第17話 鳴動!邪竜の剣

 味方の魔導師のワイバーンに乗って俺は戦火の街を後にし、一路、曇り空の王都へと舞い戻った。俺が戻ってくることを既に知っていたのか、王立魔導院の屋上の竜舎には、マッド女ことフェーヤが壁に背を預けて待ち構えていた。


「やぁ、トカゲくん。姫様が下でお待ちだよぉ」

「フェーヤさん。もう動いて大丈夫なんですか」

「あぁ、わたしは絶倫だからねぇ」

「ぜ、絶……!?」

「並外れて優れているという意味の単語だよぉ。ひょっとしてキミの言語ではエロい意味なのかぁい」


 からかうように俺の腕をツンとつついて、小柄な才媛はくるりときびすを返して魔動階段に乗った。俺が後に続くと、彼女は階段の手すりに身をもたれさせ、ふぅっと辛そうに息を吐いて振り向いてくる。


「……とはいえ、まだ歩ける程度だ。こんな身体じゃぁ、前線には出られない。わたしが死んだら国家百年の損失だからねぇ」


 ツインテールのぱらりと乱れた彼女の姿を見下ろし、随分と自信家だなと俺は思ったが、それがただの自信過剰ナルシシズムではないことは俺も十分知っている。彼女はこの国における自分の価値をよく分かっているのだ。だからこそ、命を落とす可能性の高い戦いには出ていけない……。


「……さっき、ゴーロスさんって人が、戦場で片腕を失ってて」

「あぁ。筋肉バカだけど良いヤツだよぉ」

「……片腕でも戦うって言い張って、パルス様に怒られてました」

「ひひっ。相変わらずだねぇ、彼も。犬死にしたら才能なんて何の意味もないのに」


 吹き抜けの回廊を歩く最中さなか、彼女は窓からの風に揺れる黒髪を手で撫でつけて言った。


「あーぁ、わたしが夢魔サキュバスか何かだったらねぇ。テキトーな男から魔力を吸い取って即復活してやるんだけど」

「サキュバスって……そんなの居るんですか、この世界」

「さぁ? 少なくとも魔学的に存在は実証されてない。わたしも迷信の類は信じないタチだけどぉ、でも、異世界の改造人間なんてものが居るなら、なんかもう何が居てもおかしくない気はするよねぇ」

「えー……俺ってそのカテゴリーなんですか……」


 釈然としないものを感じながらも、俺は彼女について作戦会議のへと足を踏み入れる。若い魔導師にお辞儀で迎え入れられると、俺の背も自ずとシャンと伸びた。

 ポリーナ姫は数人の魔導師達と大きな机を囲んで立ち、地図の描かれた羊皮紙に目を落として何やら話し込んでいたが、俺達が入室するとすぐに顔を上げてきた。


「先程、ゴーロスから敵の報告は受けましたわ」


 姫は俺と最初に会ったときの臙脂えんじ色の装束を纏っていた。兄と同じ青い瞳が、きらりと俺を見据えてくる。


「敵は、かにはさみと甲羅を備えた改造ゴブリン。間違いありませんわね」


 俺のセンスと同じ「改造ゴブリン」という言葉をさらっと姫が言ってきたことに少し驚きつつ、俺はこくりと首肯した。


「パルス様の剣を犠牲にして、それでも一体倒すのが限界でした。同じヤツがまだ何体もいる……」

「……トルスティ」


 地図の上で白い拳を握り、唇を噛んで姫が呟いたのは、南側に寝返ったあの銀髪のハサミ野郎の名だった。

 

「あなたと敵側の改造人間がこの世界に来てから、僅か一月ひとつき足らず。こんなに早く異世界の技術を解明して、ゴブリンにまで応用するなんて……。あの男の才覚は、わたし達の予想を超えていたようですわね」

「姫様ぁ、才覚なんて立派な言葉は勿体ないですよぉ。アレは狂気って言うんです」


 実はそれほどマッド女ではないフェーヤが、真剣な目をして口を挟んだ。周りの魔導師達の中にも、神妙な顔で頷いている者が何人もいる。

 姫は「そうね……」と呟いてから、再び俺に瞳を向けた。


「トカゲ・リュウヘイ。あなたに託したいものがありますわ」

「えっ?」


 王子からの言伝を伝えなければと思っていたところで、先に姫から切り出され、俺はぱちりと目をしばたかせた。


「邪竜のつるぎってやつですか」

「! なぜ知っていますの?」

「パルス様に言われたんです。その剣を抜くしかないって……姫様に伝えるようにって」

「お兄様もわたしと同じ考えを……。そう、あなたなら使いこなせるかもしれませんわ」


 姫が杖を一振りすると、俺達の前に薄い光の幕が現れた。そこに映し出されたのは、俺の知らない文字が並んだ大昔の書物の一ページだった。古臭い絵柄の挿絵には、フードで顔を隠した魔導師が、竜の爪のような装飾のついた赤い剣を地面に突き立てている様子が描かれている。


「ドラゴンブレイザー。古の大魔導師、神殺しのスニェークリンが邪竜の炎を封じ込めたと言われる魔剣ですわ」

「か、神殺し……!?」


 その物騒な言葉に驚いたのは、この場で俺だけのようだった。


「この国の者なら誰もが知っている話ですわ。かつてその剣を振るった者は、ことごとく邪竜の魔力に心をむしばまれ、自らも身を滅ぼしていった……。だけど、魔法の効かないあなたなら、あるいは」


 姫の真剣な言葉に、俺はごくりと息を呑む。


「……大丈夫ですかね? 確か、精神魔法は効くんだし……俺もその剣握ったらアタマおかしくなっちゃいませんか?」

「まぁ、それは大丈夫でしょぉ」


 机に両手をついて話を聞いていたフェーヤが、ぴっと指を立てて言ってきた。


「そもそもぉ、キミの身体に物理魔法が――より厳密に言うと生物干渉の魔力が作用しないのはぁ、キミの肉体が生物の観念を離れて器物と化してるからで……」

「あ、また俺がバカなの知って難しい話を!」

「まぁ聞きたまえよ。精神魔法が作用するのはー、キミの精神のほうはこの世のことわりを逸脱してないからだけど……あぁ、精神って魂のことだよ、物理的な脳髄の話じゃなくてね。そうそう、だからキミって、魔学的に見ると『心を持った人形』みたいな存在なんだって。古来、魔学とおとぎ話の区別が付かない連中がこぞって挑んできたテーマだ。もちろぉん、そんなものを作り出せた魔学者は一人も居ない。まさか、生きた人間を先に用意しておいて、身体のほうを機械に置き換えるなんてアプローチがあるとは思いもよらないからさぁ……イヤ、その話はまぁ置いておいて」


 魔力切れで歩くのがやっとだった割には、やたらと饒舌に言葉を並べ立ててくる……。その半分も理解できずに俺が首をかしげていると、彼女は自分で脱線した話を自分で引き戻し、華奢な肩を小さく上下させて続けた。


「魔法生物の放出魔力ってのはぁ、精神魔法の術式でも何でもない。アレは、漏れ出す魔力が、より魔力の弱い生体に影響を及ぼしてるだけだから……邪竜の剣の魔力とやらも、キミならたぶん大丈夫だぁいじょぉぶ

「本当に……?」

「理論上はねー。ていうかぁ、まぁ、ワイバーンやドラゴンに乗れてる時点で心配ないって」


 そこまで言い終えてから、案の定、彼女ははぁっと苦しそうに息を切らして机にしなだれかかっていた。

 弱ってるんだからそこまで本気で喋らなければいいのに、やっぱりマッド女なのか、と俺が呆れかけたところで――


「姫様はこちらですか!?」


 血相を変えて部屋に飛び込んできたのは、純白のエプロンを身に付けた看護婦だった。


「どうしましたの」

「大変です、ゴーロス様が病棟を抜け出して、騎士団のワイバーンで!」

「何ですって!?」


 室内がざわつく中、俺の脳裏にもあの屈強な男の姿がよぎった。斬り落とされた腕を治すために王都に戻ってきたはずなのに、一体何を――。


「どこへ向かったかわかるの?」

「それが……止めようとした者の話だと、あの方はただ一言、『武器が必要だ』と――」


 聞いた瞬間、姫と俺は電撃の速さで目を見合わせていた。


「さっきの剣の話、ゴーロスさんは」

「幼子でも知っていますわ」

「行きましょう、姫様!」


 取るものも取りあえず駆け出そうとする俺の手を、フェーヤがぱしりと掴んでくる。


「トカゲくん、キミは人の道を外れるなよぉ。大丈夫だとは思うけど」

「……わかってます。無事に戻ります」


 俺はしっかりと彼女に頷き、姫と揃って部屋を飛び出した。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 王都の空には既に雨が降り始めていた。俺はポリーナ姫の細い腰にそろっとしがみつき、ワイバーンの風圧と、彼女の防水魔法からはみ出た雨滴を身に受ける。


《《……落ち着きませんわね。もっとしっかり掴まりなさい》》


 風切り音が耳をつんざく中、彼女は王子やフェーヤと同じように、意識に直接声を送り込んできた。


「はぁ、でも、さすがに姫様の後ろは恐れ多くて」

《《フェーヤが言ったでしょう、あなたの身体はわたし達から見れば人形みたいなものだと。人形に抱きつかれても何とも思いませんわ》》


 姫は澄ました感じで言ってくるが、俺は緊張するんだから仕方ない。それでも、ちゃんと掴まらないと彼女も速度が出しづらくて困るだろうと思い、俺はやむなく彼女のお腹にぎゅっと手を回した。

 装束越しの柔らかい身体の感触。風を孕む金色の髪からは、フェーヤの後ろに乗ったときの柑橘系の甘い匂いとも違う、鼻をスッと抜けるミントのような香りがした。


《《……ゴーロスが剣に打ち込むようになったのは、わたしのためなのよ》》

「はい?」

《《王女に生まれなければ、わたしも、こんなふうに誰かと逢引あいびきなんてしていたのかもしれませんわ》》


 彼女の話は二つくらい途中の段階が飛んでいるような気がした。まあ、あの大男はパルス王子の昔馴染で、姫はその王子の妹なのだから、彼らの幼い頃に大体どんなことがあったのかは童貞の俺だって想像はつくが……。


「この世界の人ってワイバーンでデートとかするんですか」

《《!? それは、ただの言葉のアヤですわ》》


 姫は小さく顔を伏せてから、ふるふると首を振り、ぴしっと前方の山を指さした。


《《つまらないこと言ってないで、もう目的地ですわよ》》


 自分で勝手に言っておいて……とは、突っ込まない方がいい気がした。




 姫がワイバーンを降下させたのは、険しい山の中腹あたりに開けた岩場だった。視界に果てしなく続く鬱蒼うっそうとした木々が、この辺りだけ不気味に避けて通っているように見える。

 岩場の奥には、人の背丈を飲み込む大きさの洞窟が、これまた不気味にぽっかりと口を開けていた。岩の形が心なしかドラゴンの頭に似ている気がする。雨はますます激しさを増し、洞窟の中まで吹き込んでいた。


「竜の胎内たいないと呼ばれる洞窟ですわ。この奥に、邪竜の剣が眠っている……」

「竜のタイナイ……って、身体の中ってことですか?」


 まさか、この洞窟、本物のドラゴンが化石か何かになったもので……?

 俺がぶるっとビビっていると、姫は「伝説は伝説ですわ」とさらりと言いながら、どこからか取り出した水晶の玉を手のひらに乗せ、何かを口元で唱えた。あれは確か、火焔竜フレイムドラゴンを追うときに王子が使っていた追跡魔法……。


「……よかった。まだ中に居ますわ」

「よかったんですか、それ!?」

「ええ、まだ剣を持ち出されていないということですわ。それか……」


 それか、の後を何も言わないまま、姫は自分の周りにヒトダマのような小さな炎をいくつも浮かばせ、洞窟の中へと踏み入っていく。

 言われなくても、もう一つの可能性は分かる。それか、中で倒れているか――だ。

 俺は黙って彼女の後に続いた。洞窟の中にはひんやりと冷たい空気が立ち込め、二人分の足跡が不気味に反響している。姫は怖くないんだろうか、と見当違いのことを一瞬考えてから、俺は、初めて会った時の彼女が夜の森で魔物と堂々渡り合っていたのを思い出した。

 それこそ、王女に生まれていなければ、普通に学校に行ったり、遊んだり、恋したりしている年頃だろうに……。


「……大変だよな」


 俺が小さく口に出した独り言を、彼女は耳ざとく捉えて「なにが?」と聞き返してきた。


「……イヤ、姫様って今何歳なのかなと思って」

「18歳ですわ。……わたしの歳は国中の皆が知っているからいいけれど、この世界ではレディに歳など尋ねるものじゃありませんわよ」

「ああ、すみません。……ていうか、俺の世界でもそうでした」

「……ナルホドね、その歳まで恋人が居なかったわけだわ」


 思わぬ形でぐさりとやられ、俺が意気消沈しかけたのも束の間、無駄事を考えてはいられない光景が目に飛び込んできた。


「! これは――」


 ヒトダマ状の炎が照らし出すのは、人の背丈ほどもある巨大なコウモリの怪物――その真っ二つに斬り裂かれた死骸。地面に落ちたそれからは、まだ黒い血が生々しく溢れ出している。


「ゴーロスの太刀筋……」

「分かるんですか!?」

「この大きさの魔物を一太刀で両断できる者など、そう何人も居るものではありませんわ」


 姫が言ったとき、その言葉に呼応するかのように、暗闇の洞窟の奥から、コツン、コツンと足音の反響する音と、ズズズと硬い何かを引きずる音が近付いてきた。

 姫のヒトダマとは違う、自然の炎がゆらゆらと闇の中に揺れている。俺はすかさず姫を庇うように歩み出て、腹部に出現させた変身ベルトに手を添えて構えた。


「……そのお声は、ポリーナ姫」


 闇の中から男の声がして、大柄な人影が姿を現す。

 2メートル近くの長身に、右腕だけが欠けたその影。血と泥にまみれた騎士装束を纏った、あの大男、ゴーロスに間違いなかった。

 彼は残った左手に松明たいまつと長剣を握っていた。逆手に保持した剣をずるずると引きずって歩いてくるそのシルエットは、なぜか、松葉杖をついて歩く怪我人の姿を彷彿とさせた。

 コウモリの死骸を挟んで数歩の距離で、彼は俺達と向かい合う。いや、彼の目には俺の姿など全く映っていないようだった。


「見ていて下さい、姫。自分は必ずや、この剣で敵を倒してみせます」

「……なりませんわ、ゴーロス。それは邪竜の魔力を宿した諸刃の剣。一度ひとたびその力を振るったが最後、人間に戻れなくなりますわよ!」


 姫の張り上げる声が洞窟に反響する。ゴーロスは大きく首を横に振り、それから、初めて俺の存在に気付いたように、ちらりと俺の姿を見て太い眉をひそめた。


「その男は、先程殿下と一緒に居た……。まさか、コイツが、リザードマスクとかいう用心棒ですか」

「……ええ。我が国のために戦ってくれていますわ」

「……騎士団長の自分よりも、こんな男の方が役に立つと?」


 ゴーロスはこきりと首を鳴らしたかと思うと、突如、松明を放り捨て、剣を順手に持ち替えて、ぶおんと俺に斬り掛かってきた。「ゴーロス!」――姫の声が響く。


「うわっ!?」


 ヒトダマが照らすその大振りな剣閃をギリギリで避け、俺は横に飛び退く。ごぉっと剣の刀身が赤い炎を纏い、横薙ぎに俺を狙ってくる。


「くっ! 鎧閃がいせん!」


 赤い光とともにリザードマスクの姿に変わった俺は、瞬時に跳躍してゴーロスの背丈を飛び越え、彼の逆側に着地した。彼が振り向いてくるのと同時に、その胴体に組み付き、動きを押さえ込む。


「あ、アンタ、とりあえず、剣を放してくれっ!」

「そうはいかん! 自分の邪魔をするというなら、貴様を斬るだけだ!」


 ゴーロスは片腕で剣を振るい、俺の肩口に叩き付けてくる。俺の鋼の鎧装には傷一つ入らないが、身体に伝わる衝撃は凄まじかった。


「俺がいつアンタの邪魔をしたんだよ!? 無理して今戦わなくても、腕が治るまで休んでりゃいいだろっ!」

「貴様に……貴様に何が分かる!」


 俺の胴体を蹴り上げ、ゴーロスは無理やり俺を引き剥がすと、横薙ぎに剣を払った。ぶわっと赤い炎が三日月状に噴き出し、俺の身体を素通りする。


「おやめなさい、ゴーロス! あなたには――」


 姫の言葉さえも遮って、ゴーロスは大声を上げた。


「自分には剣しか無いのだ。剣で力を示さねば、自分に生きている資格は無い!」


 かっと見開かれた彼の目には、赤い炎が踊っている。


「……いけませんわ。既にあの剣の魔力に飲まれている」

「姫様、どうしたら!?」

「どうもこうも――」


 姫はすっと杖を構え、瑠璃色の瞳で俺をきらりと見て言った。


「力ずくで止めるしかありませんわ」

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