はとり氏『渡り鳥三部作』と板野『NAVY★IDOL』のクロスオーバー

『時代《とき》の渡り鳥 〜大和ナナと城崎一也、17.3/11の邂逅〜』


 ◆◆◆ 【Part:NANA】 ◆◆◆



 2017年3月11日――

 俺こと飛羽ひば隼一じゅんいち、もとい大和やまとナナが初めて降り立った東北の空気は、春も近いというのに突き刺さるような寒さをたたえていた。

 短く切り揃えたナナの髪を冷たい風が揺らし、かすかに舞う粉雪がはらりと肌に溶ける。旅客機のタラップをたんたんと降り、真っ青な空にふうっと白い息を吐いて、俺はチームメイトの林檎りんご嬢とともに他のメンバー達の背中を追った。


「ふあ……。なぁちゃん、飛行機の中でちゃんと寝た?」


 ばたばたと乱れる黒髪を撫でつけ、林檎嬢が眠そうな目で尋ねてくる。前を行くメンバー達も口々に眠い眠いと言い合っているのを見て、俺は思わずくすりと笑みを漏らした。


「いえ。みんな朝が弱いですねえ」

「あなたが強すぎるのー」


 えいっと腕を組もうとしてくる彼女の動きをさらりとかわし、俺は皆に付いて迎えのマイクロバスへと乗り込む。

 チームキャプテンの朱雀すざく先輩をはじめ、我らがチーム・クアルトが誇るシアターの女神達は、ノーメイクの顔に揃いも揃って眠気の色を貼り付けていた。「ナナは元気だね」なんて皆が異口同音に言ってくるのを笑顔でさばいて、俺は林檎嬢の隣の座席に収まった。


(いかなアイドルといえど、娑婆しゃばの娘さん達に夜明け前の起床はやはり辛いか……)


 通路側の彼女の可愛い欠伸あくびに頬を緩ませながら、俺はの軍隊生活を懐かしく思い返す。兵学校にいた頃には、「総員起こし」の号令がかかる三十分ほど前には皆起きていたものだ。骨の髄まで染み付いた早起きグセは、未来の女子の身体に転生したくらいではそうそう変わるものではない。


「……あ。きれいな花」


 通路側の席から腕を伸ばし、林檎嬢が窓の外を指さす。川沿いの道を行くバスの車窓越しに、土手で小さな花々が風に揺れているのが目に入った。


「あれは水仙すいせんですね……」


 乾いた風になびく黄色い星型を見て、俺が何となしに言うと、「えっ、すごい」と弾んだ声が返ってくる。……眠たいんじゃなかったのか。


「やっぱり花の名前とか詳しいんだね」

「それほど詳しいわけでは……。は都会育ちですし」


 小声で交わすこの会話の「私」が、大正生まれの海軍少尉飛羽隼一の生前のプロフィールを指しているのは、この場で彼女しか知らないこと。


「……まあ、あなたと比べれば何だってね」


 俺のさらりと言った言葉に、彼女がぷくぅと律儀に頬を膨らませるのも、最早お決まりのシチュエーションだ。


「あっ、鳥っ」


 林檎嬢がまた窓の外を指さした。ほう、と俺が窓を半ばまで開けると、乾風からかぜの空を渡る白鳥はくちょう達の声が、ふぉおん、ふぉおんと霧笛むてきのような余韻を引いて耳に届いた。


「あれなに? トキ?」


 のほほんとした彼女の声に、俺は己の肩がずるっと下がるのを感じた。


「こんなところにトキがいるわけないだろう……。そもそも、俺の……私の祖父の頃でさえ絶滅だ何だと騒がれていたのに、二十一世紀にもなって生き残ってるものなんですか」

「えー? いるんじゃない? だってホラ、新潟エイトミリオンの衣装がトキじゃん」

「あぁ、そういえば……。あれ、じゃあ、佐渡島さどがしまにはまだ居るのかな」

「スマホで調べる?」

「後ほどね」


 林檎嬢に優しく言って、俺はしばらく車窓の景色に心を預けた。ふんわり膨らむすずめに、枯田かれたをウロウロするからす。空の向こうではとびが強い風に煽られ、撃墜された戦闘機のようにきり揉みしながら地上の餌を探している。

 東京では見られない長閑のどかな光景。生前も今も来たことなどない場所なのに、なぜか不思議な懐かしさを感じさせるのは、月並みだが日本の原風景のようなものがここにあるからなのかもしれない。

 だが――


(旅情に浸ってばかりも居られない……俺達には大事な任務があるのだから)


 牧歌的な車窓の景色から名残惜しく視線を外し、俺はナナのスマホを手中に起動させた。佐渡の朱鷺トキの消息を調べるためではなく、この後に控えるの予定を改めて確認するためだ。

 3月11日。六年前を境に日本人にとって特別な日付となったという今日。転生から約一年、俺にとっては初めてとなる被災地慰問ライブだった。



 ◆ ◆ ◆



「――ええ、私達エイトミリオンが、被災地の皆さんの心の癒やしに、そして再起への活力になれるように。我々一同、至らぬ身ながら力を尽くそうと……」

「なぁちゃん、カタいカタいっ」


 林檎嬢のツッコミで俺はハッと我に返る。こほんと小さく咳払いして、女子らしく柔らかな言葉を探そうとする俺に、インタビュアーの城崎しろさき氏はくすりと笑いを漏らした。


「ナナさんらしく喋ってくれたらいいんですよ」


 年の頃なら三十路過ぎくらいだろうか、細身で身綺麗な印象の彼は、俺と隣の林檎嬢に優しい目を向けて言った。俺は林檎嬢と一瞬目を見合わせて、「ええ、はい」と誤魔化し笑いをする。

 ナナらしく……。ナナ本人ではない俺にはそれが一番の難題なのだが、そんなことを外部の人、それも報道関係者に勘付かれるわけにはいかない。


「被災地の方達は、私達の想像もできないくらい、辛い思いをされたと思うんですけど……でもね、きっと、どんな辛い状況の中でも輝くものはあるって、私は思うんですよ」


 ナナとして自然な口調を意識しながら、俺は思うままに話した。

 生前の俺達は、明日をも知れない戦いの中で、それでも時には流行りの歌を歌い、くだらない雑談をし、酒を飲み(俺は飲まなかったが)、笑い合ったものだった。被災地の人達だって、辛い日々の中だからこそ楽しみを求めるということがあってもいいだろう。


「私達が、その輝きになれるのなら……アイドルの端くれとして、それほど嬉しいことはないなって」


 俺が言うと、城崎氏はうんうんと強く頷いて、「俺もね」とフランクな言葉で言ってきた。


「苦しみの中でも美しく輝くものがあるって伝えたくて……それで今回、エイトミリオンさんの慰問ライブを取材させてもらおうって思ったんですよ」

「そうでしたか」

「うん。……ナナさんと俺は、どこか通じるものがあるのかもしれないね」


 嫌味のない、くだけた親しみやすさを感じさせる口調だった。ナナの気を引こうとしているのでもない、彼の本心からの言葉なのだと俺は思った。


 校舎内の控室での取材を終えて、この後のライブの会場となる体育館へ移ろうとすると、「ナナちゃん!」と黄色い声が俺の耳に飛び込んできた。ふと視線を振れば、小学生くらいの小さな女の子が、大きな犬のリードを持ったまま、トテトテと俺達の方へ駆けてくるところだった。

 林檎嬢でもなく、もちろん城崎氏でもなく、少女はナナのもとにまっすぐやって来て、嬉しそうに俺の顔を見上げて微笑みかけてくる。


「ナナちゃん、また来てくれたっ」

「うん。来たよ」


 俺は咄嗟に子供向けの笑みを作って、中腰で少女と視線を合わせた。

 本物の大和ナナは、昨年以前――つまり俺がこの身体に乗り移る以前にも、エイトミリオンの一員として被災地を訪れている。少女がその時にナナと面識を得ていたのだろうということは、一目でピンときた。


「元気にしてた?」

「うんっ。あたしねっ」


 しかし、少女が声を弾ませて何かを言いかけた、そのとき――

 彼女の連れていたゴールデン・レトリバーが、ぐるぐると静かに喉を鳴らしていたのから一転、いきなり俺達に向かって激しく吠え始めてきたのだ。


「ひゃっ。なになにっ」


 林檎嬢が怖がって俺にしがみついてくる。少女も慌てた様子で「エース!?」と犬の名らしきものを呼び、彼ないし彼女を押さえようとしていたが、自分以上に身体の大きなその犬を止める手段は、この幼い女の子は持ち合わせていないようだった。



 ◆◆◆ 【Part:KAZUYA】 ◆◆◆



「やだっ、エース! なんでほえるのっ!? ダメだってばっ」


 困惑を通り越して泣きそうな飼い主にも構わず、エースと呼ばれた犬は耳を後ろに引きつけ、尻尾を膨らませて真剣に吠えている。いわゆる、警戒吠えというヤツだ。

 犬の迫力に怯えてナナさんにしがみついているのは、林檎りんごさん……だったかな。チームメイトを守ろうとしてか、ナナさんの瞳は鋭く犬を見据えている。

 ここで俺までが不用意に近づいたら、犬はますます興奮して、最悪けが人が出るかもしれない。


 俺はなるべく静かに二人の前に入り、驚いたような目を向けてくるナナさんに下がるようにとジェスチャーを示した。

 察したように彼女らがそろそろと下がっていくのを確認してから、俺は静かにしゃがみ込んで犬に向き直る。


「大丈夫だ、怖くない、怖くない。……お嬢ちゃん、大丈夫だよ。エースは、君を守ろうとしてるだけだから」

「でもっ、去年はこんなことなかったよ……?」

「犬が一年前のこと忘れててウッカリ吠えちゃう、なんてのはよくあるんだ。エースもすぐ、思い出すさ。大丈夫」

「……うん」


 まだ喉の奥で唸っているとはいえ、ナナさんたちとの距離が開いたことで犬の気も治まったみたいだ。ゴールデン・レトリバーは賢い犬種だがうっかり屋さんでもある。去年のことを忘れているんだろう。

 念のため革手袋をはめ犬の鼻先にそーっと差し出してやる。

 唸りつつも、フンフンと匂いを嗅いで確かめているエースの首に俺はゆっくり手を伸ばし、しっかりと首輪を掴んだ。


「よし。いい子だ、エース。……さ、リードを少し預かってあげるよ。ナナさんたちと話したいんだろ?」

「う、うん……。でも、おじちゃん、大丈夫?」

「大丈夫だよ。エースは賢い子だろ?」


 託されたリードを受け取り、階段ぎわまで下がって柵に通す。首輪は掴んだまま一旦リードの金具を外し、手元の輪の部分に通して首輪に付け直した。

 不満げに見上げるエースを撫でて、なだめる。


「さ、これで心配ないよ。これからリハーサルだから時間はあまりないけど、ちょっとなら話せるんじゃないかな」

「……うん! ありがと、おじちゃん」


 女の子は嬉しそうに頷き、ナナさんたちに駆け寄っていった。

 一生懸命話しかける姿に、どれだけこのライブを楽しみにしていたかがうかがえる。見咎めてまた吠え立てようとする犬を、首輪を掴んで押さえた。

 うっかりかヤキモチか知らないけど、空気を読めない奴は嫌われちゃうぜ、エース。



 ◆ ◆ ◆



 女の子は長居はせず犬を連れて引き上げていき、秋葉原エイトミリオンのメンバーは会場となる体育館でリハーサルに入る。

 俺は特にすることもないので、地元の職員と一緒にセッティングを手伝っていた。


 リハとはいえ、彼女らの表情は真剣そのもの。

 会場は小学校の体育館で、音響設備は貧弱だ。それを踏まえた上で出来る限りベストな音調整を図るのは、なかなかの難題だろう。


 少し休憩を挟もうか――そう誰かが声を掛けた時。


 ぐらり、と。


 真下から突き上げるような揺れが起き、体育館全体がガタガタと揺れだした。

 ステージ上のメンバーたちが悲鳴をあげて立ちすくむ。スタッフと職員が慌ただしく動いて彼女たちを誘導しステージから降りさせようとするが、どうにも覚束おぼつかない。


 ――震度三、といったところか。

 頭上に照明などの機材もあるが、この程度なら落ちては来ないだろう。

 揺れが収まってから移動しても大丈夫じゃないかな、と思って目を向ければ、しっかとすがりつく林檎さんをナナさんがなだめているところだった。……噂通り、本当に仲良しなんだな、あの二人。


 揺れはすぐに収まったが、仕切り直しに休憩を挟むことにしたようだ。

 幸い、追い打ちの地震が来ることはなく、皆が揺れの恐怖を口にしながら飲み物で喉を潤している。

 その時、体育館入り口付近にいた警備の人たちが何やら声を上げるのが聞こえた。


「なんだろ。さっきのワンちゃん?」


 林檎さんの言う通り、聞き覚えのある犬の吠え声が体育館に響き渡る。

 怯えたウサギのように身をすくませてナナさんに身を寄せる林檎さん。ナナさんは困惑したように眉を寄せていた。


「すみません、俺ちょっと見てきますね」


 スタッフさんに声を掛け、立ち上がる。

 入り口でリードを掴み犬と綱引きをしていた警備員さんに声を掛ければ、犬――思った通りエースだ――は俺に向き直り、猛然と吠えだした。


 茶色い瞳は俺をしっかり見ている。

 耳を立て、尻尾はまっすぐで、さっきと様子が違う。

 悪い予感がよぎった。


「エース、あの子に何かあったのか?」


 ワン、ワン、と強い声で犬が吠える。予感が確信に変わり、俺は警備員さんからリードをもぎ取った。


「この吠え方、普通じゃないですよ。様子を見てきますんで、スタッフさんに伝えておいてもらえますか」

「え、でも城崎さん! 本番はもうすぐなんですよ!?」

「すぐに戻ります。手に負えなければきちんと警察を頼りますので!」


 押し問答の時間も惜しいんだ。

 一方的な物言いは俺のスタンスじゃないが、時と場合ってやつだ。

 リードを引き、エースに同行の意思を伝えて踵を返したところで、駆け寄ってきたナナさんと危うくぶつかりそうになる。


「うゎっと、どうしたん――」

「城崎さん! 私も行きます。何かお役に立てるかもしれません」

「えぇっ」


 事件を追う女刑事のような目で彼女は、俺の台詞に被せるように言い募り、エースのリードを奪い取った。犬もびっくり、俺もびっくりの展開だ。

 彼女のチームメンバーにしても同じだったらしく、林檎さんが焦ったように数歩走り寄って声を上げる。


「なぁちゃん、リハは!?」

「本番までには戻る。この場は君に任せた!」

「そんなこと言って……こういうのは、大人のひとに任せなさいって言われたでしょ!」


 悲痛が混じる叫びに、ナナさんが思わずといった風に動きを止めた。泣き出しそうな林檎さん、困惑を表情に映してバラバラと駆け寄るほかのチームメンバー。

 スタッフさんたちが何かを言おうとした所で、催促するようにエースが、ワン、ワンと二度吠えた。


 ――まだ一年も経ってない、昨年の初夏。

 有名男性アイドルグループが主犯とされる、女性アイドルの略取監禁事件があった。


 元締めの男は既に逮捕され、該当のアイドルグループにも余罪を含めて警察が捜査に入っている。その事件が明るみになった切っ掛けこそが、秋葉原エイトミリオンのこの、二人だったはずだ。

 もちろん警察の公式発表に彼女らの名は記されてはいないが、雑誌やネットで連日取り上げられたため、この話題は今でも界隈の語り草になってしまっている。


 噂が事実か否かはともかく。

 アイドルという立場上、噂を後押しする事態へ身を投じるのは好ましくないだろう。


「ナナさん、ここは俺に任せて」


 待ちかねてなおも吠え立てるエースのリードを受け取ろうと、差し出した俺の右手を、ナナさんの左手がガシッと掴んだ。


「今回は城崎さんが一緒なんだ、心配ないさ。それに――」


 鋭くつり上がっていた双眸が不意に和らぐ。口元に怜悧れいりな笑みをいて、彼女は林檎さんを見つめ、囁いた。


「君も知ってるだろう? 女の子を助け出すのは得意でね。……さあ城崎さん、急ぎましょう!」


 余韻に浸る間も無く――いや、本当それどころじゃないのは解ってるけど、とにかく。

 色男も真っ青な決め台詞を吐いて俺を引きずり走り出したナナさんの様子に、さすがの俺も軽く混乱してしまう。……今のは、何かな?

 それに、そりゃ鍛えてるだろうとはいえ、びっくりするくらいのりょ力じゃないか。


 犬語が理解できれば、この困惑についてエースと語り合えるんだけどな。

 俺はまだまだ修行が足りてないみたいだ。



 ◆ ◆ ◆



 中庭を抜けて校外へと走り出せば、小雪混じりの風が頬を叩く。俺はポケットから手袋を取り出して彼女に渡した。


「リードは俺が持つから、君はこれを」

「お構いなく! この程度の寒さなど問題ではありません!」

「そうかもだけど、万が一手を痛めたり傷つけたりしたら大変だろ?」


 保護者として指名された以上、事故につながる事は看過できない。ナナさんもそれは察したらしい、足を止め、リードを俺によこして手袋を受け取ってくれた。


「……すみません、つい、気が急いてしまって」

「気持ちはわかる。とにかく、行き先はエースに任せようぜ」

「はい!」


 何というか、未成年の今時イマドキ女子と話している感じがしない……これが真面目キャラ、というものだろうか。

 いや、そういう事とは違う気がする。


「そういえば君たち、昨年もここに来てるんだっけ」


 探るつもりはなかったのだけど、俺の一言で彼女の表情が固くなったのを俺は見逃さなかった。


「……そうなんです。その時も、あの子は私たちの公演をに来てくれて」

「君に再会できてすごく喜んでたもんな。ところで、俺は聞きそびれちゃったんだけど、あの子、名前はなんて?」

「名前、は」


 言いかけて、そのまま台詞が止まる。東北の刺すような冷風に晒され色の薄くなった唇が、何かを言おうとして、震えた。

 あぁ、――と思った。


「ちょっと待ってな」


 ナナさんの言葉を遮ってエースを引き止め、首輪を掴んでしゃがみ込む。不満げなエースをなだめ、怪訝そうなナナさんに目配せしてから首輪を探り、目的のものを確認した。


「んー、苗字も綴りもわからないけど、名前は『みのり』ちゃんだな」

「凄い。どうやって推理したんです、城崎さん」

「推理じゃないよ。ドッグタグにひらがなで『みのり』って書いてあったんだ。あの子、震災で母親を亡くしてるって職員さんが言ってたから……たぶん間違いないはず」

認識票ドッグタグ? 民間人がそんなものを?」

「民間人? いや、普通に皆使ってるけど」


 エースの先導に任せながら土手の方へと向かう。


 ナナさんもエースと同じで、あの子を思い出せなかったんだろう。

 日本中に数えきれないファンを持つ彼女らに、慰問先で会った小学生を覚えているよう望むのは難しい事だ。

 まあ、それは俺の感覚で、彼女らのプロ意識では許せないのかもしれないけどさ。


 そんな会話をポツポツと交わしていたら、不意に彼女が足を止めた。どうしたの、と尋ねようとして、俺は彼女の思いつめたような瞳に釘付けになってしまう。


「城崎さん。実は、私は……あの子のことだけでなく」


 そのタイミングで、ワンワン、とエースが吠えた。そして勢いよく土手を登りだしたので、ナナさんの話を聞く態勢になっていた俺は不意を突かれて転びそうになる。


「うわっ、と、話は後だ、ナナさん」

「あ、はい。……この声は!」


 土手の向こう、風に吹き散らされて切れ切れに届く、子供のすすり泣く声。それが誰かなんて、考えるまでもない。


「みのりちゃん!」


 堤防も兼ねた高い土手を下った先、それなりの深さがある川を背にして、枯れ草覆う畑地の中に少女はいた。腕の中に子猫を抱え、うずくまって泣いていた。

 はやく来いとばかりにリードを引っ張り吼えたてるエースを御しつつ、踏ん張りにくい土手を降りる俺より先に、ナナさんは身軽く駆け下り少女の元へと走り寄る。

 何かに怯えたように震えていたみのりちゃんは、ナナさんの姿を見て、驚いたように立ち上がった。


「ナナちゃん……?」

「君が無事で良かった! さあ、みのりちゃん。一緒に会場に戻ろう」

「ナナちゃん、あたしの名前っ……おぼえててくれたんだっ」


 怯えて泣いていた少女の顔に、ぱあっと笑顔が花開く。

 ナナさんは何かを言おうとして、思いとどまったようだった。


 そうさ、それが、君の……君たちの役割なんだよ、きっと。

 絶望の底に沈んだ時に縋れる、一条の光。それを差し伸べられるのは、アイドルである君たちだからこそなんだ。



 ◆ ◆ ◆



 少女に怪我はなく、開演の時間も迫っていたため、俺たちは急いで小学校へと戻った。

 話を聞けば、寒風吹きすさぶ土手下に子猫を見つけてしまい、見捨てられず拾いに下りた所で地震に遭遇、不意に湧き上がった恐怖心から足がすくんで動けなくなったとのこと。

 日中とはいえ、風に小雪が混じる寒さの中。

 大事に至る前に見つけられて、本当に良かった。


 俺は取材という仕事があるため、うかうかしてもいられない。

 ちょうど俺の奥さんと娘が体育館に到着したので、経緯を話してみのりちゃんに付き添ってもらうことにした。

 大型犬と子猫が同伴という状況はどうかと思うが、奥さんが居合わせたアニマルクラブの人に相談すると言ってくれたので、とりあえず任せて俺は所定の位置へと向かう。


 メンバーの一人がリハを抜けていても大きな混乱はなく、本番のライブは幕を開けた。

 揃いの衣装に身を包み、きらめく照明を身に受けた天使たちが、全開の笑顔で体育館のステージから明朗な歌を響かせる。

 ナナさんがセンターを務める曲もあった。林檎さんや他のメンバーたちを堂々と率いて、彼女はステージの中心で軽やかにステップを踏んでいた。


「夢見る心はして死なない、諦めなければ――。熱き血潮に身を任せ、進め――」


 みのりちゃんを助けに向かったときの鋭い目つきとは違う、この場の皆に希望を振りまくような温かい視線。彼女の纏う空気に同化したように、仲間たちの歌声が、笑顔が、渾然一体の熱波の渦となって会場を包んでゆくのがわかる。

 それは、雲の合間から燦々さんさんと降り注ぐ太陽の光のようで――。

 彼女らの歌声そのものが、笑顔そのものが、この地の人々に優しく手を差し伸べているみたいだった。



 ◆ ◆ ◆



「お疲れさま。凄く良かったよ、ナナさん」


 ライブは滞りなく進み、記念撮影ののち来場者をハイタッチで見送って、彼女たちの務めは無事に幕引きとなった。

 帰り支度をするメンバーたちに労いの挨拶をかけ、俺は今日一番の功労者に近づく。

 私服のコートに身を包んだナナさんは、少し遠い目をして思案に耽っていたようだけど、俺の声にすぐさま姿勢を正した。


「城崎さんも、本日は有難うございました。この御恩はいつか必ず何かの形で」

「いや、構えすぎだって。それより、これ。みのりちゃんとエースの写真データが入った、SDカード」

「えすでぃー……?」

「いい笑顔だったよ――って、SDカード知らない?」


 憂いを帯びた表情で沈黙するナナさんに、土手で何かを話そうとしていた時の様子が重なる。あの台詞の続きは、俺の想像していた以上に深刻な内容だったようだ。


「城崎さん。私は、……もしかしたら、次に来る時も、今日の事を忘れてしまっているかもしれません。そんな私に、彼女の笑顔を預かる資格などあるのでしょうか」


 彼女からこぼれてしまった悩みに、俺はどんな答えを返せるだろう。

 多くの言葉が浮かんでは消えたけれど、大切な事って案外シンプルなんじゃないかな。


「大丈夫だよ。……今日の君は間違いなく格好良くて、とても輝いていて、みのりちゃんも来場した人たちもに、勇気と元気を貰ったんだ。だから、自信持ちなよ」


 格好良いなんて形容、女性に向けるものではないだろうけど。

 胸を塞ぐ悩みを笑顔で覆い隠し、真摯にファンと向き合う彼女は、本当に格好良く見えたんだ。


 戸惑うような瞳は少しののち、柔らかな表情いろに変わる。

 小さな想い出の欠片カードを握りしめて、彼女は春の陽射しのように笑ったのだった。



 ◆◆◆ 【Part:NANA】 ◆◆◆



「なぁちゃん、城崎さんから何貰ったの?」


 帰りのバスで林檎嬢に問われ、俺は城崎氏から貰ったSDカードというものをポケットから取り出した。

 CDやDVDといった記憶媒体にはもう慣れた俺だが、このチップに至っては何の機械で再生するものなのかサッパリ分からない。城崎氏の話では、この中に写真のデータが入っているそうだが……。


「みのりちゃんとエースの写真を貰ったんです。スマホで見れますかね」

「えー、どうだろ。これってパソコンに入れるやつじゃないの?」

「ふむ……」


 林檎嬢もコンピュータ周りにはあまり詳しいほうではない。まあ、東京に戻れば何とかなるか、と合点して、俺はSDカードを荷物の中に大事に仕舞い込んだ。

 車窓を流れる東北の景色を見やり、俺は城崎氏の意図を考える。彼はきっと、俺の身に何かあっても、あの女の子達のことを思い出せるように、俺に写真を渡してくれたのだろう。

 大丈夫だよ、自信持ちなよ――と、優しく言ってくれた彼の言葉が、暖かな残光を伴って俺の脳裏をリフレインする。


に勇気を貰った……か)


 少女を助けに向かう最中から、彼は俺に一年前の記憶がないことに気付いていた。ひょっとすると、俺が元のナナでないことにまで勘付いていたかもしれない。

 そんな俺の、弱気になりかける心を、彼は励ましてくれたのだ。


「あの人の奥さんと娘さん、幸せそうだったね」


 林檎嬢がふわりと柔らかな声で言ってきた。ええ、と俺も頷き返す。

 あの幸せの形に辿り着くまでに、彼にも色々あったのかもしれない。彼が俺の前で見せてくれた余裕は、一つや二つの死線をくぐったくらいでは到底追いつかない、年輪を刻んだ大人の味というやつだったのかもしれない。


(初めは誰かの代わりでもいい――と、彼はきっと俺にそう教えてくれたんだな)


 ナナの代わりとしてこの場にいる俺だが。俺が俺らしく務めに邁進まいしんしてさえいれば、本物以上の輝きをもって世界を照らすこともできるのだ――と。

 数多の悩みや迷いを越えてきたのであろう彼の瞳は、俺にそう語っていたのだ。


「……なぁちゃん、なに、また黄昏れちゃって」

「いえ……」


 外の景色を眺めていた俺の横顔を、林檎嬢がツンツンとつついてくる。俺は彼女に顔を向け、自然にふっと口元をほころばせた。


「引き続き頑張りましょう。私達を待ってる

「うん」


 エイトミリオンの被災地慰問プロジェクトのスローガンに絡めて、俺は決意を口にした。

 開けた窓から吹き込む風が、冷たく、しかし暖かく、俺達を後押しするようだった。


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