あやかし特区のワーキンガールズ!

板野かも

第1巻

第1話 あやかしと出会う方法

1-1 教室の座敷わらし

「29……30……31」


 教壇から見渡す生徒達の顔を指折り数え、羽切はぎり妙恵たえは小さく頭を抱えた。

 今日も同じだ。何度数えても31人いる。このクラスの名簿には、30名分の名前しか載っていないのに。


「センセー。はようホームルーム」

「何回数えたっておんなじらー」


 男女の生徒達の急かす声に、妙恵はふぅっと小さく息を吐いて、出席簿をぱたんと教卓に寝かせた。

 30人しか居ないはずのクラスに31人。62個の若い瞳が、じーっと妙恵を見据えている。

 あの子もこの子も、明らかにおかしな教室の状況を、怖がるでもいぶかしむでもなく……。そんな些細な問題はさっさとスルーしてホームルームを始めようよ、と、彼らの中のどこにいるかも分からない当の31人目も含めて、全員が妙恵に訴えているのだ。


「……だって、みんな、気にならないの? 仲間の中に、居ないはずの子が紛れ込んでるのよ?」


 困惑半分、呆れ半分で教室を見回しても、生徒達は半ばシラけた顔で首を振ったり、苦笑いを浮かべるばかり。

 アラサー(認めたくないがオーバーの方だ)の自分の半分も生きていない中学生達。だけど、この街のに関しては、大人の自分より彼らの方が何倍も精通していて。

 昨日の月曜から始まったこの怪奇現象に頭を悩ませているのは、この教室でただ一人、自分だけらしかった。


「ただのら。放っとけばその内どっか行くんさ」

「そーそー。ムダなことはいいのに」


 最前列の男子生徒が口をとがらせてきたその響きに、妙恵はぎょっとして身をこわばらせた。


「し、死……?」

「あぁ、違うって、センセー。ムダなことはしなきゃいいのにって」

「あ、そうなんだ……。びっくりした」


 教室のあちこちからクスクス笑いが漏れる。生まれてこの方31年、東京にしか住んでこなかった妙恵には、方言の飛び交う環境はやっぱりまだ目新しい。


「……じゃあ、ホームルーム始めるわよ」


 色々納得できないことを胸の内に一旦押し込めて、妙恵が宣言すると、「やっとか」という空気が彼女を包み込んだ。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「ふふ、羽切先生。それは生徒達の言う通りですよ」


 職員室で向かいの席に陣取る、ひょろっとした眼鏡の男性教員は、妙恵のボヤキを聞くなりニッと口元を吊り上げて言った。


「知らない間に子供が一人増えてるなんてのは、この街ではよくあることです。モチロン、逆に減ってるとなれば大事件ですけどね」

「……はぁ。あの、笠井かさい先生は気にしないんですか? 自分のクラスに座敷わらしがいても」


 妙恵が机越しに尋ねると、彼は学者然とした黒縁眼鏡をくいっと細い指で押し上げ、ふっと白い歯を見せてきた。


「僕だったら嬉々として記録しますとも。いやなに、僕はね、この街特有のそういうアレコレに触れたくて、わざわざ東京から来たくらいでね」

「そうなんですか」


 この私立中学で社会科を教える笠井は、妙恵の一つか二つ歳上と聞いている。東京からこの街に来たという点だけは同じだが、それ以外はあんまり自分とは合わなそうだなというのが、先日の歓迎会の時から妙恵が彼になんとなく抱いている印象だった。見た目だけなら高身長でそこそこ男前なのに、マニアックな喋りがその魅力を打ち消しているというか……。

 とはいえ、先輩は先輩だし、同僚は同僚だ。相手がオタクっぽい未婚の男性だからといって、露骨に引いた態度を取るほど妙恵も子供ではない。

 だから妙恵は、数学の小テストの採点の手を止めたまま、彼の襟元あたりに視線を向けて聞いた。


「でも、なら、京都とか鎌倉とかあるじゃないですか。……言っちゃ悪いですけど、なんで新潟なんですか」


 職員室(この地域では教務室と呼ばれる)に他の先生が居ないのをチラッと確認してから、それでも声のトーンを落として問うた妙恵の言葉に、笠井は「そりゃあね」と眼鏡を押さえて答えた。


「好きなアイドルが居たからですよ。新潟は意外とローカルアイドル文化が盛んな土地ですからね」

「……へぇ」


 露骨に引くほど子供ではない、が。

 何ていうアイドルが好きなんですか、と無理してその話題に付き合うほど、羽切妙恵は出来た大人でもなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 世の教員達のご多分に漏れず、採点や授業準備やその他の事務仕事でたっぷりと残業をした妙恵は、生ぬるい四月の夜風を浴びながら、街のシンボルだという萬代橋ばんだいばしを弾まない足取りで歩いていた。

 長く広い橋の歩道から信濃川しなのがわを見下ろせば、ちょうど平べったい夜間水上バスが白い飛沫しぶきを上げて流れを下っているところだった。あの船の操縦士を務めているのは就労ビザを取った河童カッパなのだと、つい先日、生徒達から教えられたばかりだ。


 人妖じんよう共同参画社会推進特別区――通称「あやかし特区」。東京から遠くて近くてやっぱり遠いこの新潟市が、京都、鎌倉、松江などと並んでその一つに指定されたのは、今から十年ばかり前のこと。

 そして、東京の私立中学で数学の教員をやって食いつないでいた妙恵に、同じ学校法人が運営するこの街の中学への異動の話が持ちかけられたのは、何年か付き合った男にヒドい振られ方をし、プチ傷心の渦中にあった三月のことだった。

 環境がガラリと変われば、自分の人生も大きく変わるかも……と、望みを抱いてここに来てはみたが。


「……イケメンの烏天狗からすてんぐとか、カワイイ妖狐ちゃんとかが居るわけでもなし」


 京都にはそういうものが居るとか居ないとか聞いたような気もするが、少なくとも妙恵がこの街で見たのは、カッパとかムジナとかが人間の服を着て働いている姿だけ。初めてそれらの妖怪をナマで見たときは内心驚きもしたが、そういう新鮮な感動を何日も保っておけるほど子供じゃないのである。


「座敷わらし、かぁ……」


 もっか、担任として妙恵が取り組まなければならないのは、どうやらクラスに紛れ込んでいるらしいその妖怪をどうするか……いや、どう無視して気にしないようにするかだ。

 放っとけばいいと言われたって、理系出身の妙恵にはどうしてもその存在が気になってしまう。妖怪だろうと何だろうと、居るはずのものがこの目で観測できないというのは、どうにも気持ちが悪い。


 どうしたものかしら、と。

 スーパーで出来合いのお惣菜を買ってアパートに帰る妙恵の足取りは、どうにも重たいままだった。

 座敷わらしのこともあるが、それ以上に、今の妙恵には、住み始めたばかりの自室に帰るのが億劫おっくうになる、一つの理由があった――。

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