幼馴染にお礼とお詫びとお別れを言いに行く話
月之影心
幼馴染にお礼とお詫びとお別れを言いに行く話
『では陽が沈む時間にお迎えにあがります。』
欧州の映画に出て来そうな、いかにも『執事』という感じの初老の男性は僕にそう告げると、恭しく頭を下げて何処へともなく姿を消した。
**********
僕はある駅前の交差点に居て、信号が青に変わるのを待っていた。
無言で行き交う人々は、皆一様に疲れた顔をしている。
先の見えない経済の低迷に、多くの人は不安を通り越して諦めているようにも見えた。
(こんな時代だもんなぁ……)
達観したような事を思いながら、目の前を通り過ぎていく人々を眺めていた。
信号が青に変わり、人の流れに乗って横断歩道を渡って行く。
横断歩道を渡っていると、左側から歩いて来たのは幼馴染の
「よぉ。」
愛佳は僕の顔を見ると、その大きな二重の目をぱちくりさせていたが、やがて驚きを湛えた笑顔に変わった。
「
高校を卒業後、僕も愛佳も地元を離れてそれぞれ別の地域の大学へ通うようになっていた。
だが、幼稚園くらいの頃からずっと仲良くしてきただけあって、住む場所は離れても割と頻繁に電話したりメールしたりと、付き合いは変わらず続いていた。
「ん~まぁ、愛佳に会いたくなったんだよ。」
「いやいや、だからって普通突然来ないでしょ。私に何か用事があったらどうしてたのよ?」
「その時はその時……かな。」
「もぉ……相変わらず無鉄砲なんだから。でも何ヶ月ぶり?」
「去年の夏に帰省してからだから、1年以上ぶりかな。」
「そんなになるんだ。なのに突然やって来るなんて、凄い行動力よね。」
言いつつ愛佳は僕との再会を喜んでくれているようだった。
「何処かに行く途中だった?」
「ううん。そこのスーパーに買い物行って帰るところよ。」
愛佳はそれほど大きく無いエコバッグを肩から下げている。
「重たくないの?」
「ん?あぁ、今日は大したもの買ってないから全然。」
「ならちょっとこの辺り散歩しないか?」
「散歩?いいけど……何かあるの?」
不思議そうな顔をして愛佳が僕の顔を覗き見る。
「いや、何も無いよ。久々に会えたから色々話がしたくて。」
「ふぅん……あ!」
いまいち納得していない返事をしながら目線を前に戻した愛佳が、何かを思い出したかのように再び僕の顔を見上げてきた。
「そう言えば一昨日電話したのに出なかったけど何かあったの?」
「一昨日……あ~……何かあった……かな……?」
曖昧な返事をする僕を、愛佳は眉根を寄せて何か疑うような表情で見ていた。
「何その引っ掛かる言い方。」
「いや、何でもないよ。」
と、愛佳の顔がにやりとする。
「ひょっとして、彼女と一緒だったとかかなぁ?」
僕は足を止めて愛佳の顔を見た後、ふふっと笑ってしまった。
「何よ?」
「ううん。彼女が居たら愛佳の所には来ないだろ?」
「それもそうか。じゃあ何で電話に出てくれなかったの?折り返しも無かったし、メールしたのに返事も無いし。」
僕も愛佳も、お互いから電話が掛かってきたらすぐに出ている。
仮にその時出られなくても、手が空いたら必ず折り返し電話を掛ける。
折り返しが難しければメールを送りそれに返事をする……と、必ず『気付いていますよ』という返事だけはするようにしていた。
「あ~……うん……それはまた話すよ。」
「また?今じゃないの?」
「うん。後でね。」
怪訝な表情を浮かべる愛佳に、僕は少し引き攣っていたかもしれないけど笑顔を見せた。
愛佳は『ふぅん。』と少し拗ねたように言って前を向いて歩き出した。
「ここ真っ直ぐ行ったら私の住んでるマンションなんだけど、こっちに割と綺麗な公園があるのよ。」
そう言って愛佳は歩いていた広い道を右に曲がって川沿いの道へ僕を誘導した。
「そう言えば愛佳の住んでるマンションは知っててもその周りは全然知らないや。」
僕は愛佳から少し遅れて周りの景色を見渡しながらついていった。
夕陽と呼ぶには少し早い日差しが川面に反射して煌めいている。
愛佳について辿り着いた公園らしき入口は、愛佳が言うように囲う木々が綺麗に剪定されていて、公園と呼ぶより『庭園』といった感じのお洒落な場所だった。
「へぇ~、ホントに綺麗な公園だね。」
「でしょ?零斗くんが来たら絶対見せてあげようと思ってたんだ。」
「嬉しい事言ってくれるじゃないの。」
愛佳は僕の手や肩をキョロキョロと何かを探すように見てきた。
「な、何?」
「今日はカメラ持ってないんだ。」
「ん、あぁ……持って来られなかった。」
「来られなかった?」
「まぁいいから。」
僕は中学生くらいの頃に父親から譲ってもらったカメラで景色を撮ってよく愛佳に見せていた。
高校では写真部に入り、賞も獲った事もある。
その時、愛佳はカメラ用のストラップをプレゼントしてくれた。
「零斗くんにここ見せたら絶対写真撮りまくると思ってたんだけどなぁ。」
「まぁ……今日は愛佳に会いたかっただけだから。」
きょとんとした顔で愛佳が僕の顔を見る。
「それは全然構わないし嬉しいけど……何か今日の零斗くんヘンだよ?何かあったなら聞くよ?」
愛佳は不安気な、それでいて僕を心配してくれる優しい笑顔で言った。
僕は視界の隅に映り込んだベンチを指差した。
「あそこに座ろう。」
僕はすたすたとベンチに向かって歩き出した。
後ろから愛佳のパタパタという足音が聞こえ、ついて来ていることが分かる。
「どうぞ。」
僕はベンチの真ん中を指し示し、愛佳に座るよう促した。
座った愛佳の正面に僕は立った。
「それで?どうしたの?電話も出ず、折り返しも無く、メールも無かった理由、教えてくれるの?」
少し意地悪そうに笑う、前と変わらない愛佳の笑顔を、僕はじっと見ていた。
「それは本当にごめん。」
愛佳はくすっと笑った。
「別に怒ってるんじゃないよ。ずっとすぐ連絡出来てたのに一昨日に限って音沙汰無かったから心配しただけ。」
「ごめん……」
「だから怒ってないんだから謝らないでよ。」
「ううん……そうじゃなくて……」
「うん?」
僕は公園をぐるりと見渡した。
「ここは何ていう公園?」
「え?」
突然話題を変えた僕に、愛佳は僕と同じように公園内を見回していた。
「え、えっと、正式な名前は知らないけど、みんな『親水公園』って呼んでるね。」
「『親水公園』か……水に親しめる公園……いいね。」
「朝のうちとかは近所の親子連れが来て、芝生の上とか噴水の所で遊んでる。こういう所で『ママ友』とか出来たりするのかな。」
公園の真ん中には割と大き目の丸く囲われた噴水があり、噴水の半分くらいの高さまで水を噴き上げていた。
「そういやうちの母さんと
『中央公園』とは、僕と愛佳の住んでいる住宅街のど真ん中にある小ぢんまりした公園で、背の低いジャングルジムと砂場、鉄棒にブランコに滑り台という、別段変わったところのない普通の公園だ。
「うんうん。あそこでうちのママと
「僕みたいな暗いヤツとは友達にならなかった?」
愛佳は僕の顔を見てくすくすと笑いだした。
「零斗くんは暗いんじゃなくて『物静か』なんだよ。ちょっと陰がある感じ……高校の時は女子の中でも結構人気あったんだから。」
「えぇ?それは初耳だな。何で言ってくれなかったの?」
「言ってたら何よ?」
愛佳の鋭い視線が顔に刺さる。
「い、いや……別に……何も無い……かも……」
「あははっ!よろしいっ!」
「な、何が?」
戸惑う僕に愛佳は顔をぐっと近付けてきた。
「こんなに可愛い幼馴染がいつも一緒に居るのに、何か不満だったかい?」
得意気で自信に溢れた表情の愛佳。
「愛佳も、僕の事を?」
愛佳の目が三日月のようになって、頬を少しだけ赤く染めた。
「何年一緒に居ると思ってんのよ?」
嬉しそうに微笑む愛佳を見て、僕は少し悲しい気持ちになった。
「もっと早く……言っておけば良かったな……」
「え?」
愛佳が驚いた表情に変わって僕を凝視していた。
「ごめん……」
「え?何が?」
「え……っと……愛佳の気持ちに気付いていなかった事……に対して?」
「何で疑問形なのよ。」
愛佳はコロコロと笑っていた。
「でも、私は零斗くんとこういう関係で居られることもいいなって思ってる。」
「こういう関係?」
「うん。気が向いたら電話したりメールしたり突然目の前に現れたり……」
そう言うと愛佳の顔からすっと笑顔が消え、ゆっくりと僕の方へと顔を向けて僕の目をじっと見詰めてきた。
「ねぇ、いくら何でもおかしくない?」
「え?何が?」
「都心程じゃないにしても、これだけ人が居る街で約束も待ち合わせもせずに会えるなんて有り得なくない?」
「ん~、まぁ、そういう事もあるって事で……」
怪訝そうな顔を僕に向ける愛佳。
顔を背けてしまう僕。
「何か隠してる?」
「な、何も隠してないよ。」
思いっきり棒読みだった。
「あのさ。」
愛佳はさっきより1トーン低い声で短く言った。
これは愛佳が少しイラついている時の声だ。
「あ、いや、分かってるよ。えっと……メールしなかった事について……?」
「それはもう終わった。」
僕は内心(参ったなぁ……)と困惑していた。
夕陽が西の山々の稜線に触れようとしている。
まだもう少し愛佳と色んな事を話していたいんだけどなぁ。
「悲しいよ。こんなに長い付き合いがある唯一無二の幼馴染に隠し事なんかされちゃってさ。零斗くんは私の事を信じてなかったんだね。」
「そ、そんなわけないだろ。ただ……」
「ただ?」
「これを話してると、僕はもう愛佳の前から去らないといけなくなる時間になっちゃうかもしれなくて……」
「何を隠してるか言わなかったら私が去らないといけなくなっても?」
取り引きめいた事を言われて僕は小さく溜息を吐いた。
「分かった。まぁ、どうせすぐ知る事になるから隠し事じゃなくなるし。」
「聞いてあげましょう。」
愛佳は勝ち誇ったような顔でニコニコしていた。
「今日は、愛佳に今までのお礼とお詫び、それとお別れを言いに来たんだ。」
「はい?」
当然な反応を見せる愛佳。
僕は愛佳から目を逸らして公園をぐるりと見た。
「今までのお礼とお詫び?お別れ?何の話?」
僕は座っている愛佳の前に膝立ちになって愛佳の顔を見上げた。
「今まで僕みたいな暗い人間とずっと一緒に居てくれて、大学行っても電話やメールで色んな話をしてくれて、そして今日、会ってくれて本当にありがとう。」
愛佳は不思議そうな顔をしつつも引き攣った笑顔を浮かべていたが、段々とその顔から笑顔も消えていった。
「な、何よ……そんな事一度も言った事無いくせ……に……何なの……?」
しゃがんだ僕は愛佳の前にすくっと立ち上がり、愛佳から一歩離れた。
愛佳は訳が分からないといった顔で僕を見ていた。
「これだけは最期に言っておかないとって思ってね。」
僕は笑顔を愛佳に見せる。
愛佳は不可解な表情を少しずつ不安そうな表情に変えていった。
「何……さい……ご……って……?」
「一昨日は電話出られなくてごめん。多分、愛佳が電話くれたタイミングだったと思う……」
「タイミング……?」
僕はちらっと西の方に視線を移す。
遠くの山に半分ほど太陽が沈もうとしていた。
「僕、死んじゃったんだ。」
「え……?」
そりゃ、いきなりそんな事言われたら誰だって第一声は「え?」とか「は?」くらいしか出ないだろう。
「愛佳からの電話って分かってたんだけど、もうその時には体に力が入らなくなっちゃっててさ。」
愛佳は瞳孔の開ききった目で僕を見ていた。
理解の追い付かない話に、少し苛立っているようにも見えた。
「僕、大学入ってすぐ倒れて病院に運ばれて検査受けてたんだよ。えっと……骨髄性白血病?だったんだ。」
「そん……な……」
愛佳は目を見開き、唇を見えるくらい震わせながら言葉を何とか発しようとしていた。
「そんなこと……一言も言わなかったじゃない……」
「うん……愛佳に心配掛けたくなくて……だからごめん。」
「嘘なんでしょ?」
声まで震わせて、愛佳が立ち上がろうとしながら訊いてくる。
僕は愛佳から目を逸らし、遠く西の方に見える山を見た。
「嘘だったら良かったんだけど。」
愛佳がゆっくりと右手を伸ばし、僕に触れようとした。
僕は左手を愛佳の方へ伸ばし、愛佳の右手に触れようとした。
お互いの手は何に触れる事もなく、お互いの手を摺り抜けていく。
「やっぱ触れないよね。」
「嘘だ……」
有り得ない現実、認めたくない現実に触れた時、愛佳の見開いた目が瞬時に潤み、次の瞬間にはもう涙が頬を伝って流れ落ちていた。
「何でよ……どうしてよ……どうして零斗くんが……」
顔を涙で濡らし、嗚咽混じりに最後は何を言っているのか分からなくなっていたが、愛佳は『どうして』『何で』『嘘だ』『信じない』と何度も何度も言っていた。
「ねぇ愛佳。」
愛佳は答える事無く、顔を両手で覆って肩を大きく震わせて泣いていた。
「逝っちゃう人間は、こっちの世界に想いを置いていかないといけないらしいから聞いて欲しい。」
触れる事は出来ないが、僕は泣きじゃくる愛佳の頭に手を乗せるようにした。
「僕は、愛佳のことが好きだ。」
愛佳はそのままの姿勢で泣き続けていた。
「わたっ……私も……れ、零斗くんの……ことっ……今も……好き……なのにっ……」
僕は再び愛佳の前にしゃがみ込み、顔を隠して泣いている愛佳を覗き込んだ。
「ありがとう。愛佳の想い……貰っていくね。」
「い、イヤだ……逝っちゃイヤだ……」
「ごめんね。」
僕は立ち上がって西の山を見た。
山の稜線に小さく顔を覗かせている夕陽が見えた。
「愛佳!」
突然僕が大声を出したので愛佳は一瞬体を強張らせたが、伏せていた顔を上げ、涙でぐしゃぐしゃになった顔で僕の方を見た。
「毎年お盆には顔を出す!1年に1回は会える!今よりも短いスパンでだ!だからもう泣くな!」
愛佳は涙に濡れた顔のまま僕の方を見詰めていたが、また顔を崩して泣き出した。
「今がっ……会えなさすぎなんだよっ!」
しゃくり上げながら半分叫ぶように愛佳が言うのを笑顔で見ていた。
気が付けば、西の山の向こうに陽は完全に隠れ、そして僕の背後には白いシャツに黒の燕尾服を着た初老の男が胸に手を当ててお辞儀をして立っていた。
『お時間です。』
僕はその執事のような男をちらっと見て小さく頷いた。
「ごめん愛佳。僕もう逝かなきゃ。」
「零斗……くん……イヤだよ……逝かないで……お願いだからっ!」
僕は執事の様な男と一緒に、透けて消えた。
「零斗くんっ!」
愛佳は僕が立っていた場所に転びそうな勢いで飛び出して右手を差し出したが、その手が何かを掴む事は無かった。
暗いトンネルを抜けていく間、遠くから愛佳の嗚咽だけが聞こえていた。
**********
『想い人……ですかな?』
執事の様な初老の男が口を開く。
「ええ。僕の、一番大事な人です。」
男は目を細めてにっこりと笑った。
『だから貴方の寿命をあのお方に差し上げられたのですか。病気だったなんて嘘まで吐いて。』
僕は正面を見据えたまま答えた。
「貴方に愛佳の寿命を聞いた時、それしか思い付きませんでした。愛佳の身代わりになれるなら、僕の命をあげるくらい容易いものです。」
僕が男の方へ顔を向けると、男は笑顔で何度も頷いていた。
暗いトンネルの終着点。
僕は現世に別れを告げた。
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