掌編小説・『銭湯』

夢美瑠瑠

掌編小説・『銭湯』

(これは、2019年の「銭湯の日」にアメブロに投稿したものです)



掌編小説・『銭湯』



 男が銭湯を出たところで、「♪二人で行った~横町の風呂屋~一緒に出ようねって言ったのに~いつも~私が待たされた~洗い髪が~芯まで冷えて~小さな石鹸カタカタ鳴った~貴方は~私の~体を抱いて~冷たいねって~言ったのよ~♪」

 という、懐メロが聴こえてきた。

 有線放送で、リクエストがかかったのだろう…これは、「神田川」という歌で、いわゆる「四畳半フォーク」ソングの、草分けというか、嚆矢?白眉?のような曲である。

 男の連れの女性が、本当に石鹸をカタカタさせながら女湯から出てきた。

 洗い髪は艶々(ツヤツヤ)していて、バニラのような甘い香りがしていた。

 目が大きくて綺麗で、じっと見つめられるとドキドキするような、魅力的な中年女性だった。新しい銭湯がオープンして、無料キャンペーンをしていて、それで二人で出かけてきたのだ。まだ友達以上恋人未満の関係だった。

「待った?あら「神田川」ね。同じシチュエーション…昔のフォークの名曲って…本当に歌詞がシンプルだけど切実で…心の琴線にダイレクトに触れて、身体の芯まで沁みわたるみたいな、そんな感じがするわね…「貴方のやさしさが怖い…」」っていう歌詞は別れの予感とか、そういう含みなのかしら?」

 二人は夜の巷に歩き出していた。

 どこに行くというあてはなかった。

「いつ終わりになるかもわからない儚いような生活の暗喩かなあ。とにかくお金も無いし、何の保証もない、ただ好きだから一緒に暮らしている…そういうカップルが、寧ろロマンティックで、憧れのような感じだった。」

「ガールフレンドも何もない場合は…ほら、中上健次の、「十六歳の地図」みたいになるわけよね。すごく時代の空気を活写しているけど…」

「僕はね、小学生だったんだ。擦り切れそうになるまで「かぐや姫」の、レコードとか聴いていた。「なごり雪」なんていう歌も好きだったなあ…中学校になるとギターで「かぐや姫」の曲を弾こうとして、一所懸命だった。ビートルズはもとより、加藤和彦とか、はしだのりひことか、吉田拓郎とか、杉田次郎の「戦争を知らない子供たち」とか、子供にはよく分からなかったけど、そういうのはつまり反戦を標榜する

ヒッピーとかニューエイジとか、学生運動とか、フリーセックスとか、サイケデリックとかそうしたラジカルな時代の流れを汲んでいて、つまりは既成の価値観にことごとく疑問符をつけるというカウンターカルチャーが全盛の時代だったんだ。70年代、とひとくくりにするけど、70年代はふつう「ラヴ&ピース」の時代とされていて、「やさしい」ことが最良というような価値観で、だからさだまさしとかもそうだけど、女性目線になった曲が時代の空気にちょうどフィットしていたかもしれない。

暴力が横溢する「政治の時代」は終わって、「モーレツ」は「ビューティフル」になって、日本社会は徐々に成熟していって、…」

 歩きながら二人は話していて、CDショップを通りかかると、「春の予感」という尾崎亜美の曲が流れてきた。

「♪皮肉なジョーク、追いかけるのはもうおしまいにしましょう~頬杖つく二人のドラマ~ワインに揺られて~春の予感、そんな気分、時を止めてしまえば~春の予感~そんな気分~時を止めてしまえば~春に誘われたわけじゃない~だけど気づいて~

I've been mellow~♪」

「そう、成熟してきたんだよ。それがこの歌の頃だよ。すごく時代の空気を映している曲だね。高度成長ももう爛熟というか、ピークに達して、一億総中流社会が来た。

そうして…一種のパラダイムの転換のように、時代はリニューアルされて、80年代というバブリーな時代が来たんだ。」

 二人はCDショップに入って、色々と昔のCDを漁っていた。

 小津安二郎の「東京物語」のサントラを手に取ると、BGMが、YMOの「テクノポリス」に変わった。

「TOKIO…TOKIO…」

「かつての全共闘世代がさまざまに葛藤・変質して消費社会の中にいわゆる”「軽」チャー”っていう前衛的な潮流を流行らせた。新人類とか、ニューアカとか…まあ、日本全体が豊かになって精神的な余裕ができたたという、その反映の、一種の一過性の熱狂、仇花だったに過ぎない現象かな…」

15分ほどそこにいて、二人はまた夜の街の徘徊に戻った。

男はさっきからアイポッドのイヤフォンを耳に着けて、シャッフルで聴いていた。

「バブルというのは本当に百花繚乱で、社会全体がエクスタシーに酔っていたような、狂乱の時代だった。株やら地上げ屋やらが流行って…アンチテーゼとして、「清貧の思想」なんていう日本の古来の素朴な文化を称揚する書物がベストセラーになったりした。」

「読んだわ。日本人は金の話しかしない、なんて海外で言われるとか…」

 音楽は「愛は勝つ」に変わった。

「♪心配ないからね、君の想いが誰かに届く明日がきっとある!どんなに困難で~くじけそうでも、信じることさ、絶対、最後に愛は勝つ~♪」

「加熱しすぎてバブルは崩壊して、出口の見えないトンネルみたいな、「失われた二十年」がやってくる。ITバブルはあったけど、何だか不完全燃焼のままに過ぎていった。相次いでふたつの大震災、米国の飛行機テロとか大事件が起こって、少しずつ世界全体が傾いていくような、世紀末を過ぎても、終末を予感するような、そういう諦めのような風潮が、特に日本とかには濃厚になってきた。超高齢化社会が本格化して、地方消滅なんて言う不景気な話も聞こえてきた…「戦後日本」という物語はゆっくりとフェイドアウトしつつある。僕らの世代はそうして昭和の戦後日本の幼少期、揺籃期、成長期、平成の成熟、爛熟、そうして頽廃、衰亡、全てをリアルタイムに体験してきた…それは勝利の軌跡だったろうか?それとも空しい一炊の夢だったろうか?僕にはわからない。ただ言えるのは、人間というのは決して賢明な生き物ではないということだ。特に社会という特異な集団を形成している時の人間というのは、

その場限りの衝動に振り回されて右往左往するだけの盲目の浅ましいけだものだということだ…」

 アイポッドはパーフュームの「ナチュラルに恋して」に変わっていた。

「♪ナチュラルに恋して、ナチュラルにキスをして、ナチュラルに愛して、ナチュラルに肩を寄せ合って、ナチュラルに恋して、何気ない気持ちが一番の本物♪」

 市街を出はずれて、二人は夜の浜辺にやってきた。

 もう人目を気にする必要は無くなった。

 お互いが恋しくなって、思わず抱き合って、唇を貪(むさぼ)りあった。

 身体を離して、眼と眼で会話した。

 二人の恋は不倫で、許されない間柄だったのだ。

 うなずき合って、手を取り合って、二人は浜辺から海のほうに向かって歩いていった。

 アイポッドにはsekai no owari の「RPG」が流れていた。

「♪空は青く澄み渡り、海を目指して歩く  怖いものなんてない、僕らはもう一人じゃない  大切な何かが壊れたあの夜に  ぼくは星を探して一人で歩いていた

 ペルセウス座流星群、君も見てただろうか   ぼくは元気でやってるよ、君は今「ドコ」にいるの  「方法」という悪魔に取り憑かれないで

「目的」という大事なものを思い出して  空は青く澄み渡り海を目指して歩く

 怖くても大丈夫 僕らはもう一人じゃない 空は青く澄み渡り海を目指して歩く

 怖くても大丈夫 僕らはもう一人じゃない…♪」


<了>

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掌編小説・『銭湯』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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