生徒会長だって甘えたい

広畝 K

生徒会長だって甘えたい

 この私、アニー・ウォーバックスは生徒会長である。


 生徒会長であるからには全校生徒を一人残らず正義の道へと導き、社会に覇を唱えられるだけの能力と思想を育まねばならない。


 "ねばならない"のだ。


 私以外に、その重責を背負える人間がいないのだから仕方が無いのである。


 本来ならばこの重責は、年長者である教師が担うべき役割であることは自明であろう。


 が、我が校の教師たちは知識を教え込む能力こそ優秀ではあるが、社会環境に対する抵抗の意志を生徒たちに決して伝えようとはしないのだ。


 否、覇気無きツラを見ればすぐにでも理解できる。


 奴等は抵抗の意志を伝えるどころか、そのような意志を持ち合わせてはいないのだということを。


 今ある環境の全てを疑い、より良く、より素晴らしい環境の構築を目指すのが人間という動物であり、地上を席巻している知的生命体としての責務であろう。


 教師である前に人間であり、知的生命体である。


 高度か低度かはさておき、仮にも知的生命体であるのならばより先の進化・深化を目指すのは生物としての道筋であることは明白だ。


 ゆえに、その道筋を見失ったが如き覇気を喪失している教師たちは人間として失格であると判じざるを得ない。


 が、未熟である生徒たちに一定の知識を教える程度の役には立ってもらう。


 教師にそれ以上を望むのは酷というもので、それ以上は生徒会の役割となるだろう。


 先人たちの辿った道筋を辿り、その先を切り開く役目は生徒会の長たる私を置いて他に無い。


 私が、そして私の率いる生徒会が生徒たちを導いてやらねば、幼き彼ら彼女らは波高く荒れ狂う社会の嵐に耐え切れず、海底に没するに違いないからだ。


 生徒会長の使命として、生徒たちの未来を悲惨に落とし込んでしまうことだけは、何としても防がなければならない。



 で、あるにも関わらず。関わらずだ。



 この私、アニー・ウォーバックスはあろうことか一人の生徒に現を抜かしている。


 生徒会長たるこの私が、だ。


 俗に言われる"恋"だの"愛"だのと、その種の感情が私の目を曇らせている。


 胸焦がれ、食欲は減退し、思考回路の三割がその生徒のみのために使用され、行動の一々に僅かな遅滞を招いている。


 現状においては幸い、生徒会長としての役割に然程の支障を来していないが、時間の問題であろう。


 もしこれが支障を来すようであれば、成功するにしろしないにしろ、この恋心に決着をつけねばならない。


 何故なら、私には生徒会長としての使命が課せられているからである。


 たかだか生徒一人のために、この身を捧げてはならないのだ。


 この身は学園に属する全生徒たちを導くための象徴であり、ひいては国家の未来を担う人材の礎となることが決定しているからだ。


 初代生徒会長から連綿と受け継がれてきた気高き使命を、私の代で無為にしてたまるものかよ。



「会長、大丈夫ですか? 何やら難しい顔をされていますが」


「大丈夫だ。問題は無い」


「そうでしょうか、少し顔が赤くなっているようですけれど……?」


 少し失礼します、そう言って微かな躊躇いも見せずに自身の額を私の額に当ててきたこの書記こそが、個人領域の概念を親の腹に置き忘れてきたこの幼馴染の女こそが、諸悪の根源そのものである。


 私が現を抜かすことになり、自我の高度に属する高校生にもなって"恋"だの"愛"だのと低俗な感情を抱かされることとなった元凶たるボニー・ベイカーその人である。


 ボニー・ベイカーという女は、私が現在の確固たる使命を獲得するよりもずっと前から側に付き従ってきた経緯がある。


 いいや否、否だ。彼女は私に付き従ってきたのではなく、私に連れ回されてきたという方が正しい表現になるだろう。


 そこには彼女本人の意志などなく、私自身の我儘があったに過ぎない。


 今も会長の側付きとして書記をしているのも、その流れを汲んでいるに過ぎないのだ。


 とはいえ、優秀で丁寧な仕事を行う彼女を手放すのは惜しい。


 いや、この際はっきりとさせておこう。


 私は彼女が仕事を出来ると出来ないとに関わらず、私の側から離れるのが嫌なのだ。


 私は彼女が好きなのである。


 今よりもずっと以前より、それこそ幼少の砌から、そのような感情をもっていたように思われる。


 自我無きも同然の弱々しい私のことを、彼女は側で強く支えてくれていたのだ。


 その献身は幼き頃より母を喪い、大いなる慈しみを求めていた私にとってどれだけ救いになったことか想像もできない。


 もし彼女がいなければ、今の私どころか、私の存在そのものはこの世から消え果てていただろう。


 彼女の優しさに甘え、依存している自覚はある。


 恋だの愛だのと、この感情に名前をつけて生涯を伴にしたいという思いもある。


 だが、それは生徒会長としての使命を有する私に許されるのか?


 いずれは親族の招きと実力によって政界に進み、数多の優秀なる部下を率い、国家を千年持たせるだけの盤石を築かんとする目標を立てた私が、そのような弱き無様を抱えていて良いのか?


「はい、良いですよ」


 額から温かな熱が引いたことを知覚して目を開ければ、慈愛の微笑を浮かべたボニーの姿が見えた。


 女神か? 或いは天使か?


 そう言えばどことなく彼女の輪郭に柔らかな光が纏っているようにも見えるし、もしかしたら天が私に遣わした天使である可能性を極めて真剣に考慮する必要があるだろう。


「熱がありますね。過労が祟ったのでしょう」


「なるほど」


 道理で先ほどから思考がロクでもない方向に舵を切っていると思ったものだ。


 ロクでもないとは聞き捨てならんな。ボニーは私が生涯愛すると決めた女性ではないか。それを女神だの天使だのと称賛して何が悪いというのだ。幼き頃に彼女と交わした結婚の誓約を、もしや忘れたとは言わせんぞ。


 くそ、余計なことを思い出させてくれるな。あんなものは時効だ。彼女の掴むべき幸せを横から強奪するかの如き忌むべき所業なのだ。


 たとえ私が許そうとも、この私は決してそのような非道を赦すわけにはいかん。エゴなんだよ、それは。彼女の幸せを願うのであれば、私は依存に決着するべきなんだ。ひいては、それが万民の幸福な生活にも繋がる。


 好き放題に言ってくれる!


 ――ガン!


 私は己の頭を机上に叩きつけ、感情が侵入したことによって熱暴走を起こした思考回路に対し、外部からの強制停止を試みた。


 幸いにして思考回路は停止してくれたらしく、今は冷却している予備回路が正常に作動してくれている。


 予備回路はあくまで予備の機能しか持ち得ていない。


 が、残った仕事を推し量るに、予備回路でも十分に遂行可能な程度であると判断できる。


「いきなり驚かせて失礼した。さて、仕事を続けよう」


「駄目ですよ。熱があるんですから、無理をせずに帰りましょう」


「君は帰ってくれて良い。幸いにして、まだ日は沈んでいないしな。とはいえ、不審者の危惧を考慮して然るべきではある、か……。今からタクシーを頼むから、少し待っていてくれ」


「貴女の言葉数が多いときは昔から風邪じゃないですか。そんな状態で仕事をするのは生徒会長として、皆の模範として、相応しくないのでは?」


「む」


「それに貴女が無理して倒れたら、誰が貴女の仕事を引き継ぐんです? 他の役員も仕事があるのに」


「ぐ」


「さあ、帰りますよ」


 感情的でない反論を思いつかぬうちに、ボニーは手際よく書類をまとめて棚に入れ、私の手を引いていた。


***


「お夕飯は私が作りますね」


 唐突に宣言された言葉の意味を即座に理解することができず、私の予備回路は数瞬ばかり停止した。


 意味把握の判断が遅いのは予備回路の欠点ではあるが、しかし主要回路であったとしてもその言葉の意味を即座に把握できただろうか。


「夕飯? 君が? それは私の夕飯のことだよな?」


「はい」


「不要だ。家には常に半年分の栄養を補給できる手段が確立されている」


「缶詰と携帯食料ばかりじゃないですか……だから私が作るんですよ。貴女の父君に頼まれてもいますし」


「くそ……今回ばかりは父上も敵に回るか。娘たる私に一言も告げておかぬとはな」


「父君に対して、そのような無体を言うものではないですよ。貴女を男手一つで育ててくれたのですから」


「……そうだな、失言だった。しかし、君にこうまで言い負かされる時が来るとは、参ったね」


「ふふ、私だっていつまでも守られてばかりの子供じゃないんですよ」


 握られている手の温かさはなるほど、彼女が子供ではなく大人として歩み始めていると感じるに十分なものがある。


 そしてそんな彼女が私を風邪と診断したのであるから、きっと私は風邪なのだろう。風邪で弱っているのだろう。


 だから手繋ぎを許容しているし、夕飯を作らせて彼女の時間を潰してもなんとも思わずにいられるのだ。


 否、それどころか、彼女との時間を共有できて嬉しいという感情と思考が存在してしまっているのだ」


「……私も、貴女とお夕飯の時間を一緒にできるのが嬉しいですよ。毎日作って差し上げましょうか?」


「是非とも」


「はい。良いですよ」


「……いや待て、なんでそんな話になっている。まさか、口から思考が洩れ出ていたか?」


「洩れていました」


「……忘れてくれ」


「ふふ、嫌です。絶対に忘れてあげません」


 楽しそうな声をころころと転がす彼女に軽く身を寄り掛からせつつ、私は思い出していた。


 どうにもボニーというこの女に、昔から勝てた試しが無かったような気がする、と。

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