人魚の肉
第14話 夏の夜
なんでこんなことになってしまったんだ。そんなつもりは無かった。これは、酒のせいだ。そんな風に俺は、自分に言い訳をしてしまう。いま、俺の横で、由紀恵が眠っている。激しい女だった。何度も何度も俺を求めてきて、何度も何度も失神をした。俺が寝ようとすると、また、俺を求めてくる。いつ終わるともしれない夜を過ごし、やっと終わった。外はまだ暗い。俺は、体を起こすと、背中をベッドのヘッドボードにもたせ掛けて、煙草に火をつけた。フーッと青い煙を吐く。すると、由紀恵が目を覚ました。俺の体に、また絡みついてきた。指を動かして、俺のもので遊ぶ。
「可愛いい」
俺は溜息をつく。
「もういいよ」
「だって……これ、貰っていい?」
俺は、鼻で笑う。
「駄目だ」
「ケチ」
「お前、男とやる時は、いつもあんなに激しいのか?」
由紀恵は、クスクスと笑った。
「もしかして、引いた?」
俺は、眉を寄せる。
「ああ、少しな。女って、こんなにも喜ぶもんなんだな」
また、由紀恵が笑う。
「私が特別かもしれないよ」
「そうなのか?」
「分からない」
俺は、灰皿に煙草を押し付ける。
「喉が乾いた。何か飲み物をくれないか?」
「水、それともビール?」
「ビールをくれ。飲み直したい」
「分かった」
そう言って、由紀恵はベッドから抜け出すと、何も羽織らずに白い裸体のままビールを取りに行った。俺は、そんな由紀恵の後ろ姿を目で追いかける。俺は、由紀恵の吸い付くような柔らかい肌を思い出していた。由紀恵は俺が求めると、どこまでも応えてくれた。それどころか、更に覆いかぶさるようにして、俺を求めてくる。俺は、底なしの沼に足を取られたような感覚に襲われた。女に溺れるという意味が、今なら分かる。悪くはなかった。そんな事を思い出していると、由紀恵が帰ってきた。手に、栓が開いた瓶ビールとグラスを二つ持っている。ベッドの横のサイドテーブルに置くと、二つのコップにビールを注ぎ、一つを俺に手渡してくれた。由紀恵が、グラスを突き上げる。
「カンパーイ」
俺も、グラスを軽く持ち上げた後、口に運んだ。渇いた喉が、冷たいビールで潤っていく。美味い。とても心地よかった。楽しそうにしている由紀恵を見て、俺は問いかけた。
「なんで、俺なんだ」
「何が?」
「好意を示してくれるのはいいが、どうして俺なのかが分からない」
「隆が可愛いでは、答えにならない?」
「ああ」
「そうねー、後は、丈夫そうだから……」
「丈夫? 何だそれは」
由紀恵が、意地悪そうな顔で俺を見る。
「知りたい?」
俺は、由紀恵の表情に不気味なものを感じた。この女は、初めて会った時から、どこか得体が知れない。俺は、妙な女に捕まってしまったのかもしれない。まるで、女郎蜘蛛のようだ。由紀恵と関係を持ってしまったことを少し後悔する。怪訝な表情をしていると、由紀恵が質問をしてきた。
「八百比丘尼って、聞いたことある?」
「いやない」
「昔話なんだけどね、人魚の肉を食べたせいで、若いまま八百年も生きた尼さんなの」
俺は背中に、少し寒気がした。顔をしかめて由紀恵を見る。
「本当の話か?」
「ううん。昔話」
由紀恵は、嬉しそうに俺の反応を楽しんでいる。
「その八百比丘尼と、お前に、どういった関係があるんだ?」
由紀恵が、俺に手を差し出す。
「私にも、煙草をちょうだい?」
「ああ」
俺は、煙草を一本取り出すと、由紀恵に差し出した。由紀恵は、煙草をくわえる。俺は、ジッポライターを手に持って火を近づけた。由紀恵は、顔を近づけて煙草に火を付けた後、美味しそうに燻らせた。大きく煙を吐き出す。
「この間は、隆のお嫁さんの話を聞かせてもらったね」
「ああ」
「今日は、私の思い出話を聞いてくれる?」
「それは、八百比丘尼の話と関係があるのか?」
「そうよ」
「もしかして、怖い話か?」
由紀恵が、俺の顔を見る。途端に、噴き出した。
「アハッハッハッ……」
由紀恵が、お腹を抱えて笑った。俺は、眉間に皺を寄せる。由紀恵が、俺を見た。
「あー、おかしい。もしかして、隆、怖いの?」
俺は、憮然とした表情をする。
「別に、怖くはない。ただ、聞いただけだ」
「本当?」
そう言って、由紀恵が俺に凭れかかってきた。俺は、そんな由紀恵の肩を抱いてやる。由紀恵は嬉しそうに、俺に頬ずりをした。
「戦争が終わった頃も、こんな暑い日だったんだよね~」
「戦争……古い話だな、俺はまだ生まれていない」
俺は、由紀恵の横顔を見た。遠い目をしている。これは長い夜になりそうだ。俺は、コップを掴み、残りのビールを飲み干した。
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