第十二話 煽り耐性の低い兄とブラコン弟
まだ頬は赤いままだが、少しは頭が回るようになってきたらしい。オズワルドは額を抑えながら苦虫をかみつぶしたような表情でアーロンを見た。
「僕にとってあの手紙は唯一の宝物だった。何度も読み、内容も文字の形も暗記した。そんなある日、僕は思った。この手紙を劣化せずに保存する方法はないものか、と」
「いきなり雲行きが怪しすぎるんだが」
「そこで目を付けたのが秘匿魔箱だ」
「さすが兄様、人の話を聞かないな!」
秘匿魔箱とは魔法を使った盛大なからくり箱だ。
特異な文様を掘り込んだ木の棒や石で箱を組み、そこに魔力を流すことで密封する。魔力にはパターンがあり、細やかな操作が得意な魔導師ほど強固な箱がつくれるのだとか――アーロン自身は細やかな魔法操作は苦手なので「名前を聞いたことはあるが」と首をひねった。
古来より大事なもの、人目に触れさせたくないものなどを保管する目的で使用されており、開封時の難易度が高ければ高いほど中の鮮度も保たれる。魔法に精通するオズワルドは幼少期からこの手の依頼を受けることが多かった。逆を言えば現代の魔導師で彼以上に詳しい者はいない。
「あの時の僕は尋常ではなかった。頭は冴えに冴え、ともすれば神の領域に足を踏み入れたと言っても過言ではない程だった。よくゾーンに入るなどと言うが、恐らくそれだったんだろう。まあ何が言いたいかというと――」
オズワルドはこほんと咳払いを零した。
「今の僕でも開錠に最低一カ月はかかる」
「兄様は馬鹿なのか?」
さすがに今度は口に出た。
今の彼でも最低一カ月はかかるとなると、一体何千年保管するつもりだったのだろう。歴史的資料ではないんだぞ。努力の方向が間違っている。流石のアーロンも盛大なため息をつかざるを得なかった。
「そ、そんな顔をするな。僕だって褒められた事ではないことくらいわかっている」
「ええいこうなったら兄様がなんとか普段通りに対応するしかないだろう。俺の兄様ならば何食わぬ顔でいつも通りに接することくらい容易いはずだ!」
力強く言い切れば、オズワルドとヴィントから冷ややかな視線を向けられる。それができるのなら苦労はしない、といった顔だ。
「アーロン様も大概坊ちゃん大好きやんね。どっから湧いてくるんやその自信。……まあええわ。ほな一回練習してみよか」
ヴィントの姿が一瞬砂嵐のようにうろんになり、次に視認できたときにはマリアベルの形になっていた。煌めく銀糸の髪、落ち着いた青い瞳といった見た目だけではなく、立ち姿まで彼女そっくりである。
精霊は姿形を好きなように弄れると聞いた事があるが、一切違和感なく化けられるとは驚きだ。普段は軽薄な男であるが、こうして力を見せつけられるとやはり人外なのだと認識させられる。兄の幻術も凄いが、あれは周囲の錯覚を利用してのもの。身体自体変化させる彼の術は目を見張るものがある。
「オズワルド様」
「ほう、声までそっくりなのか。これは凄い。なあ兄様!」
楽しげに振り向くアーロンだったが、兄の様子を見て目が点になった。
「あ、ぅ、……ぁう……あ、……ッ……!」
「赤ん坊か!」
「ぐぅ……」
隠れるようにアーロンの服の裾を掴み、頑なに目を合わせようとはしない。
ヴィントが化けた姿だと分かっていてこれなのだ。本人を目の間にしたら倒れてしまうのではないだろうか。想定よりも大分重症だ。酷すぎる。精霊たちが真実を伝えようとしなかったわけだ。
「ほらあ、これはアカンって」
「マリアベル殿の顔でヴィンちゃんに戻るのはやめてくれ。脳が混乱する」
「へーい」
さっと元の姿に戻ったヴィントは「で、どないするん?」とアーロンを見上げた。
どうするもなにも、頑張ってもらう他ないだろう。
こうやって服の裾を握られたままというのも頼られているようで悪くはないが、それはそれだ。この状態の兄をマリアベルの前に出すわけにもいかない。かといってあまり時間をかけすぎていると、心配した彼女とエレマンが探しにきて鉢合わせだ。
アーロンは人差し指でトントンと頭を叩き考える。
取れる選択肢は少ない。その中で一番勝率が高く、なおかつ今後も問題なく過ごせるようにするには――うむ、これしかない。アーロンはオズワルドの肩を掴んで、じっと彼の瞳を見つめた。
「兄様。兄様がマリアベル殿のことをどれほど大切に思っているか。そして、Мの君にどれだけ救われたか。ようく分かった。しかしだな、今この態度でマリアベル殿に接すればどうなるかくらい、兄上も分かるだろう?」
「……避けられている、と感じるだろうな。僕が悪いのに、自分の責任だと……」
「それはマリアベル殿を悲しませることになる。兄様はそれでいいのか?」
「……駄目、だ。駄目だと分かっている。しかし、分かっていてもこの感情を抑える術を僕は知らないんだ」
オズワルドは神妙な面持ちで首を振った。
これはなかなかに根深い。――アーロンは眉をしかめた。
兄はプライドの高い男だ。
一度口に乗せた言葉を反故にはしない。絶対にだ。今までどれだけ無謀と思われることでも彼が「出来る」と言えばそれは全て真実になった。有言実行。口に乗せさせすればどのような内容でもやり遂げる。それがオズワルド・エルズワースなのである。
今までの無茶無謀に比べれば、奥方と今まで通り接する事など茶を入れるより簡単なはず。ヴィントもそれは分かっているだろう。しかし、気難しく頑固な彼を正解まで導くのは至難の業だ。いくら感情に訴えたところで、彼自身がどうしても無理だと判断しているのなら曲げようがない。戦う前から白旗濃厚。負け戦だ。――と、諦めるのが普通の人間である。しかしアーロンは実弟。赤の他人と同じにしてもらっては困る。幼い頃からずっと見てきたのだ。兄のことは良く分かっている。
彼は心の中で勝ちを確信して微笑んだ。
「そこまで理解しているのなら、どうすればいいのか頭の良い兄様なら分かるだろう?」
「これは頭で考えてどうにかなる問題では――」
「なんだ。こんなこともできないのか。何でも完璧にこなすと思っていたが、俺の勘違いだったらしい。悪かった」
「なんだと」
「いやいや失礼。今のは失言だ。兄様とて人間。できぬこともあろう。いやはやしかし、兄様にも可愛らし一面もあったものだなぁ!」
「口を慎めアーロン。僕はオズワルド・エルズワース。できぬ事などない!」
「つまり、マリアベル殿の前で普段通りに振るまうことも?」
「できる!」
「それでこそ兄様だ!」
ヒュウ、とヴィントが口笛を鳴らす。
同じ家で生まれ、物心ついた時からずっと彼を見てきた、血のつながった兄弟なのだ。いくら性質が近かろうと従者などに負けたりはしない。アーロンは誰にも聞こえないほどの小さな声で「当然だ」と呟いた。
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