装角師とその弟子

山本楽志

第1話



 さりさりと擦れ合う音が室内を満たしていく。

 リズムは一定でゆるみもゆらぎもない。右の人差し指と中指は、内向きに枝分かれをした個所だろうと、なだらかに弧を描く個所だろうと変わりなく、表面をなでるようにつたってゆく。

 後には微細な粒子が続いて舞い上がり、たちまちたっぷりと蓄えられた陽光を浴びて、鱗粉に似たきらめきをあたりにまき散らしていく。

 春の陽射しの包む手はやわらかで、微粒子をふわりふわりと上下に波打たせて翻弄する様子もやさしさに溢れている。

 いつか見た、生まれ育った森の最も深い場所のひとつで、木立ちの張りめぐらす複雑に入り組んだ枝々をかいくぐって地表を照らした日射しが、妖精の輪にも光の手をさし伸ばして、わき立つ胞子をきらきらと輝かせていた光景を彷彿とさせ、きらきらさりさりと目と耳をくすぐる演舞に心を奪われてしまう。


 王都ナツコルの、その一画に私たちの店はある。

 正確にいうならば、住民の増加の結果、幾度となくくり返された都市拡張を受けて何層にも分かれている区画のうちでも、最も早い時期の城下を形成した城壁内の旧都部の、特に小高い坂の上の日当たりのよい場所に。

 そして、さらに正確にいうなら、あるのは私の先生の店で、私は日々の家事などをこなしながら教えを受けている住み込みの弟子だ。

「料理を焦がしたり、洗濯物を穴だらけにするのを、あんたらの言葉じゃこなしたって言うのかい?」

「食器は割らないようになったじゃないですか」

「全部木皿に変えたからね」

「やっぱり使い慣れた素材が手になじんでしっくりきますよね」

 たちまち快活な笑いがわきから差しこまれる。

「なかなかしっかりした受け答えをするじゃないか」

「腐っても年の功なんだかね。そんなとこだけは達者なんだよ」

 道具の準備をしながら先生が小さく鼻を鳴らす。

「年の功は違いない。では、年長者のエルフのお嬢さん、お名前をおうかがいしてもよろしいですかな」

「はい! サラサ・トネリコの新葉の八年・上ムントル・ノノノ・ザハーヴェイです!」

 私は普段心掛けている通り、できるだけ快活に自己紹介を行った。

「うん?」

 あまり芳しい効果は得られなかったけど。


 エルフが森の奥に住んでヒトとの接触が稀だったというのも昔の話、今では私のような街の住民も珍しくもなんともなくなっている。

 森の民だとか、耳長族だとか、ヒトが勝手につけた名前を捨てて、私たち自身の呼称を使うようになって百年ほどとのことだけれども、いまだに文化までは理解してもらえないらしい。

「難しいわよね。うちじゃサラサって呼んでる」

 先生の前半生を物語る顔中を無数に走る大小様々の傷痕は、年月を経て皺となりさらに深く刻まれて、特にこの時のように道具の選別にうつむけば陰影が露骨に凹凸を示す。

「難しくないですよー。サラサは固有名で、守護樹のトネリコが葉をつけて八年目に生まれたのを表していて、新しい木なのは私が変化の新風にくじけないようにという意味で、上ムントルは下でも中でもなくましてや末ではないという意味で……」

「席の準備」

「はい!」

 あわてて私はお客さんの体格に見合ったアームチェアを引き出してきて、壁にかけられているブタの毛を植え込んだブラシでほこりを払う。

「悪いね、手間取らせちまって」

「なに、エルフの議論好きは慣れっこだよ」

 先生がおもむろにケープを広げると、お客さんの体をすっぽりと覆い首もとを調節する。

 私たちは格別議論好きなんかじゃない。ただなんらかの問題や齟齬が生じると、別の機会で同じ検討をするのが無駄だと感じるために、それを根本から正さないと気がすまないのだ。けれども、これは寿命が千年以上にもわたるとされる長命種――ヒトを基準とした分類だ――のエルフだからこそで、短命種のヒトからすれば次にやるべきことを放り出していつまでも前の問題にかかずらっていることこそ無駄と考えるらしい。

 お客さんを準備の整った席に誘導して、腰を下ろしたところで天井から垂らされたロープとハンドルを操る。たちまち室内に陽光が射し込んで、ぱあと屋外のような明るさで照らされる。

 こういう時ばかりは、私も頭の中で積み重なっていた考えを放り出して、間近の光景に目を奪われてしまう。

 これがわが店の趣向のひとつで、いくつか設えられた天窓から鏡を使って、階下の店内にまで陽の光を招き入れられるようにしている。

 もっとも、そのためには刻一刻と変わる太陽の動きに合わせて、鏡の位置や角度を調整する必要があり、それを遠隔操作用のロープとハンドルで行うのだけど、複雑に何重も組み合わさっている歯車を先生のように瞬く間にピタリと合わせてしまう手練には、いつ見ても感服するほかない。

「すごいです。こんな短時間であれだけの計算を行うなんて」

「あんたいっつも変なとこ感心するわね。勘よ、勘」

「それって計算が身についているってことですよね、本当にすごいです」

「じゃあ、はじめるから」

 再びエルフとヒトの時間の扱いの差が示されて、先生はお客さんに向きなおった。

 射し込む燦々とした陽光は、ケープから突き出された首を照らし、同時にその頭骨の左右の耳のやや手前、ヒトでいうならばこめかみに近い場所から大きく伸びる角も輝かせていた。

 お客さんはトナカイに似た頭部を持つ獣人族だった。


 車輪をつけて可動式にしている作業台には、大小様々のノミにノコギリ、木槌に金鎚、ヤットコなどがずらりと並び、さらに種々のヤスリが掛けられている。

 それが日光の照らす座席の隣に物々しく押し寄せられていくが、先生はもちろんお客さんも物々しい陳列に顔色ひとつ変えることはない。

 先生エルンストは王都でも数少ない装角師のひとりで、また同業者組合であるギルドのマスターも務めている。

「間抜けがいいようにかつぎ上げられただけよ」

 おもしろくもなさげに吐き出すようにつぶやくけど、先生の腕前の確かさは、日々訪れる有角種族の多彩さや、客層の幅広さからもうかがえる。

 今座っているトナカイ獣人のジュンロさんも王室勤めの書記官だ。

 一年に一度、冬から春にかけて抜け落ち生え変わる角の整形のために先生のもとを訪れるのが習慣になっているらしい。

 顔全体を覆う短毛は左右一対の角にまでかかり、やわらかな光沢をうみだしてやさしく目を楽しませてくれる。

 ところが先生はおもむろにその毛の生える角の皮をつまみ上げた。

「痛みはない?」

「大丈夫だ」

 かなり乱暴な手つきだがジュンロさんは涼しい顔をしている。

 すると、先生は刀身の短いかわりに厚手のナイフを取り上げると、おもむろに左右の角の根本にぐるりと刃を立て、間をおかず先端を引っ張るなり一気に皮をめくり上げた。左右ともに根本近くで短長のふたまたに分かれ、後ろに伸びる長い方はさらに何本かに枝分かれしているため、一度に抜き去るとまではいかなかったが、それでもするすると和毛に包まれた皮は引き上げられ、その下の本来の角が外気にさらされていく。

 先ほどまでのつやのある焦げ茶色の皮も美しかったが、初めて衆目に触れる純白の角質の色合いと威容はまた格別だ。

「タオルをちょうだい」

 あやうく見惚れてしまいそうになるところを、先生のそんな声でわれに返される。

 急いでおろしたてのタオルを手渡すと、先端から付け根まで、手早くかつ決して拭いこぼしのないように生地を押し当てていく。

 ベルベットと呼ばれる皮は、袋角という別名を持つ角を作り出す器官で、冬に抜けた古い角に変わって春になると新たに盛り上がり、内部に血液を循環させ栄養素を行き渡らせ角を形作りながら自身も成長してゆく。

 ある程度の期間が過ぎれば血液の供給が止まり、ベルベット自体の活動もおさまるのだが、その見定めが難しく、早すぎれば出血を起こすし、遅すぎれば角とくっついてしまって剥ぎ取りにくくなる。

 今回はそれがぴたりと合ったようで、角に残る血液跡もわずかで、脂分とともにそれを拭い去っていく。これをおろそかにすると、後々の作業に支障をきたす。

「サラサ、鏡お願い」

「はい!」

 両腕で抱えないといけない大鏡を持って、ジュンロさんの前で膝を屈める。

「今年も外に突出している分を中心に寄せて、後ろに膨らませて整えていこうと思うけど」

「結構」

 その鏡の中の剥きたての角を示しつつ、先生が調整の手はずを説明していく。ジュンロさんは満足そうにひと言うなずくだけ。これだけでもふたりの信頼関係が伝わってくる。

「じゃ、寝かすよ」

 椅子の脇についたハンドルをまわしてネジをゆるめ、背もたれを倒してほぼ仰向けの状態にしてしまう。先生のもとについて季節も一巡りしたが、いまだにひとつひとつのこうした仕掛けに驚かされ、心躍らされる。

「まぶしかないかい。日よけは?」

「大丈夫だ」

「なら、はじめるかい。サラサは蒸しタオルの用意を。いつもより熱めにしておいて」

「はい!」

 先生は自身の短く刈り揃えている頭と、口もとに手ぬぐいを巻きつけつつそう指示してくれる。

 そうして作業台のかたわらに吊るされた、北の海で揚がるサメの皮を適当な寸法に切り取って右手の人差し指と中指に巻きつける。

 これをやすりがわりに、角の先端から磨きあげていく。

 冬の間に蓄えられた時間の象徴をさりさりと削ってゆく細かな音が、私のぴんと空に向かって突き立った耳をくすぐる。

 ベルベットの抜け落ちたむき出しの角はもちろん美しい。でもところどころで成長過程での血液循環の阻害のために、瘤ができたり節くれだったりしているところがある。それをサメ皮やすりで均等にならしていくのだ。

 丁寧さに、なおかつ大胆なまでの手際のよさも要求される仕事だ。

 先生の手さばきは迷いなく、鋭角すぎる尖端の面取りからはじまり根元に向かっていく。枝分かれの個所にくると一旦その頂点までもどって再び削りはじめる。その移動を唯一の例外として、さりさりは同じリズムでやむことがない。

 妙なる調べにも似たその音色に合わせて、周囲で白い粉がきらきらと舞う。

 削り出され、微細な粒子となった角の断片が、換気に開かれた窓から吹き込むわずかな風に、先生やジュンロさんの呼吸、身じろぎやはたまた体温の変化で生み出された気流に翻弄されているのだ。

 微妙な凹凸を扱うために、陽の光をふんだんに浴びせて陰影を確認しながら削り具合を決めているのだが、そのために取り込んだ日光にさらされて、角から削られた粒子が時おり身を輝かせる。

 いつまでだって眺めていられる光景だったが、そうそう見惚れてばかりもいられない。

 壁際のかまどが私の持ち場で、そちらをなおざりにしておいては面目が立たない。

 底に水を張ってある大型の蒸し器の火を絶やさないように薪をくべる。ぐらぐらと沸いて吹き出てくる湯気が、無駄にならないように見張っているのも私の役目だ。春先とはいえ、火と熱湯とつきっきりで、汗腺の少ないとされているエルフでも、あっという間にびしょびしょになってしまう。

「具合はどうだい?」

 腕まくりをして待ちに待った先生からの合図がくる。

「大丈夫です!」

 すると先生は作業台から大型の刷毛を取り上げると、角に積もった粉を払い、

「まず二本」

 指示が飛び、私は蒸し器を開け、もうもうと湯気の立ちのぼるなかから、できあがった蒸しタオルを取り出して手渡す。やけどしそうなくらいに熱いけど、時間との勝負だから弱音を吐いてもいられない。

「いい具合だよ」

 受け取った先生はにこりともしないけど、しっかりと私の仕事を評価してくれる。おかげで張り合いも増してくる。

「ありがとうございます! お次もいつでもどうぞ!」

「まだ今のも使ってないよ」

 もっとも、そのせいで長命種にあるまじき気の急き具合をたしなめられた。

 先生は一度蒸しタオルを広げると、熱そうな様子などおくびにも出さず、手早く角の尖端から巻きつけていく。左右ともに終えると麻紐でしっかりと固定させる。同じ段取りで、大体2/3ほどをくまなく覆ってしまう。

 立派な角がふかふかと湯気をあげる白いタオルでもこもこに梱包される。

「よし、っと」

 タオルを巻きつけ終えると、先生はひとつ息をついて、すぐさま残った麻紐を使い左右の角を結わえて両者を内に寄せるように絞り上げていく。

 ベルベットが取り去られた直後の、比較的やわらかで水気の残っている間にだけ可能な処置だった。

 左右に角が広がり過ぎると、街の中ではなにかと不便なため、こうした矯正を行っているのだ。とはいえ、角自体は同種の獣人族間では一種のステータスシンボルでもあるから、やみくもにすぼめたり、また裁断してしまえばいいというものでもない。

 だから事前に鏡に向かって、先生とジュンロさんで打ち合わせを取り交わしていたのだ。

 今年のジュンロさんの角はほぼ左右対称で、それぞれ前向きの短い角と後ろに向かう長い角に分かれている。長い角はさらに大小で五本ほどに枝分かれしているが、その内で最も長く最も太い幹同士を二ヵ所で絞り寄せて、肩幅程度の広がりにおさめている。

 左右の角を結ぶ二本の紐のうち外側の方に先生は分銅を掛けていく。

「これは微調整。絞ってあんまり前にきちゃうと不自然でしょ。これで後ろにそらすわけ」

 紐の中央でぶらさがる分銅に興味津々な目を向けていたのはお見通しで、そう説明を加えてくれる。


 矯正用の結わえつけを終えると、タオルに覆われていない根本と、前向きの短い角に再度やすりがけを行っていく。

 その前に、ハンドルと紐を使って採光に手を加える。途端に作業場に明るさがもどってくる。

 時間の経過で少しずつ暗くなっていた室内に目が慣れていたことに気づかされ驚かされる。

 またもさりさりと、音と光の競演がはじまる。私は蒸し器を片づけるかたわら、横目で盗み見る。間に別の作業をはさんだというのに、先生のテンポは以前と一切変化がない。

 作業速度が変わらないから物理的面積がせまい分、手掛ける時間も短くなる。

 私の手が空いてしばらく椅子のまわりで掃き掃除などを行っているうちに先生も左右の角の、サメ皮でのやすり掛けを終えた。

「じゃあ、サラサ、冷却お願い」

「はい!」

 鼻と口を覆っていた手拭いを取りつつ先生の指示が出ると、私は早速口のなかでいくつかの言葉を噛みしめて発した。するとひとつボンという音が響いて、ジュンロさんの角の周囲を白い湯気が取り巻いた。


 私たちエルフは、ほぼヒトと同じ体格をして、ほぼヒトと同じ容貌を持っている。それでも異なる点も多い。

 例えばヒトよりもずいぶん長くピンと天に向かって立つ耳。

 例えばヒトの数十倍ともいわれる寿命。

 例えばヒトよりも多くのものが見える目。

 水の流れ、火の燃焼、風のうねり……。そうした動きや変化にも意思は介在している。ヒトは自身では直接目で触れられないままに、精霊と呼んでその主体を認識していた。

 エルフはソレを実際に見ることができた。

 ウンディーネ、サラマンダー、シルフ、ノームなど、ヒトが想像のうちから表象したものと、実体は似ても似つかないけれど、私たちはソレらを視覚として把捉できた。

 できるだけでなく、エルフは言葉によってソレらに働きかけを行える。

 そのため、ヒトはエルフを精霊使いと呼ぶが、厳密にはこの呼称は誤っている。

 いってみれば、ヒトが狩りの際に猟犬に指示を出すようなものだ。命じることで突風を吹かせたり、せせらぎに渦を巻かせたり、炎を強めたりすることはできるが、はたして本当にソレに言葉が通じているのか確証はどこにもない。

 そして猟犬への指示の上手下手があるように、この精霊使いの腕前にも巧拙はある。私は、まあ、ほどほどと思ってもらえたらうれしい。

「うん、よく冷えてる」

 これも正確にいうならば、この時行ったのは蒸しタオルと、それに接する角から熱を周辺の空気に移動させた結果として冷えたのであって、直接に冷気を送り込んで冷やしたわけではない。

 けれども先生は、

「その理屈をあんたがわかっているのならいいわ」

 とあくまで結果だけにこだわりを見せた。

 私はそうして、先生のお役に立てるのが嬉しかった。


 分銅に麻紐、そしてタオルと、角の矯正に使用した道具を、反対の手順で取り除いていくと、はじめに先生が説明した通りに全体のシルエットのスマートになった一対の角が姿を現す。

 驚かされるのはタオルで覆う前にやすりで削った部分と、その後に削った部分とにまるで齟齬のないことで、改めて先生の秀でた全体把握力を思わされる。

 それからは、トクサの木を乾燥させた、材質のやわらかな別のやすりで微調整を行っていき完成となる。

「はい、お疲れさん」

 先生が椅子のかたわらについたハンドルをくるくると回すと、背もたれが起き上がっていく。

 私は黙って、先ほどの大鏡を改めて持ち出して、ひざまずいて待ち構える。

 やがて体を起こしたジュンロさんが鏡面に映る自身の姿を確認する。

「ふむ」

 顎に手を添えて小さくつぶやきをもらしただけだが、細められた目にわずかに上がった口角を見れば、鏡の縁からのぞく私にだって、その満足の度合いはうかがうことができた。


 身支度を整えたジュンロさんを店の玄関まで見送る。

「はい、これ」

 すると先生がなにかをジュンロさんに手渡した。

「ああ、そうか」

 先生の後ろに控える私からはよく見えなかったが、大きなものではなさそうだった。

「そうだな。うん、サラサ君」

 不意に名前を呼ばれると、先生も半身そらしてくれた。

「は、はい?」

 思ってもみなかったことで、私は上ずった声で足をもつれさせつつ前に出た。

「これ、どうぞ」

 すっと手が伸ばされたので、私もあわてて手のひらを差し出せば、なにかふわりとしたやわらかいものが乗せられた。先生からジュンロさんに渡されたものが、私にまわってきたと思しかった。

「これって?」

 それはまんまるく小さな、和毛に覆われたお手玉に見えた。

「袋角にさっき削った角の粉末を詰めたものよ。幸運のお守りっていわれてる」

 隣から先生が説明をしてくれた。私がジュンロさんの身支度のお手伝いをしていた傍らで手早く縫い上げたらしい。

「いいんですか、こんな貴重なもの」

 年に一度の角の生え変わりでしか手に入らないし、だれしもが作れるものでもない。

「今日の手伝いのお礼と、弟子入りのお祝いさ」

「ありがとうございます!」

 私は遠慮なく頭を下げていただくことにした。

 どれくらいの効用が果たしてあるものかわからない。でも、私には、この手の中でもてあそべるベルベットの小玉が、とても美しく映った。


 広い世界の中で、壁に囲われた街を造り、その内側でヒトだけの交流を守って生活を送っていたのは昔の話、今ももちろん世界は広いままだけれども、囲っていた垣根はすっかり意味をなくして、街の中では多種多様な種族が入り乱れている。

 そして変わったのはヒトだけでない。

 生えるにまかせるでなく、自分の角を他者にあわせて整えて、その出来栄えに満足する獣人がいる。

 そして、その出来上がりに美を感じて、自分よりも遥かに短命なヒトのもとに弟子入りして、その技術を習得しようと努める私みたいなエルフもいる。

 森に棲まい、自然のあるがままをよしとしていた同族の慣習からすれば、それにわざわざ手を加えることなど論外なはずだった。

 けれども、森から街に出てみれば、たくさんの種族が、あるところでは我意を貫いて、あるところでは控えて、互いに絶妙なバランスで暮らしを作り上げている。そこには水の高きから低きに流れるようなわかりやすさはないかもしれないけれども、相互の関係で形作られている別個の自然がある。

 それを一層よどみなく、働かせようとする手腕に、私は美しさを感じてしまうのだ。

「たまに手の中で転がしてあげたらいいわ。角の粉がなめしのかわりをしてくれるから」

 店内に戻ると、手のひらに乗せてベルベット玉を観察する私に先生はそう教えてくれた。

 ふと玄関わきの小窓をのぞけば、店の前のなだらかに下る小道を、歩行者の群れにまぎれて歩くジュンロさんの後ろ姿が見えた。

 先生の水際立った装角は距離をおいてもよく目立つ。

 その手並みに気分をよくして、肩で風を切り歩み去っていくジュンロさんの背中を眺めていると、その自慢の角に、どこから飛んできたのだろうか、見事な紫に染まった蝶が羽を休めにとまったのだった。

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