残り時間の少なさに気づいてセンチメンタルを感じるというのはそうかもしれませんね。今住んでいるところは、冬がとても長く厳しいので、秋風を感じるようになると冬を予感してちょっと緊張してきます。日本だと実りの秋、食欲の秋など充実したイメージもありますが、こちらだとぐんぐん枯れて冷え込んでいく感じの方が強いからでしょうか。
作者からの返信
かわのほとりさん、コメントありがとうございます!
枯れ込んでいく光景も嫌いではないです。静かに息を潜めて次の季節の準備をしているような。実は紅葉よりもそれらが散ってサクサク落ち葉を踏んで歩くのが好きだったり。
でも、その環境によって心持ちが随分違うのも頷けます。日本はなんだかんだ便利で、厳しい環境と言っても、きっとかわいいものという程度。
かわのほとりさんなら、そういった環境でもどこかに温もりを見つけられるのだろうなと、勝手ながら想像してしまいました(*'▽'*)
昔は夏の終りの夕暮れは空気が変わったような気がしていますが、今は九月終わりでも夏の延長みたいな感じがしますね。
最近は田んぼの色で秋を判断しています。
黄金色は嬉しい反面、これで終わりという寂しさも。
作者からの返信
いずもさん、コメントありがとうございます!
季節のはじまりと終わりは実に曖昧ですが、いずもさんは八月までが夏と感じておられるようですね。このあたりの感覚も人それぞれなのは面白いと思います。
黄金色は秋の象徴的な色で、素敵ですよね。
わたしは音や空気の「変化」を感じるだけで、季節のはじまりとおわりがいつなのか、実は全くわかりません。
季節的な事物は翌年もそのまた翌年もまた巡ってくるのを経験上知っていますが、そこを駆け抜ける一過性の「時間」にはセンチメンタルを感じます。
立秋という言葉を強く意識した過去があります。
「秋になったらなみさと君は昇段審査を受けるように」
夏合宿の際、合気道の師範が僕に告げます。
(急にそんな事言われても。技だって覚えていないのに。そもそも秋って立秋を過ぎてからなのか、それとも紅葉シーズンになってからなのか)
結局は秋風が心地よい時期に昇段審査を受け、見事に不合格。
でもまあ、いい思い出です。
それに最近は秋が感じられないので、センチな気分に浸ってみたくもあります。
作者からの返信
なみさとさん、コメントありがとうございます!
立秋の頃はまだまだ暑い盛りですもんね。ただ、この頃から季節の便りは残暑見舞いに変わり、暑さは上りから下りに切り替わります。
『秋』というのは具体的に指定できる何かや期間ではなく、夏合宿で高まった熱が落ち着いて一極集中の状態になったら、と師範様は概念的なものを含めておられたのかもしれませんね(*´꒳`*)
蒼翠琥珀様
>『時間と距離のセンチメンタリズム』
なるほどと思いました。センチメンタルな気持ちになるのは、やはり距離を感じる時ですよね。時間がたつことによって生じる、物理的変化や心理的変化のギャップがもたらす感覚のような気がしました。
夏好きな私は、秋の風を感じると悲しくて仕方なくなります。早くも春が恋しくなってしまって(笑)
作者からの返信
涼月さん、コメントありがとうございます!
『時間と距離のセンチメンタリズム』は私の中にずっとあるキーワードで、元々はこれに関する小説を書こうとしていました。でもまだ煮詰まっていません。笑
去っていく時間がもたらす遠近感。誕生日やクリスマスなどのイベントごとにドップラー効果を感じる人もいるかもしれませんね(*⁰▿⁰*)
私も春と秋に強烈に季節を感じるんですよ╰(*´︶`*)╯♡
「変化の矛先さえも変化してゆく」って表現がかっこいいです。
と言っても、正しく解釈できているか自信はありませんが(笑)
季節の変化を追っているうちに、季節以外の別の変化を追い始めるって感じでしょうか。
作者からの返信
令和の凡夫さん、コメントありがとうございます!
表現を褒めていただけるなんて嬉しい限りです。
どんなものでも表現した側とそれを眺める側では視点が違いますから、解釈は自由だと思っております。
もちろん私なりつもりはあっても、読者側の感じ方を教えていただけるのはとっても嬉しく有り難いことですヾ(*´∀`*)ノ
ここでは単純に季節ごとの空気の変化でしょうか。一年を二十四に区切っていますので、細かな変化があると言っても、それは暑くジメジメとした『夏』という季節。でも季節の変わり目と呼ばれる頃は、もっと大きな変化を予感させます。
でも、ここでは別のおはなしが紛れ込んできますから、季節以外の変化にも目を向けていくように感じていただけたのなら、これは大きな発見と達成だと思います。
丁寧に読み込んでくださりありがとうございます!