第9章:白竜の王女(7)
酷く冷えた感覚に、エステルの意識は現実へ引き戻された。目を開いても暗闇が広がっているが、しっかりと握り締めた熱の出所を求めて頭を傾ければ、至近距離に金髪が見えたので、ここがどこだかわからない不安も忘れてどきりと心臓を脈打たせる。
「クレテス。大丈夫ですか、クレテス」
平静を保って呼びかければ、小さな呻きと共に少年が顔を歪めて、ゆっくりと目蓋を持ち上げる。蒼の瞳が自分を映し込んで、二度、三度、瞬きした。
「……お前こそ」
クレテスが手を引っ張りながら起き上がるのに任せて身を起こす。
「エステル、クレテス。君達もいたか」
弟の声に振り向けば、アルフォンスもやや困惑した表情で歩み寄ってくるところだった。隣に並ぶアウトノエは、油断無く周囲に視線を巡らせている。
「おれ達しか、いないのか?」
「多分」
クレテスの問いかけに、アルフォンスは軽くうなずく。四英雄の子孫だけが選ばれたかのようにここに集った意味を考えれば、答えはひとつしか無い。
「……来る」
初めて、アウトノエが怯えを帯びた表情を見せた。
直後、頭上から巨大な何かが降ってくる気配がし、エステルとクレテスの手は自然に離れ、四人別々の方向へ飛び退り、武器を構える。
重みで床を砕いて降り立ったのは、闇の中でもなお目立つ、漆黒の異形だった。『ヴァロール』の姿をしたそれはしかし、決してレディウスではない声で唸り、赤い眼球をぎょろぎょろと動かす。
『ヨシュア……ノヴァ……ヌァザ……リグ!』
三百年の怨恨を込めて、魔王イーガン・マグハルトは心底からの呪詛を吐く。
『貴様らを
両腕を広げて巨大な咆哮を轟かせ、魔王が闇の魔力の風を吹かせた。
エステル達四英雄の子孫が魔王の前に集う頃、共に落下したはずの戦士達は、それぞれ別の暗闇の中で、異なる敵と相対していた。
「くっそ!」
六本腕それぞれに剣呑な刃を握り込んだ魔族に翻弄され、リタが悪態をつく。
「こっちは二本しか腕が無いのに、ずるいっての!」
「この姿、かつて聖王伝説で読んだ、四魔将ゲーテのようではないか」
至近距離に潜り込めない相方をかばいながら槍を振るうユウェインが呟けば。
「よう、じゃあなくて、そのものだね」
実際に歴史を目の当たりにしているエシャラ・レイが、暗器を放ちつつ歌を挟む猶予を窺いながら、冷静に告げた。
「魔王が復活したんだ。その影響で、直属部下の四魔将全員が再生されたと見て間違い無い」
「それを俺達だけで倒せってか?」
振り下ろされる刃を聖剣『
「四魔将ひとりひとりが、百人の部隊を殺す勢いだったんだろ? 四人はきついってば」
「再生、って言ったでしょ」
絶望的な愚痴に、しかしフォモールの王は、前衛を三人に任せきり、後方で腕組みしながら鼻を鳴らした。
「魔王に引っ張られて、姿だけ急場凌ぎで作られた、『
実の弟の名前を出されて、ピュラの頬が明らかに引きつった。肉親の魂を冒涜した仇であるニードヘグに一太刀も浴びせられないまま終わってしまった事は、彼にとって一生の悔いになるだろう。だからこそ、この戦いは退けぬのだと、彼に勇気を与えたに違い無い。
「まあ、腕が三人分あるなら、こっちも三人で何とかなるか」
にやりと笑って、リタとユウェインに目配せする。聖剣士の意図を受け取って、二人も別方向へ散開した。目標が分散した事で、ゲーテの動きがやにわに鈍る。そこを好機と見て、エシャがすうっと大きく息を吸い込んだ。
走れ
振るえ 岩穿つ刃を
強敵を前に 折れぬ心は
壁打ち破り 勝利もたらさん
渾身の鼓舞の歌が三人に力を与える。武器を振るう速度と膂力の強化された攻撃を三方向から叩き込まれ、ゲーテは低い呻きをあげながら崩れ落ちる。その身体は、黒い霧となって四散した。
伝説の魔将の片鱗を垣間見た戦士達は、深々と長息を吐きながら武器を収める。すると、一面の闇だった空間の一部に魔力が収束し、ほの明るい光を放つ穴がぽっかりと口を開けた。
「まだ何か出てくるのか!?」
「魔将を倒した事で、この場の封印が解けたんだよ」
即座に身構えるリタをたしなめるように、エシャが手を口元に当ててくすりと笑みこぼれる。
「多分、他の皆も別々の場所に飛ばされている。ここを潜れば、合流できるはずだね」
リタ達は、自信の無さげな顔を見合わせるが、フォモールの王が言うのだから、間違いは無いだろう。
「まあ、ここに留まってても仕方が無いし、これ以上の地獄じゃねえ事を願っておくか」
ピュラが先陣を切って穴に飛び込む。ユウェインが続き、リタは「……ええい!」と覚悟を決めて駆け出す。エシャラ・レイが、後方から追撃をかける存在がいない事を確認して、最後尾を務めた。
セティエがメギドフレイムを放つ。しかし、最大級の魔力を込めた炎は、魔将の燃え盛る身体に吸い込まれた。身を震わせて吐き出した灼熱が床を舐めて広がり、オディナが咄嗟に魔法障壁を展開して打ち消す。
「グレイツに炎の魔法は効きません。逆に奴に力を与えてしまう」
淡々とした忠告に、セティエはぐっと言葉を詰まらせ、拳を握り締めた。
『セティエの適性は火だな。ティムが風で援護して威力を高めてくれる。魔道士としての相性は申し分無い』
祖父ニコラウスが姉弟に魔道の指南を始めた時、彼は魔道書の
『ひとつの属性にこだわるのは悪手だ。己の得意属性が通じない相手に出会った時、仲間の足を引っ張る羽目になる』
ふっと消えたランプに、皺の多い手を伸ばし、小さい魔法の火で明かりを再び灯しながら、祖父は髭の豊かな口元を緩めた。
『魔道士は最前線に出るものではない。冷静に戦況を見抜き、臨機応変に仲間を支援する役目を負う。それを忘れてはいけないよ』
(お
この場に来られなかった少年の分まで戦うと誓い、首から提げた牙の首飾りに手をやる。ひんやりとした感触が、力を与えてくれるようだ。
そう、母の首飾りも、魔力行使の媒介になるものだと、いつだったか祖父は教えてくれた。
『それ以上に、あの子にとっては、己の出自を知る為の、大事な手がかりだったがな』
母は記憶を失くして行き倒れているところを父に助けられ、リーヴス家に身を寄せ、そのまま姓を得たという。過去の無い母が得意としたのは、セティエと対極の属性だった。
「お姉ちゃん!」
弟の声が聞こえる。自分が守らねばと思っていた存在は、いつしか自分を支えてくれる心強い味方になった。ならば今、自分もそれに応えなくてどうするのか。
(お母様、力を貸してください)
ティムとオディナに遅れる事数拍、詠唱を開始する。身に慣れた熱ではなく、ひりひりと肌を突き刺す冷気を纏う。だが今は、それが心地良い。
三人の魔道士が氷の魔法を放ち、グレイツの身体が瞬時にして凍りつく。炎が凍結を溶かす間を与えないよう、すかさず次の魔法を展開する。複数の土の槍が魔将を貫き、高熱から急速に冷えた物が壊れる法則で、グレイツは断末魔をあげる事も叶わず、粉々に砕け散った。
「勝った!」
ティムが快哉をあげて飛び跳ね、オディナは相変わらず淡々とした表情で、増援がいないか周囲を見回している。
「魔法は、人の命を繋ぐ為に行使するもの」
祖父の教えを忘れかけて、遠征軍を全滅させるところだった自分を正気に戻してくれた、安心感を得る顔を思い出す。
「ここから、別の場所に移動できるようです」
オディナの示す位置に、ぼんやりと光る穴が口を開けている。
無事に帰れたら、小洒落た食堂で午後のお茶でも嗜みつつ、この首飾りの出所を問い
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