#23 正体

 パニックにおちいったムバフは、ずた袋に噛みつかれた腕をブンブンと振りまわした。しかし、ずた袋はしっかりと食らいついて離そうとしない。


「なんだかわからんが、いまがチャンスだな」


 シュウトはアイレンに近づき、縄をほどきにかかる。


「シュウトさぁん、ありがとうございますぅ……」


 アイレンは目をうるうるさせながら言った。


「うーむ、かたすぎてムリだな」


「そんなぁ……」


 期待させてから裏切るまでが早すぎるぞ、この男。


「ちょっとまってろよ」


 シュウトはそこら辺にあった園芸用のカマを持ってきた。まずはアイレンを吊るしている縄を切って地面におろし、それから結び目を切ってアイレンのからだに巻きついている縄をほどく。


「ふぅ」


 ようやく解放されたアイレンは、いちに、いちに、とかけ声を出しながら軽い体操をして、最後にうんと伸びをする。


「からだ、大丈夫か?」


 シュウトがいたわりの声をかけた。


「はい、平気です。また助けてもらっちゃいましたね」


「気にするな、と言ってもムダだろうな」


「もちろんです! ばっちり恩は返させてもらいますよ!」


「ほどほどに頼むよ。じゃあ帰るとするか」


「はい!」


 ふたりは仲良く帰りましたとさ。めでたし、めでたし。


「ちょっとまてい! このボクを置いていくんじゃない!」


 ずた袋に噛みつかれたままのムバフが、帰ろうとするふたりを引きとめた。


「なんだ、まだ遊んでたのか」


「遊んでないわ! そんなことより、これはキサマのものなんだろう? 責任もってどうにかしろ!」


「まったく、おまえがよこせって言ったんだろ」


 このムバフという名の変態ストーカー男は、やはり『盗っ人猛々しい』という言葉がピッタリなやつであった。


「いいから早くしろ!」


「言われなくても、ずた袋は返してもらうつもりだったよ──っと」


 シュウトはムバフの手に噛みついているずた袋を勢いよく引っ張った。


「うわー! ムリに引っ張るな! 傷がひろがったらどう、す……る?」


 ずた袋がすっぽりと抜け、噛みついていたものがその姿をあらわした。


 うすい茶褐色の短い体毛。ぴょこんと立った耳。くるんと巻いたシッポ。それはシュウトにとってなじみのある生き物だった。


「……柴犬だ」


 こっちの世界にも柴犬がいたのか。それがどうしてずた袋から出てきたのか。なぜムバフに噛みついているのか。シュウトの脳みそのなかでは、驚きや疑問といった様々なものが渦巻いていたが、それらはすぐに排水溝へと吸い込まれていった。


「よくわからんが、よくやった。そのままやっつけていいぞ」


 この国に飛ばされてきたときから、自分を取り巻く状況の変化に対応する能力に長けていたシュウト。度重なるおかしな出来事を経験してきたことによって、その力はさらに強固なものとなっていた。わかりやすく言い換えると、『細かいことは気にしない』ということになる。


「あら、かわいらしいワンちゃん!」


 アイレンはキラキラと目を輝かせたが、すぐに首をかしげた。


「ですが……初めてみるワンちゃんですね。しばいぬ……というのは、あの子の名前なのですか?」


「ああ、あいつの犬種のことだよ」


 また新たな謎が増えてしまった。アイレンが見たことない種類のイヌがどうしてこんなところにあらわれたのか。この国ではめずらしい犬種だから彼女が知らないだけ、という可能性もあるのだが。


「うおおおお! 離せー!」


 ムバフは噛まれた腕をグルグルとぶんまわした。ソフトボール選手顔負けの回転は、とうとうイヌを引きはがすことに成功する。


 ぽーんと放り投げられたワンちゃんは、空中で体勢を立て直し、シュウトの頭のうえに着地した。


「わあ、すごいです!」


 パチパチと拍手するアイレン。


「なんでおれの頭に……」


 頭に跳び乗られたにしてはさほどの衝撃はなかった。ワンちゃんのからだが小さくて軽かったからだ。まだまだ子イヌといったところだろう。


「おい、キサマ! ひきょうだぞ! そんなケダモノを潜ませておくなんて!」


 ムバフはシュウトに向けてビシっと指をさす。その手はイヌのよだれでべとべとになっていて、まったく締まらなかった。


「知らん。おれが入れたわけではない──たぶん」


 シュウトにはイヌを入れた記憶はこれっぽっちもなかったが、ひとつだけ思い当たる節があった。山で拾ったモフモフだ。ずた袋に入れた不審物といえば、それくらいしか思いつかない。


 シュウトは取り返したずた袋のなかを確認してみる。山菜のほかにはなにも入っていない。あのハンディモップのようななにかが消えてなくなっているのだ。


「まさか……な」


 頭のうえに乗っかっているケモノがあのときのモフモフだ、などという突飛な考えが頭に浮かんだ。ふつうに考えてありえないことだ、と否定したい。しかし、この世界ではなにが起こっても不思議ではないのだ。


「こうなったら力攻めだ! みんなまとめてよだれでべとべとにしてくれるわ!」


 ムバフはやけになって突撃を開始。


「このワンちゃん、あの方のことがキライなようですね」


 とアイレンが言った。


 シュウトの頭のうえでは、柴犬がせまりくるムバフに対してうなり声をあげていた。


「そうか、それなら──」シュウトがムバフを指さして言った。「いけ、イヌ! あの変質者をやっつけろ!」


 柴犬は、まるでシュウトの言葉を理解したかのように、襲いくるムバフの顔めがけて跳びかかった。

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