どうして、言葉にならない声が自分の口から発せられる。


「だって、わたし今の関係が良いんだもん、結婚したら色々めんどくさそうじゃん」


 茫然とした。

無邪気な涼香の思いそうなことかもしれない。しかし、結婚という重要なことをお菓子なんか食べながら、そんな簡単に考えてもいいのだろうか。

 怒りに震えるぼくの目を見て、涼香はニッと笑った。


「ワトソン君、こだわりは、ここぞという時に使うものだよ」


 涼香はまるで子供をなだめる先生のような眼をしていた。

 夜景ははじめと変わりなくきれいだった。しかし、窓の内から見てもシンとしていることがよく分かる。港からは白の光がボウと浮かび上がり、黒いクジラはまだそこにいた。


「ドライブをしよう」


ぼくが提案して、朝まで涼香を連れて海沿いを車で走った。結婚指輪はレストランの椅子の上に置いてきた。

それから、ぼくのこだわりは少しずつ減っていった。

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こだわり 秋津 心 @Kaak931607

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