好き
惚れ薬を吹きかけた後、七条の態度が急激に落ち着きはじめた。
頬に朱が差し込んでおり、恋する乙女さながらの表情で俺を見つめている。
「──……好き。大好き」
俺がだんまりを決め込んでいると、彼女は脳内が蕩けるような甘い声で好意を告げてくる。一度目に、惚れ薬を使用したときと、同様の反応だった。
こう、同じ流れで来られると、惚れ薬が実は本物なんじゃないかと錯覚しそうになる。けれど、惚れ薬が偽物なのは紛れもない事実だ。
決定的だったのは、俺が惚れ薬は偽物だと看破しようとしたとき。正面から抱きついて、俺に黙るよう指示してきた。
七条はああするしかなかったのかもしれないが、あの行動は惚れ薬が偽物であることを裏付けてしまっている。
さて、俺のヘタレが発動して、こうして惚れ薬を二度も使ってしまったわけだが……どうしたものか。
逡巡していると、七条が俺の側に寄ってくる。肩を寄せて、俺の右手に左手を重ねてきた。
「古川……あたし……あたしさ、古川のこと、好きだよ」
「……っ。……だ、だったら、なんでこんな回りくどい真似するんだよ」
「…………な、なんのこと……かな」
「いや悪い……なんでもない」
そもそも、俺は七条のことをどう思っているのだろう。
幼馴染で、気軽に話せる異性で、……多少口が悪くて生意気だけれど、しょっちゅう告白される美少女で。
俺はそんな七条のことを……好き、なのだろうか。
七条の気持ちを探ることに重きを置いて、俺自身の気持ちとは向き合っていなかった。
「七条はさ、俺のなにが好きなの?」
「っ。い、言わなきゃダメ、かな」
「聞きたい」
「……。……ま、守ってくれるとこ」
「え?」
「あたし、昔はすごく引っ込み思案で人見知り激しかったでしょ」
俺の右手を強く握りしめてくる。
彼女の体温を、肌で感じる。こつんと、肩に頭を預けてきた。
赤くなった顔を隠すように、首をそっぽに向ける。
七条は、呟くように続けた。
「よく、意地悪する男子に目を付けられて、からかわれたりしてさ。そういう時、古川があたしの前に立って守ってくれたじゃん。だから……好き」
「は、それだけ? ちょ、チョロくない?」
「あ、あたしだって思ってるよっ。チョロいなあたしって! でも、好きなの。大好き! 幼少期の刷り込みだよ絶対。古川が悪いんだからね。あたしのこと守ったりするから。じゃなきゃ絶対、古川のことなんか好きにならなかった」
「そ、そうかよ……悪かったな」
「そうだよ。悪い。全部、古川が悪い! だから責任取りなさいよ」
「責任って……て、てか、惚れ薬の件、忘れてね?」
惚れ薬って、一般的なイメージだと無条件で相手に惚れるんじゃないだろうか。
目をハートにして、何を言われても好き好き大好き状態。妙な質問をした俺にも非があるけれど、もう少し設定を貫いて欲しい。居たたまれない。
「好き。大好き、何があっても古川のこと大好きだよ♡」
「手遅れ感凄いけど……大目に見よう」
「アンタどういう立場なワケ……腹立つんだけど」
「あれ、惚れ薬解けてるのかこれ。やっぱ偽も──」
「あーん、古川ほんとカッコいいー!」
「よかった。この惚れ薬本物みたいだ」
高校生にもなって、俺たちは何をしているのだろう。バカな事をしている自覚はあるが、不思議と楽しかった。
なんか、子供の頃に戻ったような……そんな気分。思えば、ずっと前にもこんな事あったような──。
「……そっちがその気なら、あたしにも考えがあるんだからね」
過去の記憶を遡っていると、ぼそりと蚊の鳴くような声で、七条は小さくぼやいた。
何を言っているかは聞き取れなかったけれど、この顔は覚悟を決めた時のやつだ。
七条は、くっきりと見開かれた瞳で俺を見つめると、俺の身体に飛びかかってきた。
突然の抱擁に耐えきれず、俺は倒れ込んでしまう。
仰向けの俺。
七条は上体を起こし、俺の腰の辺りにまたがると、口角を上げた。
「ちょ……し、七条?」
「ねえ古川……イイこと、しよ?」
途端、俺の顔が紅潮していくのが分かった。
多分、首や耳まで伝染している。
ごくりと生唾を飲み、当惑する俺。
七条は、そんな俺にお構いなしに、自らのシャツのボタンに手を伸ばした。
「や、やり過ぎ……やり過ぎだって七条!」
「古川はしたくないの?」
「……ば、バカかよ。ホント……」
「バカじゃないッ。あたし、本気だから」
ピシャリと告げると、七条はシャツのボタンを外しに掛かる。
一個一個丁寧に、それでも着実に。中に隠れた白シャツが露呈し、ブラジャーの線が目に入る。俺は慌てて七条を押しのけた。
形勢逆転。
今度は、七条が仰向けになる。俺は七条の顔の近くで両手をついた状態だ。
このまま腕の力を抜けば、七条にしなだれかかる形になる。
「……お前さ、本気って意味分かってるの?」
「分かってる」
「身体震えてんじゃん」
「……っ。あたしはデフォルトで身体が震えてるの。常に震度一なの」
「なんだそれ。急に変なボケするなよ」
「ぼ、ボケてないし……」
俺は乱雑に頭を掻くと、七条から離れる。
彼女の手を取って、上体を起こさせた。
「……今日はその……帰るわ」
「え……か、帰んの? このタイミングで?」
「このタイミングだからだよっ。ったく、人の気も知らないで」
「それはこっちのセリフ! ……じゃなくて、えっとあれ、あたしまた記憶が……」
取り敢えず、惚れ薬の副作用による記憶の一部欠損が七条に起きたらしい。真っ赤な嘘だが。
これ以上、この場に居ると……色々と歯止めが効かなくなりそうだ。
一回家に帰って頭を冷やそう。
「じゃ、えっと……またな」
「う、うん……ま、またね」
腰を上げ、ドアノブに手を掛ける。
扉を開ける前に一度振り返った。
「あ、あのさ……」
「な、なによ」
「明日、その、一緒に学校、行かね?」
「……っ。べ、別にいいけど……」
緊張を押し殺して誘うと、七条は両目を見開いて、うつむいた。
俺は熱くなった身体を、右手で仰ぎながら扉を開ける。
「じゃ、じゃあそういうことだから……」
逃げるように、七条家を後にする俺だった。
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