第28話 隙間
「あっ」
一緒にラブホテルの部屋の掃除をしていた新人の木下が小さく声をあげたので、先輩の田中は振り返った。
「どうした」
「今、ベッドの隙間に虫が入っていきました。」
「げげっ。マジかよ……」
このホテルは掃除が行き届いていることが売りのひとつだ。虫など見逃すわけにはいかない。開業時間前の今、何とかしなくては。
「あの、山崎さんに報告……」
「あー大丈夫でしょ、どうせゴキだろ」
田中は噴射型の殺虫剤を掃除道具のロッカーから取ってきて、部屋においてドアを閉めた。これで問題ないだろう……と思った二人は清掃の続きを始めたのだが、それが悪かった。普通のラブホテルならいざ知らず、ここはバケモノどもの集うラブホテルだ。
数十分後。
先ほど田中が殺虫剤をセットした部屋から、コトンと何かが落ちる音がした。
「なんだ………?」
部屋には誰もいないはずだ。不思議に思い木下と田中がドアを開けてみると。
虫。虫。虫。
虫虫虫虫虫虫…………
ベッドと床の隙間から、枕ほどの巨大な虫が、無限と思えるほどにぞろぞろと涌いて出てきて、部屋中を埋めつくしていた。
「ウワアアアアアアア!!」
先ほどの音は虫が棚の上の置物を倒したかららしかったが、もはやそんなことはどうでもいい。二人は慌てて扉を閉めようとしたが、一足遅く、巨大な虫が数匹廊下に逃げ出してしまった。
あろうことか何匹かはその場で交尾を始め、卵を産み付けて、瞬く間にそれが羽化し、更に個体数を増やしていく。
「ギャアアアアアア!!何この地獄!!」
「どうしようこれ……今日川下さんは!?」
「非番っす」
「なんで肝心なときにいねーんだよあのオッサン!!」
田中がこの場にいない川下テツオに悪態をつくが、いない者に八つ当たりしたところでどうしようもない。
木下はおろおろしつつ、上司の山崎に連絡しようと端末を取り出したのだが、突如伸びてきた虫の脚に撥ね飛ばされてしまった。
そしてその足は、木下の体に絡み付いてくる。別の虫は田中を捕らえ……
「えっ……ウワアアアアアーーーッ!!」
「アアアアアーーッ!!」
※ ※ ※
「……ってことがあってねぇ。二人とも辞表出してやめちゃったんだよ」
「俺がいねえ間に……まあ、仕方ねえか……」
山崎がのんびり茶菓子をつまみながら俺に田中と木下の辞職理由を説明した。
「蟲のお客さんが室内で産卵しちゃってそれが羽化しちゃったみたいでねえ。いやあホテルの外に出さないように駆除するのが大変だったよ。田中くんと木下くんはなんか意識とんでべちょべちょになってたし」
「うん、それ以上は聞かなくていいわ」
若い男手がなくなってしまったのは惜しいが、まあ、こんなところさっさと辞めて次があるならその方がいい。高給に惹かれてやってきた奴を咎めるつもりはない。
俺や山崎のように、この職場をやめられないやつは……虫程度の怪異には驚かず、同じ人間の死体を淡々と処理することに慣れきってしまったやつは……たぶんもう、精神のどこかにタカがはずれてしまって、自分の意識してないところでイカれてしまってるんじゃないか、と思う。のんびりと茶菓子を食いながら休憩している山崎も、いい奴だが得体がしれない。
「……まあ、俺には関係のないことだけどな」
俺は、口癖になった怪異払いのまじないの言葉を呟いて、茶をのどに流し込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます