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 新居を決めるにあたって、重要視した条件は3つある。


 一つ目は通勤のしやすさと経路の途中にスーパーがあること。

 二つ目はオートロックやテレビモニター付きインターフォン等の防犯対策があること。

 この二つは大抵の者が考える条件だろう。


 けれど、三つ目が被る人は少ないかもしれない。

 それは最上階でバルコニー付きの部屋であることだ。加えて、周辺に高層ビルやマンションがあると困る。

 そのため、下見は出来なくとも某マップの航空写真を頼りに周辺の建物を確認した。幸い都心から少し離れた住宅街なこともあり目立って背丈の高い建物はなかったし、実際に越してきてから散策していても、高くて7、8階のマンションや会社が点々とある程度だった。

 私が契約した部屋は7階なので、バルコニーからの視界を遮れることはない。


「さて、どうしましょうか」


 既に引っ越してきてから3週間が経っている。

 越してきた初日の夜にカーテンの隙間から隣部屋を見てみたのだが、取り付けられたばかりのカーテンの隙間から煌々とした灯りが漏れていた。それ以降はバルコニーに出ることを躊躇い、常にレースカーテンを締めている。

 出勤時間が違うのか、朝も夜も同じ階に住む住人に出くわしたことはないため、男か女かもわからない。


 契約した際に部屋のほとんどが1LDKの単身者向けマンションだと聞いていたので相手も独り暮らしだとは思うのだが、年齢層が高いだろうことは想定できる。

 賃貸物件は階数が上がるごとに家賃も上乗せされていくからだ。

 それが七階となるとなかなかの金額で、まだ働いて六年目になる私にとっては生活がカツカツになる家賃なのである。


 それでもここを選んでしまった理由は一つだ。


 リビングの電気を消して、カーテンの隙間から隣部屋を伺う。

「電気がついてないし、まだ帰ってきてないのね」

 それならば少しくらいはいいだろうと、窓枠に立てかけていたデッキチェアを手に取り、窓の鍵へと手をかけた。


***


「癒される……」


 頭上に浮かぶ星空を眺めてはポツリと呟く。

 今まで住んでいた田舎町と比べると、街灯や住宅の数の差か夜でも街全体の明るい色が下から浮かぶ。暗闇の中での星空観賞とはいかないが、それはそれで趣があった。


 四月の夜は急激に冷える。

 白く吐き出された息は空へと昇って霧散するし、身体は徐々に冷えていく。上着を羽織ってはいるが、長らく外にいることで熱も逃げてしまった。

 そろそろ戻ろうと何度思ったことか。

 けれど、異動が決まってから引っ越しまでの慌ただしかった日々と、こちらに越してからの荷解きや新しい生活になれるまでのストレスがたんまりと溜まっていたらしい。

 一旦デッキチェアに腰を下ろしてしまえば、途端に訪れた解放感から身動きが取れなくなってしまった。



 空を眺めるのが好きだ。

 雲の動きを目で追うのが好きだ。

 星の瞬きの下で横になるのが好きだ。

 雨音とともに曇り空を見上げるのも好きだ。

 雲一つない晴天も好きだし、飛行機雲が空を別つのも良い。夕焼けの色合いが変わりゆく時間も好きだし、夜明けの静けさも好きだ。


 星座だとか、雲の種類だとか細かいことは気にしたことがないし、望遠鏡も持っていない。

 ただ、理由もなくぼんやりと眺めているのが好きなのだ。


 お洒落が大好きなわけでもなく、旅行も滅多に行かない。悲しいことに休日に会うような友達は片手で数えられる程度だし、三十歳が目前となると会う機会も限られる。田舎の一人暮らしで外食することはほとんどなく、手料理が身についているため食費もかからない。

 家で過ごすのんびりとした時間が大好きな私は、意識しなくても節約生活になるのだ。


 ぼんやりと空を眺める、という唯一にして最大の趣味はお金がかからない。

 バルコニーに出ている間は光熱水費もかからない。

 だから、少しくらい家賃が高くても問題ないと思ったのだ。

 新築であれば快適なお家ライフが送れるだろうと期待して。



 広げたガーデンチェアはほぼ横たわれる形なので、身体を沈めてしまえば、バルコニーの柵のお陰で隣人なんて気にならなくなる。

 気楽に空を眺められなくなったと絶望すら感じていた3週間だったが、出入りをする際だけ気をつければよかったのだと思い直す。

 バルコニーの柵はブラウンの細長い木材が横に並んでいるルーバータイプのため、一見隙間がない。お互いに立っていれば顔を合わせてしまうが、こうして柵の内側で横になっていれば、覗き込もうとしない限りは見えないだろう。


 冷えた身体に慣れたせいか、寒さよりも眠気を感じてしまう。自由気ままに欠伸を繰り返して、体を縮こませて瞼を閉じる。

 

 見上げていた夜空が、瞼を閉じても浮かんでいる。

 排気ガスが若干混じる都会らしい空気を肺一杯に吸い込んでいると、ガラガラと窓が開く音が間近から聞こえた――


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