第24話 最後の秘密を教えて下さい!
鳴爽はその日、若菜家に泊まった。
父が死去した日以来、一日も欠かさずに若菜家に通っていたが、泊まるのは久しぶりのことだ。
男手がなくなった家のことは心配だったものの、父が亡くなった途端に我が物顔で女性だけの家を歩き回るのも気が咎めたからだ。
できる限り深夜遅くまで若菜家にいて、朝早くにまた訪ねる。
その繰り返しだったが、今日は舞たちに頼まれて泊まることになった。
いろいろと秘密を明かしたついでに、「やっぱ、女だけだとねえ」と舞にぶっちゃけられて、鳴爽も断れなかった。
いや、本当は鳴爽のほうから泊まりたいと頼み込みたいほどだった。
「父上の部屋、使っていいんだよ?」
と舞は言ってくれたし、みつばに至っては自分の部屋で寝てくれとまで頼んできたが――
持ち主がいなくなったばかりの部屋を使うのは気が引ける。
年下とはいえ、女の子の部屋に泊まるのは――今は避けるべきだろう。
そういうわけで、鳴爽は客用の布団を借りて居間で寝ている。
すぐそばには、若菜父の遺骨がある。
もちろん、遺影も。
彼の前で寝ることで、「四人にちょっかいは出してませんよ」「四人は守りますよ」アピールをしているつもりだ。
なんの意味もないとしても、こうせずにはいられなかった。
「……眠れない」
とはいえ、そんな気を張っていたら眠れない。
なんだか、喉が渇いたし小腹も減ってきた。
一度起きて、カップ麺でももらおうか――と悩んでいると。
「鳴爽くん……」
「…………」
か細い声が聞こえ、居間に誰かが入ってきた。
いや、自分を「鳴爽くん」と呼ぶのはこの家に一人だけだ。
「起きて……ますか?」
絆奈が鳴爽が寝ている布団の横に座る気配がする。
鳴爽は目をつぶったままだが、絆奈がすぐそばにいるのが感じられた。
「こんなところに寝かせてしまってごめんなさい。私の部屋でも……いいのに」
「…………」
じゃあ遠慮なく、とはいかない。
数日前なら間違いなく絆奈の部屋に行って、一線を越えていただろうが――
「でも、私もう……」
「絆奈、悪い。起きてる」
「知ってますよ」
「え?」
鳴爽は、がばりと起き上がった。
絆奈は驚いた風でもない。
鳴爽は居間の灯りをつけた。
ぱっと部屋が明るくなり、周りがよく見える。
絆奈は白いTシャツにハーフパンツという、前にも見た寝間着姿だ。
「なんとなくわかりますよ、それくらい。寝たフリは下手ですね、鳴爽くん」
「……夜這いか、絆奈?」
「そうです」
「…………」
絆奈は黙ってしまった鳴爽に、ぐっと顔を近づけてくる。
Tシャツの襟元から、豊かな胸の谷間がわずかに覗いている。
「夜這いだって言ったら……私を受け入れてくれるんですか?」
「なんか、立場が逆転してないか?」
鳴爽がぐいぐい攻める側だったのに、いつの間にか攻守交代している。
「どう、なんですか? それともキスしたりお尻を撫でたりしたのは……遊びですか?」
「俺が遊びで女の子をどうこうする男だったら、こんなところにいないだろ?」
「そうですね……お父さんがあなたをとっくに叩き出していましたね」
絆奈はちらりと横を向いた。
そこにあるのは、父の遺骨だ。
「お父さんも、あなたのことは認めて――」
ぐーっ、と鳴爽のお腹が鳴った。
「……ラブコメみたいなかわし方をしますね、鳴爽くん。私、これでも勇気を振り絞ってここに来たのに」
「俺の意思で鳴らしたんじゃないよ。でも、腹は減ってる」
「もう……」
絆奈は不満そうに唇を尖らせると、立ち上がった。
「お肉も野菜も少し残ってます。なにかつくりますよ」
「マジか」
夜中に、好きな女の子がささっと夜食をつくってくれる。
地味ながら、男なら憧れるシチュエーションだ。
絆奈は台所に行くと、手早くフライパンで調理して皿を持って戻ってきた。
「はい、焼きそばです。どうぞ」
「おお、美味そうだなあ。いただきます」
鳴爽は礼儀正しく手を合わせて、焼きそばをすする。
麺の炒め方、ソースの量も絶妙、すき焼きの残り物の肉も美味い。
「こういうのさっとつくれるの凄いな」
「鳴爽くんもお料理できるじゃないですか」
「面倒くさくて、こんな夜中にはやらないな。腹減ってもカップ麺で済ませる」
「インスタントはよくないですよ。しかも夜中に」
今夜の絆奈は穏やかで、くすくすと笑っている。
「お父さんにも、たまにつくってました。いつも夜遅くまで仕事してたので、お腹空くみたいで」
「そうか」
「乃々香姉さんは夜食は太るからよくない、ちゃんと寝てって口うるさく言ってましたけど」
「あの無口な乃々香先輩が、そんなこと言うのか。まだまだ四人のことも知らないな」
「家族の前ではよくしゃべりますよ、姉さんは。お父さん、いつもやりこめられてました」
「あの口の減らないお義父さんがね……」
「姉さんは、唯一の“娘”と言える人ですからね。お父さんに注意をするのは自分の役目、と思ってるみたいです」
「みんな、言いたいこと言い合ってるように見えたけどな」
「引き取られた子供でも遠慮しないでいいように、父がそういう家庭をつくってくれたんです」
じわっ――と、絆奈の目に涙がにじんでいる。
鳴爽が、みつばの次に多く涙を見たのは絆奈だった。
彼女も気がつくと目を潤ませ、ときに言葉を詰まらせることもあった。
「……ごちそうさま。美味かった」
鳴爽は皿いっぱいに盛られた焼きそばを、あっという間にたいらげてしまう。
「よく食べましたね……」
「絆奈の美味いメシをたっぷり食える俺を、お義父さんが羨んでるかな」
「毎日、お父さんにはお供えしてます」
鳴爽も気づいていた。
さっきのすき焼きも、遺影の前に供えられていた。
少なくとも、納骨までは続けるのだろう。
絆奈は台所で皿を洗い、居間に戻ってきた――かと思うと。
「絆奈?」
「いいでしょうか……?」
絆奈は鳴爽の布団の上に座り、意味ありげな目を向けてくる。
「今夜はここで寝ても……いいですか?」
「…………」
「ごめんなさい、みつばでも一緒に寝たりはしないのに……でも、今夜だけは」
「……俺はいいよ」
鳴爽は言って、掛け布団をめくった。
絆奈は「し、失礼します」と布団の上に横になる。
たゆんっ、とGカップの胸が揺れるのが見えた。
まさか、ノーブラなのか――と鳴爽は焦り、すぐに気を取り直す。
今だけは、絆奈に限らず、この家の四人におかしなマネをしてはいけない。
「……お父さんの前では、さすがになにもできないでしょう?」
「見せつけてみたくはあったが、こんな笑顔じゃな」
飾られた遺影の父は、満面の笑みを浮かべている。
この笑顔の前で、絆奈と致せるほど鳴爽も肝は太くない。
灯りを消して、二人は薄い掛け布団をかぶり、身を寄り添う。
布団があまり大きくないので、くっついていないとはみ出してしまうのだ。
絆奈の華奢な肩や、柔らかな胸が鳴爽の身体に押しつけられている。
これを一晩我慢するというのは、なかなかの拷問だ。
わずかな沈黙のあと。
「私も――お話ししないといけませんね」
「……ああ」
なんの話なのかわからないほど、鳴爽もにぶくない。
絆奈が若菜家に引き取られた経緯だろう。
このまま拷問に耐えるよりは、話をしていたほうがずっといい。
いい話ではなさそうだが――
「鳴爽くん、スマホ取ってください。ええ、自分のを」
「ん? どういうことだ?」
鳴爽はスマホを手に取りつつ、聞き返す。
「
「…………」
言われたとおりの名前をブラウザの検索窓に打ち込むと――
検索結果を見ただけで、その名前の意味するところを鳴爽は理解した。
わざわざ、表示された“記事”を確認するまでもない。
「その人が――私の実の父親です。6歳までその人が私の父親だったんです。私は、10年前まで“追川絆奈”という名前でした」
「これは本当……いや、本当に決まってるよな」
鳴爽は布団の上で、すぐ目の前にある絆奈の整った顔を見つめる。
「私の実の父は母を殺し、友人夫婦も殺したんです」
「…………」
そう、追川隼人は殺人犯だった。
犯行の直後に複数の殺人罪で逮捕され、既に裁判も終わっている――
「お金のことで揉めて、私の実の母も含めて、男女の問題もあった――みたいです。その意味がわかったのは中学生になってからですけど」
絆奈はすっと目を伏せると。
「もう死刑判決も出ています。計画性の高い殺人で、しかも三人。さすがに死刑に文句は言えません」
「絆奈、もういい……」
「いえ、もう少しだけ話させてください……」
すぐ近くにいる絆奈が、遠い目つきをして――
「実の父が刑務所から出てくるときには、骨になってるでしょうね」
鳴爽は、言葉がまるで思いつかない。
絆奈がこんな重い過去を背負っているとは想像もしなかった。
育ての父も今、骨になって安置されている。
いずれ、実の父も――
「事件が事件なので、私を引き取ろうという親戚はいませんでした。そもそも近い親戚がいなかったので――施設に行くんだろうって、幼いながらも理解してました」
「……賢いじゃないか」
「あきらめることを知っていたんです。父は――実の父は、罪を犯す前からいつ家族を捨ててもおかしくない人でしたから……」
真面目な人間がやむなく罪を犯したというわけではなく。
元から問題のある人物だったらしい。
元が真面目ならいいというものでもないが――
「家に親戚が何人か集まって相談しているところに現われたのが、お父さんでした」
「お義父さんは、絆奈の家とは……?」
「学生時代の友人だったそうです。その頃は実の父もまともな人だったみたいですが、どこかで道を踏み外したんでしょうね」
若菜家の父は、友人の罪を知り、その家を訪ねた。
あの人なら、決して放置はしないだろう――鳴爽にも想像がつく。
「私を押しつけ合う親戚の前で、あの人は――若菜昌仁さんが言ってくれたんです」
「…………」
「“俺ンとこに来い”って。“お姉ちゃんも二人いるぞ”って」
「それで……お義父さんの娘に、舞さんと乃々香先輩の妹になったんだな」
「はい……」
絆奈は頷き、また涙をぽろりとこぼした。
そうだろう、と鳴爽は思った。
その過去は、簡単には話せないよなと。
今でも、10年前の傷は癒えていないのだろうなと。
「ああ、そうか。おまえ、警官になりたいっていうのは――」
「身内に犯罪者がいても警察官になれるそうです。実際になった人もいます。事件のあとで、何度も刑事さんが来ましたけど――その人にも確かめました」
「そうか。それなら――」
「たぶん出世はできないだろう、とは言われましたけど」
「……この国じゃ親の罪を子が問われることはないはずなんだけどな」
絆奈は、実の父の罪を償おうとしているのだろう。
誰かを救うことが償いになるのかもわからないままに。
「ごめんなさい、変な話を聞かせてしまって……」
「いや……聞かせてくれてありがとう。俺は聞いてよかったと思うよ」
もちろん、絆奈が犯罪者の娘であろうと鳴爽の気持ちは変わらない。
「あ……」
鳴爽は絆奈の背中に手を回して抱き寄せる。
彼女への気持ちが変わらないことを、行動で示すために。
「これくらいなら、お義父さんも許してくれるかな?」
「……まず私の許しを得てからにしませんか?」
「ついでに、ヤっていいか?」
「ダメに決まってますよね?」
絆奈は、少しだけ笑ってコツンと額を鳴爽の額に当ててきた。
当然、冗談だったが、ちょっと際どかったかと鳴爽は冷や汗をかいている。
「でも、抱きしめるくらいなら……許します」
「もう少しだけ強く抱いてもいいか?」
「もっと、強く抱いてください……」
鳴爽は絆奈に頷き、ぎゅっと抱きしめる。
その細い身体を、強く強く――
壊れそうなほど華奢で震えている身体を。
絆奈の重い過去もすべてまとめて受け止める。
決して彼女をこれから離さないと、決意しながら――
「あーあ、とうとう……」
「ヤ、ヤっちゃったの……?」
「きー姉、遂に姉二人を追い越して一足先にブレイクしちゃった?」
そして、朝。
居間に出てきた三人が、呆れ、驚き、感心している。
絆奈は布団から飛び出して――
「し、してません! 私は無実です! なんなら確かめてくれてもいいですよ!」
「じゃあ、僭越ながら俺が確認しよう」
「あなたは引っ込んでいてください!」
顔を真っ赤にしたまま弁解する絆奈を、舞と乃々香とみつばがおかしそうに眺めている。
少しだけ、にぎわいの戻った若菜家だった。
父の遺影からも笑い声が聞こえたような――鳴爽は、そんな気がした。
※次回、第1部完結です!
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