仮面を捨て、あなたと共に

第一話 マリアベルの迷い



 ちく、ちく、と針を通して縫い付ける。

 裾に花の刺繍をあしらえた黒のレース。それを使って顔を隠すためのベールを作っているのだ。顔の火傷は随分と目立たなくなった。さすがは天才オズワルド・エルズワースが一から構築した薬。化粧をすれば昔と遜色のない肌にまでもっていくことができる。

 オズワルドやヴィント、エレマン、時折尋ねてくるアーロン相手であれば、もはや仮面を付けずとも対応できるまでになった。しかしそれでもまだ、人前に顔を晒すのは少しだけ怖い。ゆえのベールだ。



「……本当に、これでいいのかしら」



 マリアベルはふうとため息をついた。

 明日、城へ出向けばオズワルドの正式な妻として受理されてしまう。


 不満などあるはずもないが、不安ならある。王太子殿下の婚約者であるマーガレットのことだ。オズワルドにとって生涯忘れ得ぬ最愛の人。喉から手が出るほど羨ましい存在。

 けれどマリアベルの願いはオズワルドの幸せただ一つだ。

 嫉妬も妬みもすべて飲み込むと決めていた。


 彼女は一度手を止め、ドレッサーの鏡を眺める。

 映るのは今生の美を追求した人形ですら裸足で逃げ出すとまで言わしめた美少女――の成れの果てだ。

 もし、もしも。美しいと褒めそやされたあの頃に少し近づけた今ならば、これを使ってオズワルドの隣にマーガレットを連れてくることも可能かもしれない。


 ほの暗い感情が腹の底からせり上がってくる。


 王太子殿下はマリアベルの顔がいたくお気に入りだった。

 小さな頃、初めて出会ったお茶会で、髪も肌も瞳も唇も、つたない言葉で必死に褒めていただいた事を思い出す。そう、内面には一切触れず、ただ顔が美しいと褒めそやしていた。

 結局彼も表面に張り付いた皮を気に入っていたに過ぎない。

 だからこそ、甘く囁けば手のひらで転がす事だって――。



「マリアベル、いるか?」



 オズワルドの声だ。ハッとして入り口を振り返る。



「は、はい! ただいまそちらへ!」



 駆け寄って扉を開けると、穏やかな顔をしたオズワルドが立っていた。



「今晩王都に向けて出立する。準備は出来たか?」


「……はい」


「そう不安がらずとも、僕が傍にいる。嫌なことがあったらすぐに伝えてくれ。回避できるよう、尽力する」


「ありがとう、ございます。オズワルド様」



 ふいに手が伸びてきて、マリアベルの顔に触れた。

 オズワルドはいつもいつも、嬉しそうにマリアベルの頬を撫でる。その顔を見ているとなんだか心がくすぐったくて、これほどまでに優しく献身的に支えてくれた彼に対する敬愛とも相まって溶けてしまいそうになる。



「ふふ」


「どうかなさいましたか?」


「いや、なに、出会った頃ならば僕に迷惑がかかるなどと言って無理をする気でいただろう? 頼ってもらっているのだと自惚れてもよいのか、とね。夫冥利に尽きる」


「それは――……ええ、確かにおっしゃる通りかもしれません。なにもかも、オズワルド様のおかげですわ」



 気味が悪い、おぞましい化け物、そう言われ続けた古傷が綺麗に消えたわけではないが、婚約者としてこの屋敷に連れてきてくれたおかげで、優しい人々に出会い、呪いのように醜く爛れた顔も人の肌を取り戻せた。それだけではない。甘えれば見捨てられると怯えていた心も雪解け、誰かに頼っていいのだと思えるようにまでなった。

 すべて、すべて、オズワルドのおかげだ。

 これ以上望むのは傲慢というもの。



「顔色が悪いな。やはり、まだ僕たち以外に顔を晒すのは怖いか?」


「王宮へ行くとお伝えいただいた時から覚悟は決まっておりますわ」


「しかし、だな」



 オズワルドはテーブルの上にあるベールを見て眉を顰めた。



「君は美しい。――が、僕や精霊であるエレマン、ヴィントがいくら言ったところで君の心には響かないだろう。もっと、一般的な感性の……そうだ。アーロンに連絡するか! あいつはそういうところは一般的だからな。君の見目がどれだけ美しいか素直に褒めそやしてくれるはずだ! よし、すぐに呼ぼう!」


「お、お待ちくださいオズワルド様。もう夜も更けてきておりますし」


「問題ない。あいつならすべて放り出してくる」



 なんの疑いもない真っ直ぐな瞳。

 確かにアーロンならば、オズワルドの頼みを断ったりはしない。どんな無茶無謀でも「兄様のためならば!」と引き受けてしまう盲目さがあった。しかしそれはマリアベルとて同じこと。わたくしだってオズワルド様の頼みならば雨が降っていようが吹雪いていようが、あなたのもとに駆けつけますわ――と少しだけ張り合う。



「いや、それは駄目だ! 危ないだろう! 君に用事がある時は僕が直接行く。だからそんな無茶だけはしないでくれ!」


「は、はい……」



 思わぬ剣幕で止められてしまった。

 オズワルドは生粋の人嫌い。手の内まで囲い込んで庇護下に置く人間は極少数だ。しかしその分彼のお眼鏡にかなった者たちに対しては過保護気味であった。

 気安く顎で使っているようにみえる弟アーロンであっても、彼が窮地に陥った際は何をしているんだと叱りつつも己の持てる力すべてを使って一から十まで面倒を見るだろう。

 彼はそういう人だ。


 ただ、マリアベルに対する過保護っぷりはその比ではなく、アーロンと頻繁に連絡を取り合うようになってからは、殊更酷くなっている気がした。

 逐一マリアベルのことを気にし、何もしなくて良いからただ健康にあってくれとばかりに甘やかす。


 オズワルドの言葉はさながら蜂蜜のようだった。

 すべてに頷いてしまえば溺れるほどに沈んでいき、どろどろのシロップ漬けになってしまいそうな気さえする。


 さすがにそんな自堕落な生活を送るわけにはいかないので、エレマンやヴィントと一緒に屋敷の管理などをこなしていた。

 大精霊と一緒ならば危険などあってないようなもの――だというのに、それでもオズワルドは「もっともっと僕に甘えればいいのに。僕以外、目に入らないくらいにな」と少し不服そうであった。

 もう十分すぎるほどに甘えて、溺れてしまっているというのに。 


 

「夫婦となるのに他人からの承諾が必要なのは煩わしいが、これでようやく名実ともに君を妻として縛り付けておける。頼むから、僕の傍から離れようなどと思わないでくれよ。では、馬車の準備が出来たら迎えに来る」


「……はい、オズワルド様」



 ぱたりと閉じられた扉の前でマリアベルは彼の言葉をかみしめていた。

 僕の傍から離れようなどとは思わないでくれ。――ああ、こんな言葉をかけてもらえるほどに心を許していただけている。このまま、何も知らぬふりをして彼の妻として傍にいたい。捨てられる覚悟は当に出来ているはずだった。

 それなのに愛される幸せを知ってしまった。



「わたくしは、どうすればいいの……?」



 扉に手を置き問いかける。

 答えは返ってこない。返ってくるはずもない。

 ゲシュニット領の冷たい風が、かたかたと窓枠を震えさせる。その音だけが部屋には響いていた。

 

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