第22話  ネジの声



神谷かみや あきらと言う男



神谷 明は、神谷宗彦むねひこ令子れいこの長男である。


神谷宗彦は国際航路の船舶職員。令子は看護師として働いている。


明は巨大船の機関士をしている宗彦を誇りにしていた。


約一年に二か月程の休暇で家に帰って来る父。船員手帳(船員専用パスポート)を見せてもらうと知らない国の入国記録がスタンプで押されている。


明が幼稚園年少組の時は父が休暇で帰っても、母に「知らないおじさん来た!」と言ったそうである。いきなりお父さんと言われても怖くて近づかない。



二週間ほどたつつといつも家に居るに慣れた。自分のお父さんだと心から安心し、大喜びで遊んでもらう頃にはまた海に帰って行った。毎回明は泣いて「行かないで!」と駄々だだねた。



そんな幼年期を過ごした明だったが、物心つく頃には父の仕事を理解していた。一緒に寝てもらい、船の話や世界の国の話を明が強請ねだり、聞いた事の無い話に目を輝かしたからである。そして一緒に、日本が豊かに過ごすためには船が必要である事をお父さんから聞かされていた。とても大事な仕事だった。



宗彦は休暇の間に普段出来ない家の修繕や、令子の出来ない車のメンテナンスなどをしている。明が学校から帰って来ると手を止め、外で暗くなるまで遊んでくれる。遊んでくれない日は家族で食事や買い物、遊園地、旅行だった。


長女のしずくが小学校に入ると、令子は明の出産で辞めた職場に復帰した。二人の様子を見ながら看護師のパート勤務から徐々に看護師のシフトに入る様になって行った。そして現在まで続く。



当時小学校三年生でリトルリーグに入った明のお気に入りは、父と行うキャッチボールと庭に作ってもらったケージに向かって行うトスバッティングだった。


明は体格が良い。三年生の中では飛びきり大きい部類だった。生まれた時から食事も必要なものをたっぷり母に与えられスクスク育った。


生まれ月も五月中旬生まれ。同級生の三月生まれと比べるとほぼ一年も成長が早いのである。四年生どころか五年生の平均程も身長が有った。


同じ技量なら体の大きい力のある明が同級生に先んじて試合に出してもらえたので張り切っていたのだ。



ある日、宗彦が明にボルトとナットを見せて言った。


「明、お父さんは毎日これと一緒に仕事をしていたら、話が出来るようになったんだぞ」


「このネジ?このネジと話ができるの?お父さん」


「あぁ、そうだ!毎日このネジを締めたり緩めたり一緒に仕事をしているだろ?そうしたら声が聞こえてきたんだ」


「本当に?ネジがしゃべるの」


しゃべるのとはちょっと違うな、気持ちが分かるようになるんだ」


「え?しゃべらずにわかるの?」


「明はお父さんと遊んで楽しいと思っているだろ?明は楽しい楽しいって喋って無いぞ」


「あ!そうだねぇ」


「ネジと一緒に仕事をずっとしていたら、ネジの気持ちが分かるようになったんだ」


「ネジの気持ち?」


「そうだ、ネジがもっと締めてとか、締めないでって気持ちがわかるんだ」


「お父さんすごい!ほんとにネジの気持ちがわかるんだね」


「明、ネジでも何でも一緒に過ごして語りかけていたら気持ちが分かるようになるぞ」


「本当?ぼくもしゃべれるようになる?」


「ボールとずっと一緒に居たらボールの気持ちも分かるようになると思うぞ」


「ボールのきもち?」


「バットもグラブも気持ちが分かるようになるかもなぁ」


「本当に?」


「そうだ、おまえがボールもバットもグラブにもお父さんと同じように相手をしてやるんだ」


「今もしてるよ」


「そうじゃない、お父さんと同じように家族だと思って大事に大事にしてやるんだ」


「だいじに?」


「そうだ、物の大事はちゃんと使って、ボールとして生まれてきた事を喜ばせてやることだ」


「ボールがよろこぶの?」


「さっき言っただろ、ボールの気持ちが分かるようになれば分かるさ」


「あ!そっか」


「ボールもバットもグラブだって、大事に思っていたら気持ちもわかるぞ」


「バットにも生まれてきて良かったと思わせてやれ。グラブにもな」


「うん、だいじにだいじにして家族のようにする」


「明はお父さんとお母さんの所に生まれてきてよかっただろ?」


「うん、よかった!」


「明のボールや明のバットに生まれてきて良かったと思わせないとダメだぞ」


「うん、わかった」


「明も早く物の気持ちが分かるようになるといいな」


「うん!」


この日、明は宗彦に大事な大事な種をもらった。


明は物を大切に扱う様になった。物に話しかけた。人のいる所では心で話しかけた。野球である、当然エラーもする。当然三振もする。だが明は物に当たらなかった。グラブにもバットにも仕事をさせて上げられない。喜ばせられない。


自分を責めた。練習した、練習した、練習した。


父は居ない、母は看護師で夜にも居ない時がある。


明はいつも一人で練習した。一人の時間が長かった。庭でブロック塀に投げたら、その度に捕球に行った。毎日一人で向き合った。


踏み荒らされて雑草の生えない庭だけが知っていた。



ある日気が付いた。グラブのスイートスポットで捕球すると感触が違う事に。


グラブはここで捕るのだと初歩で教えてもらう事だった。


聞いただけでは忘れていた。エラーを恐れてグラブ全体の中にボールを追い込んで捕っていた。ボールを捕ったらアウトでみんなに褒められる。捕ればいいと思っていた。

小学校の三、四年生でそんな初歩は忘れてしまっても無理もない。


明の中で初めてネジの声が結び付いた瞬間だった。


スイートスポットでの捕球、ただそれだけの事。明はその時のグラブの声を聞き逃さなかった。確かにグラブが喜んだのである。明の中で意味が逆転する。お父さんの言葉。


グラブが明の所に来て、生まれてきた事を喜ぶ。


グラブが喜ぶようにそこで捕る。


明のグラブとして生まれてきた事を喜ぶようにそこで捕る。


守備練習ではいつも明とグラブは会話していた。気持ちが通じ合っていた。



初めてのホームラン。センター野手の頭上を遥かに越えた。変な力が一切かからず力がスッと抜けた。バットも喜んだ。

明はバットの声を聞いたのだ。


ホームラン、ヒットを追うのではなくバットの喜ぶ声を求めた。

バットが喜べば野手の真正面でチャンスが潰れても相手が上と納得した。自分の努力が足りないと納得した。


練習もバットの喜ぶ声を聞くために行うのだ。


バットが喜ぶには真芯で捉えなければならない。

コースを見極め正確に真芯に当てる練習。

金属バットよりも真芯が小さいと知り、木製バットで練習した。スイングスピードを上げ、かつ球に負けないブレない打撃。素振りの回数よりも正確な軌道で回転力の乗るスイングを心がけた。


プロ野球の選手が真芯で打つヒットの美しさを焼き付けた。

喜ぶ声を聞くためにインパクトの瞬間までボールから目を切らさない練習


明のバットとして生まれてきたことを喜ぶようにそこで打つ。


打撃練習はバットとの会話の時間だった。以後何年も続く会話の時間だった。



ボールの声も聞きたかった。

ボールの声が聞きたくて研究した。

足の運び、腰のひねり、体のねじり、腕の振り、スナップ、握り。いつも心がけて練習した。監督に投げてもらった、コーチにも投げてもらった。うまい人の投球を見た。下手な人の投球も見た。その違いが解るまで見続けた。良いも悪いも理解し自分の技として消化する。


ある日、突然全ての動作が噛み合った。明が作った投球のための力が爆発し、その爆発は流れるように足から腰、体を抜けて腕に伝わり手首へ、それが指の先からボールに乗ってそれは放たれた。奇跡の一投だった。明の魂が乗ったのだ。



一年ほど後、明は宗彦に言った。



「バットとグラブの気持ちが分かるようになったよ、ボールはまだあんまり分かんない」


宗彦も驚いたが何も言わず、どの様な習熟なのか見てみる事にした。見て驚いた。小学四年生の野球動作を飛びぬけていた。宗彦は野球を学んでいない、学んでいないが分かる。全ての動作に腰が入っているのだ。


農作業をまったく知らない人がくわを振るってもまともに耕せる訳ではない。くわを手で振るのでは耕せないのだ。

くわは腰で振る。経験者なら分かる言葉。



「腰が入る」この一年の成長に目を見張った。



「誰かに教えてもらったのか?」と聞くと首を振る。

「グラブとバットの声を聞いて練習した」という。


詳しく話を聞いて納得した。

グラブとバットの喜ぶ声を聞いて、その声を練習したといった。



捕球も打撃も送球も腰が入った土台が無いと安定しない。



喜ぶ声を追う事で一人で辿たどり着いていた。



宗彦は小学校四年生がで、その本質を理解した事に驚いた。


そして宗彦はアドバイスを贈る。


「明、周りを見てみろ。色々な気持ちや声も解るようになるぞ」


グラブやバット、ボールの気持ちが分かるようになった明。キャッチャーに転向した。グラブはキャッチャーミットに変わった。


転向したポジション。同じ練習でも驚愕きょうがくの速度で成長した。


界隈かいわいのリトルリーグでは知らぬものが居なくなった。



次回 23話 野球との決別

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外伝的なの置いておきます。飛ばしても何の問題もありません。

(消すのに忍びなかったのですみません)



神谷宗彦は思っていた。


職人の時代は俺の代で終わりだな。


会社から執務や整備のマニュアル化が叫ばれていた。

師匠について一から機関を叩き込まれる時代はすでに終焉を迎えていた。宗彦がやっと最後の職人世代だった。時代の流れが速くなり、長い航海を利用したとしても、そのような昔ながらの修行の時代では無くなっていたのだ。


宗彦の師匠の時代はスパナを背中にぶつけられる恐怖で整備を覚えたという。


その機関を可愛がり面倒を見て、今日も頼むぞと撫でてやる。調子が悪かったら原因が解るまで詳細なデータを取り、病気の子供を看病するように接する。機械は嘘を吐かない。必ず不調の原因が有るからである。


そんなエンジニアなら普通に覚えてしまう事までマニュアルだった。


どのような機器にもバックアップがあるために不自由はないが段々とコンデンサ一個の変調で基盤ごと交換の時代になっていった。


気が付くと何処の職業にも職人と呼ばれる人たちが引退して消えていた。エンジンの世界、電気の世界、その部品を作る町工場の世界。どこの世界からも職人が引退していた。

マニュアルに沿ってプリント基盤ごと交換する時代になっていた。


30人以上が衣食住にかかる全ての設備と補修機器(電気、ガス、水道、ボイラー、旋盤、ボール盤、各種溶接機器、機関室で使う移動式クレーン等)防火救命機器の取り扱い。安全に過ごす航海機器。積み荷を維持するコンプレッサー、荷役を行うカーゴポンプ、ガスと重油のどちらでも動く主機関、補機関(発電機)船の機器すべてを扱う事の出来る国際的に認められている海技免状を持つ機関士。


機関士の広範囲に渡る気付き、広い視野と柔軟な考察に至る初歩の初歩にもならない気付きの元、その小さな種を明に渡した。


目の前のナットの声を聞け。




次回 23話 野球との決別

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