【2分小説】つまみ小説4

湾野

水溶性のモグラになりたい

 東京にはモグラがいる。

 土にもぐる鼻の長いアレじゃなくて、人間によく似た、二足歩行のモグラだ。スクランブル交差点を渡る人たちの中に、かならず一匹はまぎれているくらいの割合でいるらしいモグラを、叩くのが俺の仕事だった。背後からそっと近づいて、片腕をひねり上げる。甘いフリルのスカートで擬態したモグラは、よく見ると五本指の間にうっすら、土をかく膜が張っている。


 モグラがどこから来て何をしているのか、誰も知らない。捕まったあと、どうされるのか俺も知らない。モグラは水に溶けるので、一部のウワサじゃ海に捨てられると聞いたこともあるけれど、本当かどうかはわからない。

「また残業?」

 夜中に帰ってきた俺を、寝間着姿の妻が困ったように迎えてくれる。

「ほどほどにしないと、体こわしちゃうよ」

 そう言って温めた牛乳を出してくれる手はすんなりと白く、水かきのないきっぱりとした指の股に、俺はしらず安心する。

「次の休みにはドライブに行こう」

 俺は努めて明るく提案した。

「湾岸線に沿って走って、アクアラインを渡るんだ。海風が気持ちいいって、同僚が言ってたぞ」


 モグラ叩きは結構しんどい仕事で、三年続くやつは半分もいない。五年目になる俺は割と重宝されがちで、研修だ応援だと、全国出張もざらにあった。ひと月ぶりに家に帰ると、部屋は暗く、妻はもう寝た後だった。冷蔵庫から牛乳を取り出して、温めることなく飲み下す。


 五年勤めたら指導側に回っていいから。そう聞いていたのに、六年経っても七年経っても、俺はモグラを狩っていた。

 不満はあれど、仕方がない。モグラは、どんどん数を増やしていた。昼飯を求めて入った定食屋のカウンターで、となりのやつに水かきを見つけて、俺はグラスを降ろしかけて、やめた。朝に三匹、今週はもう五十を超えるモグラを捕まえていた。昼くらい、休ませてほしかった。ぬっと伸びてきた肉野菜定食の湯気が鼻をくすぐる。どうも、という声は、運んできた店員の指を見て消える。モグラの手で運ばれてきた定食は、さっきと何も変わらないはずなのに、鮮やかだったはずのニンジンが、どんどんと冷たくなっていく。


 二か月ぶりに帰ってきた家で、妻は机に座って待っていた。テーブルの上には外された指輪があって、俺は無感動に正面に座った。

「構えなくて、すまない」

 妻はゆるく首を振った。

「入らなくなっちゃったの」

 広げられた指の間には、彼女の顔よりよく見た膜が、うっすらと張っている。


 キャリーケースひとつもって、妻は出て行った。俺は妻を捕まえなかった。テレビをつけると、膜の張った指でタレントが手を叩いて笑っている。スマホが震えて、ホシの確保を要請する。通話を切って、俺は自分の手を見つめる。

 膜のない指のすき間から、海に溶ける妻の後ろ姿が見えた気がして、俺はかたく目をつむって顔を押さえる。

 目じりからにじむ涙に触れ続けたせいか、しだいに小指がふやけていって、形をうしない溶けていく。

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