第10話 三女をメイドにさせて下さい!

 よく晴れた五月の日曜、メイドがやってきた。


 約束の午前9時ぴったりにチャイムが鳴り、鳴爽はオートロックを解除してメイドを迎え入れた。


「お、お邪魔しますね……」

「……あれ?」


 ドアから入ってきた絆奈を見て、鳴爽は首を傾げる。


「なんでメイドさんじゃないんだ?」

「本気で自宅からメイド服で歩いてくる女、ちょっと嫌でしょう……?」


「恥ずかしがってる絆奈を想像するだけで、興奮するけどな」

「あなたの性癖を語られても」


 心から呆れた顔をする絆奈は、完全に私服姿だった。


 胸元が大きく盛り上がった白い長袖のTシャツに、ほっそりとした足が強調されるスキニージーンズ。

 それに、大きなリュックを背負い、重そうなエコバッグも持っている。


 メイド服や、メイドとして働くためのグッズが入っているのだろう。


「ずいぶん大荷物だなあ、絆奈。言ってくれたら迎えに行ったのに。それが大げさなら、タクシーをよこしてもよかったし」

「どこの世界にタクシーで出勤するメイドさんがいるんですか? いえ、メイドじゃありませんけど!」


 だいぶツッコミキャラが板に付いてきた絆奈は、セルフツッコミまで身につけている。


 鳴爽がさりげなくエコバッグを取り上げ、リビングに移動すると。


「俺なら執事服で若菜家まで堂々と行進できるけどな」

「あなたにできないことなんてないでしょうね! でも、そんな服装で来てもウチに入れませんからね!」

「俺はみつばちゃんの優しさを信じてる」

「隙だらけの中学生を利用して入り込まないでください!」


「隙だらけはよくないな……みつばちゃん、あんなに可愛いんだし、よからぬヤカラが近づくかもな」

「お父さんなら、それがあなただって突っ込むでしょうね……」


 もちろん、鳴爽は本気で執事服で若菜家訪問も辞さない。


「ああ、そうではなくて。メイドをしにきたんでし、た……って。あれ?」

「どうかしたのか、絆奈?」


「いえ……」


 絆奈は、きょろきょろと室内を見回している。

 他人の家だが、二度目なのでもう慣れたらしい。


「なんだかこの部屋、前よりずいぶん綺麗になってませんか? 床にワックスまでかかってるような……ピカピカじゃないですか」

「ああ、徹夜して徹底的に床を磨いて、あちこちのホコリも払って、カーテンまで洗ったからな。女の子を家に招くなら当然だろ」

「なんのためにメイドを呼んだんですか!?」


「別に、絆奈に俺の生活の世話をしてもらおうとは思ってないよ。男女平等、共働きの時代だからな。できることは俺がやっておくさ」

「私、鳴爽くんの妻になったわけではありませんよ?」


「ウチの生活を見ておきたいんだろ? 掃除とか洗濯とかしなくても、見られるだろう」

「そ、それはそうですが……じゃあ私、今日は一日、ここでなにをすればいいんでしょう?」

「朝のうちに風呂という手もある」

「夜は一緒にお風呂なんて言ってませーん!」


 相変わらず外堀をどんどん埋められている絆奈だった。


「い、いえ。まずは着替えます! 本当にお姉さんが例のコスチュームを手に入れやがったので!」

「言葉が乱れてるぞ、絆奈。そうか、ビキニタイプのメイド服か?」

「そんな無意味なシロモノが、この地上にあるんですか……?」

「さあ……俺にもよくわからないな」

「確実にいかがわしい気配がするので、追及できませんね」


 ギロリ、と絆奈が睨んでくる。

 顔がいいだけに、怒ると怖いのが絆奈の特徴の一つだ。


「では、その……もう一つのお部屋をお借りしていいですか?」

「え? あー、風呂場の脱衣所じゃダメか? むしろ、このままここで着替えてくれても俺は困らんけど」

「私が困ります! 脱衣所でもいいですが、人様の家の脱衣所ってあまり出入りするものでもないような……」


「そうかな、俺はこの前、普通に若菜家の脱衣所に突撃したぞ」

「そうでしたね! お父さん、マジギレしてましたよ! 目を離した隙にどこ行ってんだ、って!」

「俺から目を離すほうが悪くないかなあ。親の責任っていうか」

「あなたは幼児ですか? ウチの父はあなたのお父さんではありませんよ」


 とはいえ、さすがの鳴爽も脱衣所から風呂場への突入まではしなかった。

 舞とみつばあたりは、風呂場まで来られても許してくれそうだが。


「と、とにかく、お部屋を貸してもらえませんか? ダメなら、申し訳ないですが、鳴爽くんに一度家の外に――」

「まあ、そのうち見られるのか」


 ふぅっ、と鳴爽がため息をつく。

 観念したような鳴爽が珍しいのか、絆奈がきょとんとしている。


 鳴爽は数歩歩いて、隣室へのドアを開けた。


 そこは5畳ほどの広さの部屋だった。

 リビングにはマットレスがあるが、こちらにもベッドがある。

 というより、こちらが本来寝室なのだ。


 鳴爽はリビングだけで生活するのが楽なので、適当にマットレスを置いてそこで寝ている。


「……虚無って言ってませんでした?」

「あれは嘘だ」

「そんな、きっぱり!」


「嘘も隠し事もない人間って、面白いか?」

「……信用はされるんじゃないですか?」

「隠さなきゃならないことも、世の中にはあるだろ」


 鳴爽はつぶやいて、自分も部屋を見回した。


 我が部屋ながら、なかなかのカオスだ。


「姿見にお洋服……ずいぶんありますね」

「ほとんど安物だけどな。予算の都合で」


 部屋の壁際には大きな姿見。

 その周りに、雑然と上着やインナー、ズボンなどが積み重ねられている。


「重そうなダンベル、ヨガマットですね」

「運動不足は健康に悪いからな」


 さすがに筋トレグッズはこの1LDKの部屋には多く置けない。

 室内運動の大半は、ヨガマットの上でこなしていた。


「ライトノベルもいっぱいじゃないですか」

「俺、紙で読まないと頭に入ってこないんだよな」


 二百冊ほどのラノベが床に積み重なり、タワーになっている。

 ラノベのあちこちには付箋を挟み込んである。


「それに……参考書とか問題集も。こんなに書き込みだらけ……」


 絆奈はベッド横の小さなテーブルから問題集を一冊持ち上げた。

 他にも参考書、問題集、ノートが積んである。


 それらはすべて、四姉妹からの試練を達成するために使ったものばかりだ。

 達成した今でも、それで終わりというわけではないので処分はできない。


「そうでした、たまに忘れそうになってしまいますが、鳴爽くんは信じられない努力をしたんでしたね」

「忘れられるのはショックだな。でも、努力自体はたいしたことじゃない」


「た、たいしたことですよ。私が突きつけてしまった模試の1位だって……鳴爽くん、以前は成績は普通レベルでしたよね?」

「よく知ってるな。まあ、悪くはないけどよくもない……俺は元々凡人だよ。ラブコメの主人公みたいに無味無臭の男だよ」

「そのたとえはどうかと思いますが……」


 絆奈は、ぱらぱらと問題集を最後までめくって。


「それで、一年足らずで全国1位ですから……そうですよね、このお部屋を見ただけでも想像できない努力をしたんですよね」

「やればできる子だったんだよ」

「また、そういうふざけたことを……あの“四人全員好きです! 付き合ってください!”から、ここまでやり遂げるなんて」


「ああ、あのときは俺もびっくりした」

「驚いたのは私たちですけど」


「いや、だって絆奈は――いきなり俺に噛みついてきたじゃないか」

「あっ! あ、あれは――」


 絆奈は問題集で顔を隠しながら、あたふたしている。

 ちらちら見える顔は、真っ赤に染まっているらしい。


「“なにをふざけてるんですか!”って、手を噛んできたときはマジびびった」

「正確には台詞がちょっと違いますが……あ、あのときはごめんなさい。つい……」


 鳴爽は、いきなり絆奈に噛みつかれたときの痛みをはっきり記憶している。

 この綺麗な黒髪ロングの少女が、つかつかと鳴爽に歩み寄ってきたかと思うと。


 がしっと鳴爽の手を掴み、さっきの台詞を叫んで歯を立てて噛みついてきたのだ。

 舞たち三人すら驚いていたので、普段の絆奈からは想像もできない行動だったのだろう。


「今時、犬でも人を噛んだりしませんよね。本当にごめんなさい……」

「謝る必要はないだろ。女の子に噛まれて嫌がる男はいない」

「いると思います」


 普通にツッコミを入れてくる絆奈だった。


「でも、やっぱり全国1位は凄すぎます。私みたいな馬鹿な子から見れば、余計に」

「……舞さんが言ってた。四人がなんであんな無茶な条件を出したのか、わかってないだろって。絆奈の場合は、なんとなくわかってるんだが」


 そのとおり、絆奈は清楚でしっかりしているように見えて――

 実は、成績はよくない。というより、はっきり言って悪い。

 意外すぎて、クラスでも有名な話だった。


 絆奈は真面目な性格なので勉強はきちんとしているのだろうが、それが試験の成績に繋がらない。

 鳴爽は、勉強の要領が悪いのだろうと推測している。


「そうですね、私には絶対不可能なことをできる人なら、四人全員と付き合いたいなんて無茶も受け入れてもいいかも――とまでは思わなかったかも」

「思わなかったのかよ!」


 今度は鳴爽がツッコミに回る。


「いえ、どうせ全国1位なんて無理だろうと思っただけで――私には絶対できませんが、鳴爽くんにもできるとは思わなかったので」

「見くびられたもんだなあ」

「ええ、見くびってました……だから、私はお父さんがなんと言おうが、あなたの頑張りに応えないと!」


「よし、まずは着替えだ! 手伝おう!」

「はい、実はメイド服、どうやって着たらいいのかよくわかってな――手伝わせませんよ!」

「ちっ、勢いでいけるかと思ったのに……」

「危なく、本当にチョロ子ちゃんになるところでした……」


 絆奈は力なくつぶやいてから、問題集をテーブルの上に戻した。


「で、でも……あなたがどうしてもと言うなら……着替えじゃなくて、付き合い始めて一ヶ月であなたがやりたかったことも……」

「あ、お義父さんにセックスしていいか電話してみる」

「しないでくださいっ! さすがにそんなの、私たちの勝手ですよ!」


 鳴爽が取り出したスマホを、引ったくるようにして奪う絆奈。


 絆奈は、はぁはぁと息を荒げて――


「まずは約束どおり、メイドになります! 四人全員とのお付き合いは延期になったんですから、その約束くらいは守らせてください!」


 やたらとやる気満々の絆奈だった。


 鳴爽も絆奈が一人で部屋に来るのだから、別な意味でやる気満々だった。

 少年漫画のラブコメじゃあるまいし、高校生の男女が二人きりでなにもないなどありえない。


 鳴爽は(仮)とはいえ付き合っているし、昨日今日の関係でもない。


 ただ、やはりこの四姉妹は一人ずつでも手強い。

 もちろん、鳴爽は無理強いするつもりもない。


「で、でも……本当にメイド服、着づらいので手伝ってもらえますか……?」


 かと思えば、誘うようなことも言ってくる。

 四姉妹の手強さは、鳴爽の想像以上らしい。

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