第二話 夜空を飛ぶ
エルズワース家――もとい、オズワルド特製の空飛ぶ馬車に揺られ、夜間飛行を楽しむ。
冷たく乾燥した空気のゲシュニット領では星がキラキラと宝石のように瞬いて、まさに星降るにふさわしい見事な夜空であった。
オズワルドはマリアベルの腰を抱き自らの身体にもたれかからせる形にすると、明日は忙しくなるのでゆっくりやすむよう声をかける。
その手には丸い木箱のようなものが握られていた。
「秘匿魔箱、でございますか? 急ぎのご依頼でしょうか?」
「いや、仕事ではないんだ。私事、というか……、今日までに何とかしようと全力を尽くしたのだが。なんなんだこれは。オーパーツを相手にしている気分だよ」
「まあ、オズワルド様ですら手こずる箱が存在しただなんて。さぞ難解な仕掛けばかり施されているのでしょう。あまりご無理をせず、休息はとってくださいましね?」
「ありがとう、マリアベル。本当、何を考えてここまで厳重にしてしまったのか。これを仕舞った奴をぶん殴ってやりたいくらいだよ。この僕が魔法でなく物理だぞ、物理。はぁ……」
彼は秘匿魔箱を掲げると盛大なため息を吐いた。
見たところ開錠の一歩手前まではきているのだろう。さすがは天才オズワルド・エルズワースである。しかしこの箱の厄介なところは最後まで完璧を要求するところなのだ。道筋通りに進まなければゲームオーバー。
つまり一手でも指し間違えれば最初からやり直しになる。
魔法操作が苦手な者や知識の低い者が作った箱ならばそこまで厳格ではないのだが、オズワルドが手こずっている所を見ると随分優秀な魔導師が作った逸品なのだろう。
まさにオーパーツと言っても差支えない程に。
「僕は必ず打ち勝ってみせる。だから、どうか見ていてくれ、マリアベル」
「はい。夜通し応援致しましょう!」
「……いや、言い方が悪かった。ちゃんと寝てほしい」
オズワルドはマリアベルの頭を撫でると困ったように笑った。
「しかし、それではオズワルド様が」
「これは僕の意地とあ、あ……――の、ためだから、気にしなくていい」
「ああ? でございましょうか。申し訳ございません、よく聞き取れなくて……」
「いや、だから、その……あ、あ……」
マリアベルがじっとオズワルドの顔を見つめたまま首をかしげると、彼は恥ずかしげに顔を逸らした。耳だけでなく顔中真っ赤に染まっている。マリアベルがオズワルドの婚約者となったあの日から、傍から見れば赤面してしまうような行動も平然とやってのけていたはずなのに。最近は目を合わせるだけで照れることが多くなった。
何かあったのだろうか。
「あの、おっしゃりにくいことでしたら、無理にとは……」
「そういうわけではないのだ! あ、愛! の、ため、……に……」
最後の方はもはや言葉にならない程か細いものだった。しかしそんな事はどうでもいい。愛だ。愛と言ったのだ、あのオズワルドが。
一瞬馬車が揺れたのは、きっとヴィントが動揺したせいであろう。魔力を与えられ職務を命じられた精霊が乱れることなど本来ありえない。それもヴィントは大精霊。そんな彼が一瞬であっても心を乱したのだ。愛の一言で。
「ったく。あいつには後で仕置きだな」
右手でくるくると箱を弄るオズワルド。
――マーガレットへの手土産、かしら。
切なげに目を細めてほんの少し彼から距離を取る。するとすかさずオズワルドの手が伸びてきてマリアベルの肩を抱いた。
「ど、どうして距離を取るんだ? 眠るなら壁などより僕の肩を使え。何だったら膝でもいい。君のためなら二十四時間空けておこう!」
「いえ、わたくしなどのために、そのような」
「何を言う。君が僕を支えてくれるように、僕も妻である君を支えたいと思うのは全くおかしなことではないと思うが? ほら、おいで。マリアベル」
ぽんぽんと膝を叩いて膝枕を勧めてくる。マリアベルの膝をオズワルドが使うことはあっても、逆は今まで一切なかった。善意しかない真っ直ぐな瞳で見つめてくる彼に、マリアベルは頬を染めて首を振ることしか出来ない。
国への書類提出が出来ていないだけで、夫婦と言っても差支えない間柄だ。しかしながら元々はこの世で最も敬愛する憧れの新域魔導具の生みの親。彼に膝枕をしてもらうなど心の難易度が高すぎる。
「嫌、なのか?」
「い、いえ! そうではなく……」
「ふふっ、意地悪をしたな。すまない。君の顔を見ていればわかるさ。やはり表情が分かるというのは良いものだ。さぁ、もう夜も更けている。目を閉じて。着いたら起こそう」
「……はい。オズワルド様もご無理をなさいませんよう」
「ありがとう。分かっているよ」
優しい声に誘われてマリアベルは目を閉じた。カタカタと馬車の揺れる音と風を切る音だけが耳を通り過ぎていく。秘匿魔箱の解析をしているはずのオズワルドはあまりに静かだった。衣擦れの音すら聞こえてこない。それほど集中しているのだろう。
ゆっくりと、意識が微睡の淵へ落ちていく。
「すべてが終わったら、君に伝えたい事がある。だから、もう少しだけ待っていてくれ」
穏やかなその言葉はまるで子守歌のようであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます