130.矯正


 ライクベルンの人間でマイヤという名前だ。

 あの子供……アルフェン君がそう言い『思い出さなくていい』と立ち去って行った。

 私達夫婦は彼と魔人族の背を見ながら呆然とし、


 「まぁま、ぱぁぱ」

 

 息子の不安げな声でハッとなり、家へと戻った。

 少し冷めたシチューを見ながらハーリィがぽつりと呟く。安堵と困惑が入り混じった表情で。


 「いったいなんだったんだ? 潔く引いてくれたのは助かったが……」

 「そういう言い方はダメよ……あの子、泣いていたじゃない……」

 「……そうだな。嘘をついているとは思えんが、信じられるか?」


 私の目を見て息子と同じ不安げな顔をするハーリィ。

 もしそうだとしても夫と子供を置いてどこかへ行く選択は……きっと取らないと思う。彼の優しさは時に脆さでもあるなと胸中で笑っていると――


 (マイヤ!)

 (はい……! 申し訳ありません、旦那様、奥様!!)

 (うわ!? 離してマイヤ!?)


 「う!?」

 「どうしたフォーラ!?」

 「だ、大丈夫よ……少し、思い出した、だけ……」

 「な、なんだって……!?」

 「私はあの子の言う通り、マイヤという名前……みたい……ああ、なんとなく覚えが……」

 

 一瞬だけ浮かんだ記憶の私は、大雨の中アルフェン君を抱え、身なりのいい人達からの指示でどこかへ逃げているところだった。

 川へ流された理由はこの後にあるのかもしれない……そう思い目を瞑ると、椅子から転げ落ちんばかりの勢いで抱きしめられた。


 「ハ、ハーリィ……?」

 「頼む、これ以上は止めてくれ……」

 「だ、大丈夫よ! どこかに行ったりしないって」

 「頼む……」


 はあ……

 いくらなんでも怖がりすぎだと思う。愛してくれているのだろうけど、少しはこちらを信じて欲しいのになとため息を吐く。


 「わかったわ。とりあえず思い出しちゃうことはあるかもしれないけど、それは勘弁してね? それと名前も今日からマイヤでお願い」

 「い、いや、それは……」

 「ダメってことは無いわよね? 元々記憶が無かったんだし、本当の名があればそれを使うのは当然よ」

 「……分かった。マイヤ、だな」

 「ハーリィ?」

 「ん? ……君の気持ちも考えるべきだったな。少し頭を冷やしてくるよ」


 私の言葉に渋々頷いた彼は目を合わせないようにして家から出て行った。

 名前は変わっても私は私なのに……

 なにをそんなに恐れているの、ハーリィ?


 ◆ ◇ ◆


 「……気が済んだか?」

 「ああ、悪いねみっともないところを見せて」

 「気にするな。お前が泣くのは初めて見たな。誘拐された時でも泣いていなかったのに」

 「あー……」


 恐怖というのは慣れもあるがある程度克服できるものだと俺は思っている。

 『絶対的な死』を目の当たりにした時は別だが、手足が動き、頭が働くなら泣いているよりも動け、というのが信条である。


 だけど悲しさ、寂しさというのは頭で分かっていてもそう簡単にはいかないもので、さっきの場面はどちらかといえば映画などで感動して涙を流すのと似ていると思う。感覚なのだ。


 「んー、折角だし夜の海でも見に行こうか」

 「付き合うぞ。酒でも飲むか?」

 「はは、それは止めておくよ! まだ商店も開いているし、果実ジュースでも飲もう」


 ま、タバコがあれば吸いたいなと思う気分だが、無いものねだりはできないので適当に海へと向かう。

 

 そろそろ到着かと思ったその時――


 「おい、待て小僧!」

 「ん?」

 

 背後から声をかけられ振り返ると、そこにはマイヤの旦那が怒りの表情を見せて立っていた。一体何の用だと頭をひねっていると、激高しながら俺へ指さしながら口を開く。


 「お前のせいでフォーラがおかしくなった……! 人の家庭を壊して楽しいのか! ええ?」

 「確かに俺が引っ掻き回したかもしれないけど、記憶は戻っていないし別に連れて行くわけでもないけど……さっきの今でなにかあったのか?」

 「記憶を取り戻したらどうなるか分からないだろうが……! 故郷に帰りたいと言い出すかもしれない!!」


 いきなり殴りかかって来たハーリィ。

 俺はそれを受け止めてから片目を瞑って質問する。


 「な!? う、動かない、なんて力だ……!?」

 「故郷へ戻りたいかどうかはマイヤが決めることじゃないか? 俺がきっかけかもしれないが、ふとした瞬間に記憶を取り戻してそう言い出してもあんたは『帰らないでくれ』と懇願するのか?」

 「う、るさ……い!」

 「うるさいだと? ふざけているのか?」

 『アルフェン……?』


 グラディスが俺の声色が変わったことに違和感を覚えたのか名前を呼んでくる。

 だが、俺はこいつの考えがなんとなく解り、苛立っていたのでそのまま話を続ける。


 「マイヤは間違いなくお前の奥さんだ。でもあんたはマイヤを束縛しようとしていないか?」

 「マイヤと呼ぶなぁ!! ……げぶぇ!?」


 そう聞いた瞬間、俺はハーリィの腹を思い切りぶん殴っていた。

 この一年、冒険者として活動し、騎士の訓練もやっていたのでそこらの大人よりは強くなっているので勢いよく吹き飛んだ。

 静かに近づきながら俺はこいつに聞く。


 「フォーラと名前をつけたのはお前か?」

 「そ、そうだ……!」

 「てめぇはてめぇの満足感のためにマイヤを縛るのか! ふざけんな!」

 「ぐあ!? な、なにを……」

 

 俺が蹴りを入れると転がりながら動揺した声を上げる。

 

 「お前が助けてくれたのは商店のおばちゃんに聞いた。それは物凄く感謝している。俺の姉代わりだった人を助けてくれたんだからな。

 だが、マイヤの記憶が戻ることを嫌がり、名前を変えさせないつもりなら話は別だ、今、ここで魚の餌にしてやってもいいとさえ思う」

 「小僧になにが分かる……!」

 「分かるさ。マイヤが自分の元から居なくなるのが怖いんだろう? だから思い出すな、俺と関わるなとでも言ったんじゃないか?」

 「……」


 だんまりってことはビンゴってことだな。

 それが間違いだってことを俺はこいつに告げねばならない。


 「記憶が無くなってもマイヤはマイヤなんだ。それなのに思い出そうとしているのを止めるってことはマイヤを殺すのと同じだとなんで思わない?

 あんたの前に現れたのは記憶が無い『フォーラ』だったが、記憶を取り戻せばマイヤになる。それは受け入れないといけないんだ。

 もうウチのメイドではなくハーリィの奥さんだと俺が認めなくてはいけないのと同じこと。

 それでもライクベルンで産まれて、母のメリーナの娘である事実は変わらないんだ。それを偽り、自分の満足のために引き止めるのか旦那のあんたが!」

 「う、ぐ……そ、そんなつもりは……」

 「なかったかもしれないが、今のあんたは俺やマイヤにそう言っているんだ。わかるか?」


 倒れたハーリィに膝をついて目線を合わせると、ゴクリを喉を鳴らして黙り込む。

 しばらく睨みつけていると、ポツリと呟いた。


 「……お前の言う通りだ……俺は彼女がフォーラという人間が居なくなるのが怖かった。思い出したら去るのではと、付き合っている時からずっと思ってたんだ……」

 「あんたはマイヤを愛しているか?」

 「……? 当たり前だろう」

 「なら、記憶が戻ろうが戻るまいが彼女は彼女だろう? で、あんたと結婚しで子供も居る。それはマイヤが望んだからだ。記憶が戻ってもその事実は変わらないだろう?

 マイヤの性格ならそれはそれ、これはこれで済ませると思うけどな」

 「よく、知っているんだな……」

 「まあ、赤ちゃんの時から世話になっていたしな」


 俺はハーリィを立ち上がらせて傷を癒す。

 不安であろう気持ちは一割……いや0.1%くらいなら分からんでもないが、


 「どちらにせよ、マイヤの記憶が戻ったら嫌だというのは我儘だ。引っ掻き回した俺が言うことでもないし、あまり思い出さない方がいいというのは確かにある」

 「アルフェンといったな。お前とマイヤは一体……」

 

 気が治ったこともだが、俺達のことを不思議そうに尋ねて来たので知っておいてもらうことにした。


 「そんな、ことが……ではフォーラ……いや、マイヤの母は」

 「多分、俺の両親と一緒に。どうなっているのか見に帰るつもりだけど、危険だからどのみち連れて行くことは無いよ」

 「そうか……」

 「泣くなよ、マイヤが気持ち悪がるぞ」

 「そ、そうだな。お前にはそんな辛いことがあったのに俺は自分のことばかり。そりゃ怒りもするな」

 「そういうこと。また顔を出すから、ちゃんとマイヤを幸せにしておいてくれよ」

 「任せてくれ」


 すぐにわだかまりが解けたのは良かったと思いつつ握手をする。

 さっきまでと違い目に光が宿っているので、もう心配する必要もないだろう。

 

 「それじゃ、いつかまた」

 「……分かった。本当にすまなかった」


 そう言って帰っていく足取りは力強かった。

 そこでずっと黙っていたグラディスが俺を肩車しながら言う。


 「あれで良かったのか?」

 「ああ。まあ、本当のわからずやならぶちのめして、一度引き返してでもイークンベルの屋敷に預けるつもりだったけどな」

 「はは、アルフェンらしいな」

 「でもずっと黙っていたのはなんでだ?」

 「……早くて言葉があまり判らなかったというのもあるが、アルフェンの姉代わりだった人のことだ。俺が立ち入ってはいけないと思った」


 相変わらず気の使い方が上手いな。

 我儘と我儘がぶつかり合っただけなので、呆れていた可能性もあるが。


 「俺が女だったら惚れてるぞ」

 「フッ、アルフェンみたいな無茶なヤツに惚れられるのは恐ろしいな」

 「なんだよ!?」


 俺はグラディスの頭をゴツゴツ叩きながら抗議の声を上げる。

 色々あったが、明日出発しよう。

 マイヤが生きていたことが分かっただけでも、良かったのだと思うことにして俺は安堵しながら眠りについた――

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