実習

 その貧しい娘は息を切らせて駆けつけたものの大人たちの作る壁のために目当ての大道芸を見ることができなかった。娘は側面に回り込もうとしていたが、屋根の上の猫はそれが無駄であることを知って鼻を鳴らし、しっぽの先を左右にくねらせた。人並みが捌け、広場には娘と大道芸人だけが残されたが、キルシュと呼ばれる大道芸人は襤褸を着た少女に関心を見せることはなく、出し物であった操り人形を片づけていた。猫は軒から大樹を伝ってすとんと女芸人の足下に降り、未練がましく芸人の様子を眺めている娘の足に擦り寄る。

 猫の動きでようやく少女を意識したキルシュは内心で、またか、と思って無視しようとしたが、片づけかけていた人形の視線がかろんと動いて貧民屈の子どもを向いたことで気が変わった。しまいかけた人形を再び取り出したことで少女の目が見開かれ、人形と同じ色の虹彩が灯りを反射したのを見て取った。人形は――大道芸にはあまり適しているとはいえない繊細な作りの球体関節人形はいつものキルシュの芸を超えたかのように生き生きと動き、まるでキルシュが人形に動かされているかのようだった。

 フローラと呼ばれる孤児は、菓子も買わないのに目の前で始まった人形の踊りから目が離せなくなった。誰からも疎んじられ、邪魔者としか扱われたことの彼女には、彼女のためだけに演じられる大道芸などというものは想像の埒外であったのだ。

 人形はといえば、この薄汚い少女が欲しくてたまらなくなっていた。女大道芸人が気に入らないわけではなかったけれど、最高峰の老人形職人が世に送り出した最後の一体である自分をより輝かせてくれるのは、もう二、三年もして身だしなみを整えれば人形と瓜二つの容姿を輝かせ始めるはずのこの少女であることを知っていた。だから呼びかけたのだ。「見つけてくれてありがとう」と。

 魅入られた少女は大道芸人と人形から離れることはなく、興行とともに村を後にしたが、それを少しばかり寂しく思ったのはあの猫だけだった。

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