向こう側の鍵

枕本康弘

   1

 背中がひんやりとした。目を開けると見知らぬ天井だった。身体からだを起こすと覚えのない白い下着、普段着ではなく白い布を被っていた。天井から裸の豆電球が一つぶら下がっていて部屋の角まで照らしている。

 私は部屋のすみの一つに頭を向けて眠っていたようだ。私が身体を起こした正面の壁には木製だろうか、ドアノブのついた硬そうな扉が閉じていた。床と壁は石張り、天井もきっとそうだろう。扉の向かい、もう一つの角の辺りに壁から突き出た蛇口と和式の便器があった。

「どこだ? ここは……」室内にざっと目を走らせた後、ドアノブに手を伸ばす。捻って押しても引いても扉は開かない。

 ガチャガチャとノブが鳴くが扉が開く気配はない。扉そのものを押しても引いてもびくともしない。いくら声を挙げても反応がない。そんな事をどの位、繰り返したろう。数十秒しかっていなかったかもしれないし、もしかしたら数十分はやっていたかもしれない。

……解ってはいるが、認めたくなかった。自分が閉じ込められているだなんて。


 らちが明かない、落ち着こう。扉から少し離れてよく見てみる事にした。

 ドアノブには鍵穴があった。扉全体をよく見ると足元に小さな取っ手つきの小窓が付いていた。それは内側に引き上げられるようになっていて、引き上げると腕が一本入るくらいの小さな四角い穴が現れた。

 屈んで右手で取っ手を持って覗き込むと向こう側も石畳で明るく見える。光が反射してきらりと何かが一瞬輝いた。目を凝らしてよく見てみる、鍵が落ちている。早速左手を伸ばすが届かない。肘から先が左の手の平からもう一本余分に伸びたら届きそうな距離だと感じられた。


 どう伸ばしても鍵には手が届かないと否応なく理解したのでもう一度部屋の中を見渡した。部屋には石造りの床と壁と天井以外に粗末な汲取くみとり式便所と水道があった。これらは扉から見て右奥の隅の辺りにあり水道は正面の壁から突き出し便所は扉に尻を向けるように据えられていた。

 便器に近づいてみるとところどころ薄汚れて黒ずんでいる。ぽっかりと開いた便座の中に無機質な壁が豆電球の光に照らされて見えて、コンクリートかな? と思った。近づいても臭わなかった。穴に腕は入りそうだが頭は無理そうな大きさだ。光を吸い込む暗黒を薄汚れて黒ずんだ白い便器が抱えている。

 壁から付き出した蛇口を捻ってみると水が出た。蛇口のすぐ下に直径が指幅二三本ほどの排水口があり、そこに水が流れていく。水に触ってみる、熱くも冷たくもない。水は透明で臭いもなかったので両手でわんを作って飲んでみる、味はしなかった。一先ひとまずこれは安全そうだと感じ飲めるだけ飲んだ。

 腹が膨れて尿意を感じたので便器の中に小便をした。透明な放物線が暗黒に吸い込まれていく。いつまで経っても小便が跳ねる音が聞こえてこなかった。


 用を足して扉の方に振り返ると扉の下部の小窓の前に何かが落ちていた。薄茶色い手の平大の袋を視認するやいなや、私は扉に駆け寄り何度も叩きながら叫んだ。

「誰か居るのか? ここから出してくれ!」しかし何度叩いて叫んでも扉の外からなんの音沙汰もなかった。

 どの位叫んで叩いたのだろう、ふと先程の袋の事を思い出した。床に落ちている袋を拾い上げるとダンボールと同じ色をした手の平よりも少し大きい膨らみ。空けてみると中には小振りの食パンが入っていた。その形を視認した途端に口に放り込む、匂いも味もない、やに歯応はごたえだけはあってパンというよりは餅に近い食感だった。美味おいしくも不味まずくもなかったが、なぜかもっと欲しいと思えた。

 食べ終えて間もなく、両手の中で薄茶色の袋が青白い燐光を淡く放ち出して空気に溶けるようにして消えてしまった。ゴミが出なくていいな、そう思った。

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