02:設定変更を反映しつつ、読み込ませる文量は同じ
「使う?」
彼女はそう言って、消毒用エタノールが詰まった小さなボトルを、私の手へ押し付けるように差し出した。
缶バッジで飾られた通学用鞄の中へ、紛れ込んだ異物。業務用の大きなタンクで買い求めたエタノールを、彼女は丁寧にボトルへと注いで、霧吹きの頭部分を取り付けて持ち歩いているのだ。
「いらない」
私がそう答えると、彼女はことさら哀しげな顔を作って、私に罪悪感を背負わせようとする。何度繰り返したかも分からない、ひとときの交愛だった。
彼女は決して潔癖症などではない。むしろ、同世代の少女達と比べるに、多分に奔放の性がある。
野山に混じりて竹を取りつつ――とは行かぬまでも、野草を積み、野の花を頭に飾り、蝶を手に留める。少年のように眩く笑って、疲れを知らぬかのようにどこまでも駆けていくのが、常であった。
私はいつも、のんびりと歩いて追いかけていくばかりだ。
目を閉じて彼女を想う度、まぶたの裏に浮かび上がるのは、彼女の笑みでも横顔でもない。たくましくもなんともない、彼女の、何も背負わない後ろ姿なのだ。
私達の関係性が捻じ曲がった理由を、私は克明に記憶している。
とある春の日のことだった。髪を逆立てる強風の中を、私達は肩を並べて――肩を寄せ合って歩いていた。風圧に負けて彼女がよろめくと、私がそれを支える。私がたたらを踏むと、彼女が受け止めて押し返す。他愛なく戯れながら、午後の陽光の中を歩いていた。
林を抜けて開けた場所に辿り着いた時、彼女から手を離された。
彼女はその場にしゃがみこんで、土を掘り始めた。
何をしているのか尋ねると、「埋めてるのよ」という答えが返ってきた。
「誰を埋めているんだ」
「思い出」
「どんな思い出だ」「秘密」
「そうか」
「知りたい?」
「いいや」
「どうして?」
「お前が教えたくないなら、それで良い」
「…………そうね」
私はそこで、彼女への恋愛感情を自覚した。
しかしそれを彼女に告げることはしなかった。私は今の関係に満足していたし、彼女がそれを望んでいるように思えたからだ。その日の夜、彼女は自殺した。遺書には「ごめんなさい」という言葉だけが綴られていた。
私はその時、初めて涙を流した。
それからずっと、後悔を抱えて生きている。
私:『一年前から』
私:『君と出会った頃から、君のことが好きだ』
私:『今も変わらずに』
私:『君のことが好きだった』
彼女は泣きそうな笑顔を浮かべた。
「ありがとう。嬉しいわ」
彼女はそう言って、私を抱き締めた。
私はその時、彼女と心中しても良いと思った。
私:『今でも君は綺麗だよ』
私:『私が死んだら、この花を墓標にしてくれないか?』
彼女:「えぇ、もちろんよ」
彼女:「私もあなたを愛しているもの」
彼女:「あなたと一緒に死ねるなんて、幸せ」
彼女:「あなたのことを、一生忘れない」
彼女:「だから、あなたも私のことを忘れないで」
彼女:「私を好きになってくれて、ありがとう」
私はこの時、彼女を美しいと思った。
彼女は自殺をした。
私はその時、彼女を救えなかった自分を責めた。
彼女の亡骸は、アネモネの花に包まれていた。
私はその時、彼女を殺した自分を憎んだ。
彼女は死んでしまった。
私はその時、彼女を失ったことを嘆いた。
私はその時、彼女と心中することを望んだ。
私はその時、彼女と心中することを願った。
私はその時、彼女と共に死ぬことを望まなかった。
彼女は死んだ。
私を残して。
私:『今はもう』
私:『いない』
私:『彼女はもう、どこにもいない』
私:『この世のどこを探しても、見つからない』
私:『彼女は私を置いて、逝ってしまったから』
私:『あの日、野花の咲く野原で、私と彼女は心中しようとした』
私:『彼女の死体が、アネモネの花に埋もれて眠っていた』
私:『私だけが、残されてしまった』
私:『私は今も、彼女の墓標に花を咲かせている』
私:『彼女はもう、ここにはいないのに』
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