或る老騎士の死

カゼタ

第1話

 戦支度に飛び回る兵達の戦塵に煙り、勇壮な兵士の騒めきに包まれ、煌びやかな家紋を捺した帷幄には、歴戦の威風堂々とその戦旗を西風に靡かせている。かつて王国を何度もその危機から救った、白地に薄桃色の林檎の花を3つ象った家紋の大旗の隣には、先代国王より下賜された、赤地に黄金色で染め上げられた百合の紋章の大旗が並んで翻っている。血気盛ん、まさに戦に挑まんとする兵士達は、不思議と高齢な者ばかりであったが、皆、王国では「英雄」と称される宿将、レオン伯ラモン・アルメイダ・ヴァレンテの麾下の精兵であった。


 帷幄内部には、2人の老将、ロッコとエミリオが向かい合い、その雰囲気に似つかわしく無い重苦しい空気と、無念を顔に浮かべていた。しかし、その奥に鎮座する主将の燻らす煙管の紫煙と、その主将たるラモンの顔のみは、むしろ軽妙な柔和さを持って燻っている。彼等は揃って、彼等の運命を決定付ける報告を待つ身であった。



 赤地に黄金百合を戴く王国は、その国土を険しい山脈に囲まれ、金・銀・銅・鉄などの鉱物資源や、山脈に端を発する豊かな川や湧水などの水源、良質で肥沃な土地に恵まれた平野に位置している。東に大陸一の大国たる、双頭の鷲を象徴とする帝国の侵攻を阻む幅20メートルの峠道に設けた砦、西へは優れた先進技術を持つ、オリーブの葉を紋章とする共和国へ続く幅1キロの谷に城が広がっており、豊かな国土を狙った両国の侵攻を幾度も退けていた。


 西方共和国とは、やがてその向こうの海を越えた大規模貿易の中継地として、ここ100年来は盟友として、西部戦線はキャラバン隊の護送の他には治安維持が重要な仕事となる、平和地帯であった。


 翻って東方帝国には、帝室に殺戮と粛清の嵐を齎らし、その権力を一手に握った、軍事と政治の傑物たる皇帝の出現を迎えてしまった。当然、発展する帝国を支える資源の供給地として、肥沃たる王国の国土を狙う事となる。

 更に間の悪い事に、王国は壮年の国王の急逝により、僅か5歳の新王が即位して間もないという、不安定な政治事情も抱えていた。

 これを好機と見た帝国は、王国軍に5倍、10倍する戦力を整えて、30年の間、実に12度もの親征を敢行した。王国もその都度、幼き国王自らが陣頭指揮を取り、防戦に努め、その全てを悉く撃退してのけることに成功した。ついには帝国側のレオン平野における騎兵突撃で、皇帝を討ち取るという大殊勲を挙げたのが、当時第3師団長のラモンであった。


 平民出身ながら王国無双の槍使い、剣士として名を馳せ、わずか30歳にして師団長に登り詰めた彼は、5歳にして王国を継いだ幼王をよく補佐し、教え導き、無類の忠節を捧げた。王もラモンに絶大な信頼と友情を持ち、苦しい戦況の中でその才覚を著して行った。

 成長した賢王の才覚と、齢六十にして衰えぬラモンの軍事能力が、ついに奇跡を呼び込む。

 帝国軍侵攻途上、帝国領内レオン平野に於いて、乾坤一擲の会戦を挑んだのだ。王国軍5千に対し、帝国軍4万8千。30年目にして初めての大規模会戦、しかも国王自らがノコノコと率いている事に目が眩んだ皇帝は、確実に包囲殲滅すべく、薄く広く陣を敷く。それを見て取ったラモンは、第3師団麾下の精鋭騎士1千で本陣目掛けてまっしぐらに突喊、自ら皇帝の親衛隊に斬り込み、見事皇帝の首級を挙げた。絶対君主たる皇帝を喪った帝国軍は、たちまちのうちに崩壊し、四散五裂、各地に軍閥を作って内紛に覆われてしまい、永きに渡った東征はここに止んだ。


 その功績を讃えられ、功績の地・レオンの名を取り一代貴族、レオン伯爵に叙されたラモンは、麾下の第3師団と共に、それから20年もの間、東の砦を守り続けた。王国中から、英雄としての尊敬を一身に集めながらも、既に80歳という高齢を迎えていた。



 しかし、強すぎる光は、暗き闇すらも引き寄せる。ラモンの友であった賢王も、その父と同じく壮年で亡くなってしまったのだ。賢王の弟が第一王子の、ラモンは第二王子の傅役を勤めていたが、賢王からは王位を第一王子へと継承させるべし、との遺言を預かっていた。残念ながら残された2人の王子は、王位継承で意見の一致を見る事なく、王国に内紛の危機が訪れた。


 心痛めたラモンは、2人の王子の仲裁に乗り出し、その仲立ちで内乱は回避され、第一王子が新王に、第二王子が第3師団と東の守りを預かり、ラモンはついに隠居として、西の城の守りへと入る事となったのであった。

 そこからの5年間は、ラモンの人生の中でも、一番の平和な時期であった。なにせ、相手は帝国軍ではなく、時たまに出てくる夜盗の類である。豊作も続き、資源も限りなく湧いてくるようであったため、益々本国の力は増して行った。

 軍事力の増強も図られ、王都駐留の第一、第二師団はそれぞれ各5万、東方砦の第3師団は3万となっている。西方については据え置きで、500の守備兵のみとされた。

 西方は新兵を鍛える練兵場の役割もあったため、ラモンは後続の育成に勤しんだ。しかし年齢もあって、やはり全盛期には遠く及ばない体力になってしまっていた。


 すっかりいいお爺ちゃんになってしまったラモンであったが、政治は常に狡猾に、ヘビのように蠢いている。


 先帝の死から25年、帝国は徐々に力を取り戻しつつあり、一部先走った諸侯の侵攻が始まっていた。東の砦には帝国の襲来が始まりつつあった。

 一方、豊作続きで価格の下がった農作物について、西方共和国との間で貿易紛争が持ち上がってきた。どうも宰相が下手を打ったらしく、共和国は激怒し、3万の兵を王国へ差し向けたとの情報が、ラモンの元に届いた。

 城の守備兵はせいぜい500人ほど、しかも新兵がほとんどであるため、当然ラモンは本国へ援軍要請を行った。


 その返答は驚くべきものであった。

 曰く、「レオン伯ラモンには、近年西方共和国の反乱分子と結託しての謀反の企みあり。よってその爵位を没収し、これを逆賊として討伐せしめん。西方共和国軍は、そのための援軍であるため、共同して討滅にあたるものなり。」



 やられた。昵懇の仲たる第二王子の第3師団が動かせぬ今、各個撃破を狙った策略を、いつの間にか新王は巡らせていたらしい。

 何度も弁明の使者を派遣、それから第二王子へ、国を割らぬため、援軍無用との使者を申し送ったが、弁明の使者は首のみとなって帰還、第3師団からは、かつてレオン平野で共に突撃を敢行した、第5騎士連隊1千名が、昼夜を問わぬ強行軍で、昨日とうとう駆けつけてきたのであった。


 翌日、つまり今日、遂に本国の第2師団5万が東方に、共和国軍3万が西方に、その姿を表したのである。

 あたら若い命を散らすこともなしと、まずは第2師団へ使者を遣わし、投降する者の受け入れを確約させ、守備隊の新兵達を第2師団へ向かわせたのであった。



 やがて、精悍さの衰えを未だ見せぬ老士官が帷幄に通され、嗄れながらもよく通る声で報告をもたらす。

「報告致します。我等第3師団第5騎士連隊一千名、1人の落伍者も無く、閣下の泉下へのお供仕る事を確認致しました。既に親類縁者のおる若い者や守備兵は、東に陣取る王国軍へと投降させ、そちらは約束違えず、殺されたりする様子は見られておりませぬ。」

 ホッとため息が漏れた。本日一番の朗報だ。

「第2師団の寄手は、明日正午よりの総攻撃を予告して参りました。それと、共和国軍の陣所から攻城兵器が組み上げられ、飯炊きの煙がいつもの3倍ほど上がっております。しかし、第2師団と連携を取る様子は皆無でした。」


 おお!と、帷幄が色めき立つ。皆、この情報を待っていたのだ。明日、明朝に打って出る事は決めていたが、第2師団か、共和国軍か、どちらと戦うべきかと思案していたのだ。恐らく、共和国軍は漁夫の利を狙うであろうと予測していたが、確信に変わった。ラモンが煙管を静かに仕舞い、皆に宣言した。

「皆、明日我等は共和国軍を冥土の供に連れて行くぞ?音に聞く弩とパイク兵の槍衾、我等が最期に喰い千切るのに不足はなし!」

 伝令が隅々にまでその命令を行き渡らせる。明日は夜明け前の濃い霧に紛れ、共和国軍正面に左右470騎ずつ、中央にラモンを中心とした60騎を配置する。レオン平野の戦いのゲン担ぎの配置だ。そして角笛の音と供に、両翼は突喊、空いた穴に、本隊60騎の突入を作戦とした。右翼をロッコ、左翼をエミリオに任せる事とした。


 最期の宴は、楽しく、無礼講で過ごす。肉を食い、ワインを開け、人生最期の時を楽しんで過ごした。


 ラモンは寝ずに、数十年の愛槍の手入れを行う。大身の槍で、銘は無いが、この槍があの皇帝の命を奪った槍だ。最期の時を、供に過ごす。



 濃霧の中、密かに行軍を開始する。敵陣200メートル手前、1千名の兵士が声を潜めた。敵は目覚めつつあり、朝食の準備を始めているのがわかる。


 頃合いだ。ラモンは角笛を高らかに吹き上げた!

 戦いの火蓋は切って落とされた。

 1.8メートルの馬上槍で重武装した騎士が、寝起き間もないパイク兵の集団へ突喊する!

 槍衾を作る間も無く蹂躙されるパイク兵達。本来ならば騎兵を餌食にするそのパイクを握ることも叶わず、バタバタと、断末魔を上げて倒れゆく。

 やがて事態に気付いたパイク兵が立ち向かって行くが、僅かな足止めののち、馬上槍に貫かれて絶命してゆく。しかし、その僅かな間に、弩兵の装填が完了、一斉射を行い、素早く次弾の装填にかかる。

 ここまで僅か10分、パイク兵は8段構えのうち、既に6段が破られる。懸命なパイク兵の足止めの狭間に、その後ろ、2段の弩兵の一斉射が更に騎士に降り注ぐ。

 強い威力を誇る弩は、簡単に重武装の騎士の鎧を貫通してゆき、健在な騎士は数を減らしてゆく。


 20分も経つと、騎士はほとんど討ち取られてしまったが、本陣への道が出来た。

 ラモンは、ここが死に時と、最期の角笛を吹き鳴らす。

 音に聞こえた60騎の死神が、パイクにも弩にも退く事なく突喊していく。ラモンの振り回す槍は、衰えたといえども、簡単にパイク兵・弩兵を屠り、ついには本陣と、その大将を肉眼で確認した。

「謀反人の汚名を着せらるるも、死に出の花道にお相手願わしゅう!我はレオン伯ラモン・アルメイダ・ヴァレンテ!いざ、参る!!」

 愛馬の腹に拍車を入れ、一気に敵大将を目指す!しかし流石は本陣、精兵ばかりで、とうとうラモンも二筋ほど腹に槍をもらってしまい、遂に落馬してしまう。一瞬にして群がる精兵に、無数の刃を突き立てられるラモンは、それでも敵大将を睨みつけ、ついに最期の力を愛槍の一投に込め、投擲した!

 見事、敵大将の眉間を打ち抜いた愛槍に、「見事!敵大将、このレオン伯ラモンが討ち取ったり!!」と、大音声を上げて、力付き、逝ったのであった。


 王国の大英雄、レオン伯ラモン・アルメイダ・ヴァレンテ、85歳の大往生であった。

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