隠居百合
わたしは夫と死に別れて、彼女は独身をエンジョイしていて、けどまあ歳も歳だし体もガタがきているし、お互い助け合いましょうねで行き来しているうちに、なんだか帰るのが面倒になって、結局そのまま彼女の家に転がり込んだのが半年前。そろそろまた年が変わって、まあ2021年? いやねえ時間が速くって、なんていつもの会話でまた今日も終わる。
おやすみ、と言って自室に消える彼女を見送ってから、わたしはまだほんのりと温かい湯飲みをシンクに下げる。もともと夜型のわたしは歳をとってもそれなりに夜更かしで、代わりに朝型の彼女はいつも、最高にカリカリのパンを焼いてくれる。
「家事くらいしか、できることなんてないの」
そういうわたしを、今も現役で企業の重役として名を連ねている彼女は、すごいすごいと認めてくれた。
「うちのことやってくれたら助かるなあ」
甘え上手な彼女にそう言われて、断れるひとなんていないでしょう。横着をして、窓の縁から体を乗り出し洗濯物を取り込んでいると、ひらりと花びらが舞い込んだ。あの人と暮らした家にはなかった、やわらかな薄紅の花に、わたしはしばらくぼんやり見入る。
独居老人の寄り合い、いや、今風に言うのならシェアハウスなのかしら。けどわたしも、粗末ながらに家はあるし、じゃあ何なのと言われたってよく分からない。共同生活というのが一番しっくりくるけれど、わたし宛の郵便物はこの家には届かない。
布団の場所も湯飲みの柄も、何もかもが別々だけど、指先からは同じハンドソープのにおいがする。
この関係は何なのかしら。
歳をとれば悩み事なんてなくなるものだと思っていたのに、八十を超えてなお、少女のように些細なことで悩むことを辞められない。
でも、そんな若いのは心だけね。
わたしは痛む足を押さえながら、ベッドの上でうなだれる。窓と庭との、たった十五センチの段差で、わたしの足はあっけなく折れた。
「こんなときこそ、でしょう」
病院から家に帰ろうとした矢先に彼女に言われて、よく分からないうちにわたしは彼女の家にいた。
家のことができるならまだしも、ただただ世話をやかれるのは肩身が狭くて仕方ない。ネコの世話でもやくように、うれしそうに食事を持ってくる彼女は満足そうだけど、洗い物を断られるたびに、肩のあたりが削られていくような気持ちがすることも、彼女の手料理はそこまで美味しくないことも、なんだかすごく子どもっぽく思えて言い出せない。
みじめな思いに耐えられなくて、ギプスが取れた次の日には、わたしは荷物をまとめていた。
彼女には告げてなかったけれど、もう大人を通り越して長いのだから、今さら子どものように咎められるいわれもない。そう割り切ったはずなのに、玄関先でばったり出会った彼女があまりにも悲しそうな顔をするから、わたしはうっかり動揺する。
「帰るの?」
彼女は表情の抜け落ちた顔で言う。
「だって、こんなに家を空けたらまずいもの」
わたしは彼女から視線をそらし、彼女の手に下げられたビニール袋の中身に気づく。商店街の百均の袋の中には、ペアの湯飲みが静かに二つ、寄り添うように並んでいる。
「最近の百均は質がいいのよ」
いつか、そう彼女に言ったことを思いだした瞬間、目の前に立つきっちり髪をまとめた彼女が、まるで迷子のように見えて、うっかり抱きしめたくもなる。
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