竜人と亡者とハニトー祭り:2

 驚くべきことに、ランプを提げた杖は自立できるらしかった。わずかな隙間を残して宙で直立している灯具に、フィールーンは目を丸くする。そしてその持ち主の姿が、とっくに消え去っていることに気づいた瞬間――


「もっと離れてろ、フィルッ!」

「きゃ!」


 咆哮と共にがぎん、と重苦しい金属音が間近で弾ける。踏み込んできたのは亡者のほうだった。セイルの大戦斧にも怯まず、迷わず突っ込んできたのだろうか。どう見ても命知らずなその行動に、フィールーンは驚愕した。やはりヒトの思考ではない。


「でかい図体のわりに、素早いんだな。上々だ」

「そっちこそ、死体ってのはもっとノロノロ動くもんじゃねえのか?」


 セイルが声高らかに挑発するも、亡者――エッドは、猫のようにひらりと跳んで距離を取る。先ほど戦斧へと差し向けたらしいからくりの腕をちらと見、不思議そうに首を傾げた。


「驚いた、本当に斧らしい。この空間に持ち込める武器があるなんてな。愛剣が懐かしいよ」

「持ち込んだんじゃない。んだ、多分」

「へえ! でもこっちには傷ひとつ付いてないぞ。ちゃんと手入れしてるか?」

「うるせえな。他の部分で試してみろよ!」


 不敵に笑い、竜人は巨大な両翼を駆った。乱れた霧に煽られて黒髪が頬を叩き、フィールーンは目を細める。


「うっ……!」


 セイルの発言はおそらく囮だ。なにせ彼の得物は、自身と同じ“竜人”しか斬れない。目立つ得物に相手の注意を集中させ、爪や拳で決着をつけるつもりなのだ。


「で、でも――」


 武具などなくとも、竜人の力が込められた拳を受ければ、か弱い亡者などひとたまりもないはずだ。しかしそれで良いのだろうか、と王女の直感が訴える。


 エッドからは殺気を感じない。武人ではないフィールーンが気づけないだけかもしれないが、妖しい見目の奥にはたしかなヒトの心が宿っていると感じるのだ。


「ツノに尻尾、それにその鱗まみれの身体――見たことない種族だ。ひとのことをさんざん死体呼ばわりして、君もヒトならざる者だとはな?」

「竜人と亡者を一緒にすんな! 同じところでまた真っ二つにされてェか?」

「物語の主人公にはなれないタイプだ」

「てめぇもな!」


 セイルの一撃は重かったが、亡者はすばやい身のこなしで回避していた。息もまったく乱れていないことに感心したフィールーンだが、そもそも彼はそのような行為から解き放たれた存在であることを思い出す。亡者には体力の消耗がないのだとしたら、戦いが長引けば生身である仲間が不利になってしまう。


「セイルさん!」


 加えて、亡者が言った『元勇者』という言葉。フィールーンの知識の中で、その役職は絵本の中にのみ存在するものである。たしかに遠い昔にはそんな称賛を受けた者がいたのかもしれないが、ほとんどの勇者には名がない。少年少女の冒険心をくすぐるためだけに姫を救い、おそろしい悪魔を倒すものなのだ。


 しかし彼が本当に――『勇者』に見合った経験や知恵を持つとしたら?


「一旦退きましょう、セイルさん! きっと戦う以外にも、方法が」

「賢明な意見だな。王女フィールーン殿」

「えっ!? な、なんで私のこと知って」


 思わず言ったフィールーンに、亡者は金の瞳を細めて微笑む。しまった、と王女は口元を押さえた。どうやらこちらの会話の断片から推測され、嵌められたらしい。三十手前に見える容姿からして、彼が亡くなった時にはすでに自分たちよりも大人だったのだろう――きっと、踏んできた場数が違うのだ。


 再度の戦闘中止を訴えてみるも、男たちは身体を躍らせることを止めない。焦った王女は霧の中に救いが見えないかと目を凝らした。左右を見回しても、相変わらずの濃霧だ。点在する岩らしき物体の輪郭さえ、ぼやけている。


「……岩?」


 大小不揃いな、でこぼことした塊。ぼんやりとしたそれらの輪郭は、フィールーンが目を丸くしているうちにだんだんとハッキリしてきた――近づいてきているのだ。


「セイルさん、それに、エ――エッドさんっ!!」

「ん? 呼んだか、フィールーン」

「馴れ馴れしく応えてんじゃねえッ!」

「美女に名を呼ばれたら、早急に応じるのが勇者の礼儀マナーだ」


 先にエッドが戦闘から抜け出たため、竜人も追従して翼を畳んだ。わずかに恨めしそうな顔をしつつ、フィールーンへと振り向く。


「どした、姫さん? 見て驚くような化けモンなら、ここにいるだろ」

「あの、私たち……何かに囲まれているような」

「え――おおっ、マジか!? なんだこいつら」


 こちらを包囲する影の合間には隙間もあるが、連携している以上簡単には突破できないだろう。自然と3人はその輪の中央に集まり、警戒の声を漏らす。接近しても王女の見立て通り、エッドが仕掛けてくる様子はなかった。


「おいテオ、お前気づいてたんなら言えよ。何、言っただと? 分かり辛ェんだよ、お前はいつも!」

「なあ王女様。彼は一体、誰と喋ってるんだ?」


 こそりと、しかしどこか面白がる様子で訊いてくる亡者に、フィールーンは少し迷いながらも自分たちの状態を話した。彼なら信じてくれる気がするのだ。


「あ、あの、セイルさんの中――精神には、テオギスさまという“竜の賢者”が住まわれているんです。彼が“竜人”になったのも……というか、私も」

「へえ、すごいな! 身体の中に竜を飼うなんて、まさにおとぎ話だ。というかまさか、君の中にも?」

「はい。ルナといって、とても綺麗な白い竜で。エッドさんも、普通の不死者じゃないですよね」

「まあな。俺の場合、死んでそのまま“天界”に行きたかったけど門前払いされて、そこでタイミング悪く蘇生術が」

「おい、何のんびり談笑してんだ!? 茶飲み友達みてえに自然と情報交換してんじゃねえよ。来るぞ!」


 竜人の訴えにハッとし、フィールーンは亡者とのお喋りを止めて辺りを見た。点在する包囲網がぶるぶると震え、もっとも小さい塊が霧を突き破ってこちらへと突進してくる。


『はにとー!』


 甲高い、しかしハッキリとした鳴き声。ぷにょぷにょと奇妙な足音を響かせて転がり出てきたのは――


「出やがったな! よォし」

「ま、待って下さいセイルさん。とても可愛い魔獣です」

「お前さんからすれば、魔獣はなんでも可愛いだろが! ヒト食い羊だったらどうすんだ」


 もっともな意見に、フィールーンはちょこちょこと歩き回っている魔獣を見た。見た目は羊だが、身体部分が岩のように硬質化している。いくつかの層に分かれている様子が、かぼちゃの凹凸を連想させた。というか、足の生えたかぼちゃと表現するのが一番打倒に思える。


「けど、敵意はなさそうだぞ。ほらほら、おいでおいで」

「てめえ、緊張感持てよ」

「そういうのは、死ぬ前まで持ち合わせていたら良いのさ。亡者が動物好きだっていいだろ。なあ?」

『はにとー!』


 エッドがひょいとかぼちゃ羊を抱き上げると、魔獣は可愛らしい鳴き声を上げた。フィールーンは目を輝かせ、続いて出てきたもう一匹へと両腕を広げる。


「わあ、なんて愛らしい魔獣なんでしょう! ヒトの庇護欲を誘うような可愛い外見はもしや、外敵からの防護を目的とした進化なのでしょうか!? いえそれよりも、やはり注目すべきはこのかぼちゃにしか見えない胴部分で」

「落ち着けよ、王女様。羊、震えてるぞ」

「はっ! す、すみません」


 興味のある分野を語り始めると止まらないという、一番恥ずかしい部分を見せてしまった。フィールーンは顔を真っ赤にして亡者を見たが、彼は灰色の顔をどこか嬉しそうに緩ませている。


「な、何か……?」

「いや――懐かしいなと思ってさ。俺の親友も、魔物全般が好きでさ。いつもそうやって、観察を怠らない奴なんだ」

「そうなんですね。もしかしてエッドさんは、そのお友達に会いに?」

「気にするな。俺が側だからさ」


 謎めいたその返答にフィールーンは首を傾げたが、となりに位置取るセイルの殺気が途切れたことに気付いて会話を止めた。見ると、彼は青髪のヒト姿になっている。


「……確かに、害意はないらしい。美味そうだ」

「セ、セイルさん。さすがにここでは」


 わらわらと集まってきたかぼちゃ羊を見る木こりの顔は無表情だが、王女にはどうも期待が高まったような顔にも見えた。自分の心配をよそに、羊たちは奇妙な鳴き声を上げ続ける。


『はにとー!』

「珍しい鳴き声ですね。何かの訴えなのでしょうか?」

「この“狭間”の魔物――すまん、俺の故郷では大体こう呼ぶんだ――らしいが……見たことないヤツだ。案外そのまま、ハニトーが食べたいって訴えだったりしてな」

「はにとーって、食べ物なんですか?」


 素直に疑問をぶつけると、少し驚いたような声で返答が飛んでくる。


「知らないのか? ハニートースト――厚切りパンに、たっぷりとはちみつをかけた甘味だ。俺の最愛のひとも、大好きでさ。食後はなぜか、いつも後悔してる様子だったけどな」

「そ、そうなんですね!? す、すみません世間知らずで――わ、わっ!」


 亡者の推測は、まさかの大当たりなのかもしれない。かぼちゃ羊たちはフィールーンの提げているバスケットに黒い鼻を寄せ、ふんふんと興奮した様子を見せている。


「……おい」

「どうした、木こり君。心配だろうが、王女様が食べられたりはしないと思うぞ」

「違う。テオが――その魔物の願いを叶えてやったらどうかと」

 

 ぼそりと発表された意見に、フィールーンはエッドと顔を見合わせた。一笑するかと予想したが、亡者は灰色の腕を組んでうーんと唸っている。


「なるほど。“乱れし法則には時に、呑まれてみることも必然”……って、よくログも言ってたっけな」

「エッドさん?」

「よし、竜の賢者殿の仰るとおりにしてみよう。君たちが元のに帰る突破口は、この羊が開いてくれるのかもしれない」

「なにか確信があるのか?」


 セイルの素直な問いに、フィールーンも亡者を見た。静かに待機していた杖を手に取ると、揺れる明かりの下で楽しそうに赤毛がきらめく。


「ないな。けど生きていた頃から、直感の強さには自信があるんだ。君はどうだ、おそろしき竜人君?」

「……。同意する」

「決まりだな。じゃあ、はちみつを探しに行こう。パンがあるんだ、きっと存在するさ」


 気楽ともいえる合図を残し、エッドはほつれた外套の裾をはためかせて霧の中へと進んだ。ぞろぞろとかぼちゃ羊たちも動き出す様は、勇者というより羊飼いのようである。


「……」


 セイルとうなずきあって進みはじめたフィールーンだが、先頭を往く案内人を見て思う。



 彼が“帰る”世界は、あるのだろうか――と。


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