第4章:緋翼(3)

グランディア王国第一王女 エステル・レフィア・フォン・グランディア殿下


 このような形でしかお話しできない事をお許しください。

 ですが、一刻も早く現況をお知らせせねば、最悪の事態が訪れると確信し、私の最も信頼する部下に、この手紙を託します。


 我が父バルトレットは、貴女の弟君アルフォンス将軍に、最前線への出撃を命じました。

 将軍は今までも幾度と無く、好戦的な父に諫言を進じてきました。しかし、その積み重ねと、彼が年若い事、そして、正しき世であったなら彼がグランディア王国の第一王位継承者である事、それらの事情を抱えて尚、彼がカレドニア騎士としての誇りを失わない事。諸々の要因が混じり合って、父は彼を激しく憎み、とうとう「死ね」に等しい命令を下したのです。


 父は貴女とアルフォンス将軍が相討ちになる事を強く望んでいます。

 その為に、アルフォンスの義妹いもうとである、亡きリードリンガー伯の一人娘ファティマを楯に取り、命の保証と引き替えに、一兵の撤退も許さない戦いを強いました。

 この手紙を私の部下が届ける頃には、アルフォンス将軍は前線へ向かうでしょう。


 同時にお渡しした地図に、カレドニア軍の現状の配置を全て記します。

 私が父に刃向かえば犠牲になる者が多くいる今、表立ってお力添えできない事は心苦しいですが、どうかこれが、事態を打開する為に役立つ事を、切に願っております。


カレドニア王国第一王女 ジャンヌ・サリア・フォン・カレドニア


「……罠じゃないすかねえ」

 エステルが、アレサから託されたジャンヌ王女の手紙を、作戦会議に参加した皆の前で読み終えると、最初に口を開いたのはリカルドだった。

「バルトレット王の横暴は国内外問わずかなり有名ですし。その娘がこんなしおらしい手紙書きますかね?」

「親の性格で子の性格を量れるものでもないだろう」

「そうは言ってもなあ。今までカレドニアがやってきた事がやってきた事だし」

 ケヒトが冷静にたしなめても、リカルドは頭の後ろで両手を組んで、天井を仰ぎながらぼやく。彼に同意を示すがごとく、幾人かが首を縦に振った。その中には、身内や友人をカレドニア兵に殺された者も混じっているのだろう。

 彼らを理性的に諭す事は難しい。感情はどこまでも膨れ上がり、憎しみを生む。何と言ったら良いものか窮して、エステルがうつむいた時。

「エステルは?」

 池に一石を投じるかのようにかけられた言葉に、はっと顔を上げる。クレテスの蒼い瞳が、机の向かいから真摯にこちらを見つめていた。

「お前自身はどうなんだよ。ジャンヌ王女を、信じるのか、信じないのか、はっきり言ってくれ。おれ達はお前の決断に従うだけだ」

 投げ込まれた石が、静かに安堵の波紋を広げてゆく。彼はいつも、エステルの心を見通している。欲しい言の葉を与えてくれる。進みたい方向へ導いてくれる。胸が熱くなり、鼓動が高まるのを感じながら、「私は」きっぱりと己の意見を述べた。

「ジャンヌ王女を、信じたいです。私達を罠に嵌めたいだけなら、腹心のアレサ殿を使ってまで、ここまで周到な用意をしなくても良いはず。この砦をカレドニア全軍で奇襲すれば、こちらはひとたまりも無いのですから」

「だな」テュアンがうなずき。

「大将がそこまで言うなら、俺は従うだけですよ」リカルドが苦笑を浮かべて。

「エステル様の御心のままに」アルフレッドが静かに低頭する。異論を唱える者はいなくなったようだ。

 そう、解放軍は五千を超えたといえど、練達した敵や凶暴な魔物と戦えるのは、実質その三割ほど。残りは解放軍に期待をかけて加わった新兵や、兵站へいたんを担う後方支援部隊。それを崩されれば、軍は簡単に瓦解する。対してカレドニアの魔獣騎士は、手練れならば一騎で白兵戦十人分の働きをするという。百五十騎いれば解放軍と対等に戦える彼らを国内からかき集めれば、千は下らないだろう。

 目の前の机に広げられた地図を見下ろす。恐らくジャンヌ王女手ずから書き込んだと思しき情報によれば、このカルミナ砦からほど近い荒野に、アルフォンスの『銀鳥隊』が展開される。走り書きで『五十』と添えてあるのは、戦力の数に相違無い。

「本当にバルトレットは、アルフォンスに死んで欲しいらしいな」

 同じ箇所を見たのだろう。テュアンが苦々しげに顔を歪めて吐き捨てる。が、やはり地図と睨み合っていたクレテスが、「エステル、これ」と、とある一箇所を指差した。

 カルミナからそう遠くない山間に築かれたブレーネ砦。そこに、『緑楯隊』と『ファティマ』の文字が並んでいる。彼の指は更に地図を辿り、その後ろに控える『青矛隊』からカルミナへ向けて矢印が引かれているのを示す。

「多分」

 クレテスの唇が、そこから導かれる情報を弾き出した。

「ブレーネ砦にアルフォンスの義妹がいて、それを楯にアルフォンスを最前線に出す。『銀鳥隊』との戦闘でおれ達が疲弊するか、決着がつかない場合、『青矛隊』でアルフォンスもろともこっちを潰す手筈なんだろ。ジャンヌ王女が本当に『緋翼隊』を動かさずにいてくれるとしても、連戦はきつい」

 これだけの情報から状況をすらすら読み取る能力に、エステルは思わず目を真ん丸くして幼馴染を見つめてしまう。自分だけではなく、アルフレッドも、テュアンも、リカルドも、クレテスの兄であるケヒトさえ、驚き入った表情で少年を注視した。

「だから皆さ、おれの事戦うしか能が無いと思うの、やめてくれない?」

 クレテスは悪態をつきながらがりがり金髪をかきむしり、「で」と続ける。

「一つだけ、アルフォンスとの戦いを回避する方法があると思う」

 それには、アルフレッドが大きくうなずいて、わかっている、という同意を表した。

「ファティマ嬢を救えば、アルフォンス様は戦いを止める。その可能性に賭けるしか無い」

「だけど、それに気づかれたら、きっとエルネストの『青矛隊』がブレーネ砦に進路を変える。だから」

 クレテスは両の拳を握り込み、カルミナと『青矛隊』の上に、どん、と叩きつける。

「戦力を分けるんだ。『青矛隊』を奇襲する別働隊をこっそり進軍させて、本隊はここでアルフォンスを迎え討つ。勿論、盟主が本隊にいなかったら目論見はばれるから、エステルはカルミナに残れ」

「はい」

 クレテスの言う事は理に適っている。だが、そうすると、ファティマを救出に向かうのは、誰の役目になるのか。そう問いかけるのも想定の内だったのだろう。少年が先を制して、ブレーネ砦を指差した。

「ファティマ救出は、少数で行く。おれが連れていく面子を後で選ぶから、声かけといてくれ」

 その言葉には、期せずして「えっ」という声が出てしまった。

「あのな」途端、深海色の瞳が半眼に細められる。

「おれだって、無責任にぽこぽこ案だけ出してる訳じゃあないんだよ。言い出しっぺが一番しんどい役目を放り出したら、誰もついてこないだろ」

「それはそうですけど……」

 エステルの中で、「それでも」という憂いの雲が膨れ上がる。ブリガンディのように、クレテスを突出させた結果、また彼を危険にさらしてしまうかもしれない。この作戦が失敗すれば、たとえ解放軍が勝利をつかんでも、多くの犠牲を払うかもしれない。

「エステル様」

 憂慮を取り払う声を発したのは、アルフレッドだった。神妙な顔つきで、こちらを見下ろしてくる。

「現状、クレテスの案以上の上策はありません。別働隊の兵を信用する事も、上に立つ者の資質です」

 そこまで言われてしまっては、自分は自分の意志を貫くしか無い。今まで、言葉を交わさずただ斬り捨てた者がいた。わかり合えたのではないかと、相手が死してから後悔した者がいた。

 所詮優女王の娘も身内を尊ぶのだ、と蔑む者もいるだろう。だが、真実を知った今、実の弟を見捨てられない。ジャンヌ王女が伸ばしてくれた手を、しっかりと握り返したい。こちらが信じなくては、歩み寄る事も、希望の扉を開く事も、かなわない。

「わかりました。クレテス、貴方の策を頼りにします」

 蒼の瞳を真正面から見つめ返して、ひとつうなずく。

「任せとけ」

 少年が、自信たっぷりに、己の胸を拳で叩いた。


 翌朝。

(……いえ、信じたはずなんですけど)

 出立の準備を整えるクレテスを遠巻きに見守りながら、エステルは、駆逐したはずの不安に駆られていた。

 ブレーネ砦へは、駿馬しゅんめを飛ばしても恐らく往復一昼夜かかる。更には、潜入とファティマ救出の数時間が上乗せされる。その間に、カルミナの本隊が『銀鳥隊』と接触しても、どちらにも大きな被害を出さずに、何とか膠着状態に持ち込まねばならない。

 だが、エステルの心配は、時間の問題ではなかった。クレテスが選抜した人数についてである。

 クレテス自身は戦力として言わずもがな。他に戦える要員としてリタとユウェイン。魔道士がいた場合の対策に、セティエとティムのリーヴス姉弟。隠密を得意とするクリフ。そして、不思議な歌で敵を無力化する事を期待して、エシャラ・レイ。たった七人での強行軍だ。

 馬の準備を整えている彼らの様子を、眉間に皺を寄せて見つめる。すると、視線に気づいたか、クレテスがつっとこちらを向き、駆け寄ってきた。

「もっと人数がいた方が良いのではないですか?」

「何だよ」

 思ったままを口にすると、大きな手で眉間をつままれ、揉みほぐされる。

「『頼りにする』って一度認めた事を反故にする気か? そういうとこ、上に立つ人間として示しがつかないって、何度言えばわかるんだよ」

 少年はいささか怒った態で言い、手を離すと、「あ、それとも」とにやりと唇を持ち上げてみせた。

「何。おれの事、心配してくれてる訳?」

「はいっ!?」

 裏返った声が喉の奥から飛び出す。途端に首から上が熱くなり、耳まで赤くなっているのが、鏡を見ずともわかる。何故か心臓はばくばく脈打ち、まともに相手の顔を見られなくなって、エステルは「もう!」と自分でも謎の憤慨をしながら拳を振り上げた。

「こんな時に冗談言う人なんて、知りません! 早く行っちゃえ!」

 ぽかぽか胸を叩いても、エステル以上に身体を鍛えているクレテスには、大した衝撃にもならないらしい。少年はからから笑いながら踵を返して己の馬のもとへ向かおうとし、ふと足を止めて、肩越しに振り返った。

「大丈夫だよ、エステル。絶対に、お前とアルフォンスを殺し合わせたりしない。必ずお前を守るから、信じててくれ」

 お前が守ってくれるからな、と、左手首に通したお守りの腕輪をかざして笑む彼の顔が、朝日に照らされてやけに輝いて見える。目の端にじわりと水分がにじんだのは、眩しさのせいだと言い聞かせる。瞬きで誤魔化している間に、クレテスはひらりと馬の背に乗り、仲間達も出立準備を整えた事を確認する。

「行くぞ!」の一声をあげ、あっという間に七騎の馬が見えなくなってゆくのを、エステルは知らず知らずの内に両手を胸の前で祈りの形に組んで、長い間見送っていた。

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