第29話 彼女の消失

「クロエ……」


 え!?


 今……あの男がクロエを……呼んだ?


 しかも、彼の目線は、明らかに俺ではなく、俺の隣にいるクロエに向いている。


【え!? だ、誰!?】


「……俺の名はシヴァ。初めましてだな」


【えっ!? 私の……声が……聞こえる?】


「ああ、ちゃんと聞こえているぞ?」


 !?

 

 あの男は明らかにクロエを認識していて、声まで聞こえていた。


 俺以外で彼女を認識出来る人に初めて出会った。


 彼は一体…………。


「それ以上近づくな! クロエに何の用だ!?」


「…………なるほど、貴様がクロエのか」


「っ!? 俺はクロエの彼氏・・だ! 主なんかじゃない!」


「ふっ……彼女は貴様のだろう? 望めば消す事も簡単に出来る時点で、彼氏彼女だとか、くだらないな……」


「っ!」


 俺は剣を抜いて、男を威嚇する。


 男からはずっと殺気めいたモノが放たれている。


 震えているクロエの前に立つ。


 クロエに触れる事は出来ないだろうけど、少しでも彼女の視界から男を離した方が良い気がする。


「……ふん、貴様に興味はない。クロエは俺が貰っていく」


「なっ! さ、させるかっ!」


 直後、男が仕掛けてきた。


 予想を遥かに上回る速度に、一瞬反応が遅れる。


 男の長い太刀の横なぎを急いで盾で防いだが、吹き飛ばされてしまった。


 飛ばされ、体勢を整えた俺の前に、衝撃的な光景が広がった。



【い、いや! は、離して!】



 クロエの腕を掴んでいる男が見えた。


 クロエが悲しそうな目で俺を見つめた。


「く、クロエ!!!」


 俺は全力で男に斬り掛かった。


 けれど、男の片手の太刀で全て防がれた。



 男は、クロエの首に手刀を当てて気絶させた。


 俺でも触れられないクロエを……この男は触れられる。


 その事実の衝撃と、男の強さで頭がいっぱいいっぱいになってしまって、上手く動けずにいた。



「哀れだな、自分の物ですら触れられないというのは」


「っ! クロエは物じゃねぇ!!!」


「ふん、クロエは俺が有効活用してやろう。お前はこのまま消え去るといい」


 そして、男の太刀から今まで見た事ないどす黒い闇が放たれた。


 俺は成す術なく、闇に覆われ、気を失った。






「弱者は永遠に地を這っているがいい」


 気を失う直前聞こえた男の声が、俺の耳に残り続けた。




 ◇




 いつだったか、俺がネットゲームをしていた頃。


 既に毎日一緒に時間を過ごしていた『はっしー』と喧嘩した時があった。



 帽子やヘルムなどの頭装備を着けると、自分のキャラクターの見た目が変わるのだ。


 そして、課金専用の頭装備が数多く発売していた。


 その日、俺が必死に集めた装備を全部売って、課金専用の頭防具『動く猫耳』を買った。


 実は、はっしーはすこぶる可愛いモノには目がないのだ。


 『動く猫耳』が発売されてから、ずっと欲しそうにしていたから買った。


 そして、はっしーに『動く猫耳』をプレゼントした。



 しかし、あいつは怒った。


 俺が毎日集めたアイテムをほぼ全部売り払って買ってしまったからだ。


 殆ど毎日一緒に動いている俺達はお互いのアイテム状況も分かっていた。


 俺は正直、アイテムに執着心がない。


 以前、あれほど痛い目にあってからか、物欲がないのだ。


 だから俺にとっては大した事じゃない。


 でもはっしーのやつ、ものすごく怒り出した。


 毎日頑張ったモノを自分なんかの為に使うんじゃないって怒られた。



 結局、『動く猫耳』は一度も着ける事なく、俺の装備『フレイムブレイド』に変わった。


 それに対して、俺も怒った。


 折角贈ったのに、贈ったモノで俺の贈り物を買ったというのだから……。


 あの時はお互いに一週間も口を利かなかった。


 …………あの一週間。


 本当に辛かった。


 一人でいるのは慣れているはずなのに、再び訪れた独りの時間がこんなに寂しいモノだなんて……。




 ◇




 目が覚めたら、いつもの天井が見えた。


「ペインくん!!!」


 隣からセリナの声が聞こえる。


 そして、その隣で眠っていたイリヤが目を覚ました。


「ペインくん!? 気が付いた!?」


「こ、ここは……?」


「ペインくんの部屋だよ! ほら、棚とかあるでしょう?」


「あ、ああ…………あれ? 俺、どうしてここに……」


 身体中が痛い。


 何かに押しつぶされた感覚が未だに身体に残っている。


 俺は確か…………


「っ!? く、クロエ!! クロエは!?」


「ご、ごめんなさい。私達にはクロエちゃんは見えないから……一応心配しないように伝えてはいたけど……」


「っ! あの男がクロエを連れ去ったんだ!」


「えっ?」


 あの日の夜の事を思い出した。


 あの男がクロエを…………。


 急いで心の中の『ステータス』を開いて見る。


 そこには――――スキル『彼女(封印)』という文字が書かれていた。


 あまりの驚きに時間が止まったように感じてしまった。




 ◇




 どれくらい時間が過ぎたのだろう。


 俺は動けない身体のまま、ベッドの上でただ時を待っていた。


 俺が負った傷は『ポーション』でも治らなくて、回復魔法でも治らなかった。


 だから、そのまま自然治癒を待った。


 待っている間、ひたすら天井を見続ける事しか出来なかった。


 何度もスキル『彼女(封印)』を見ては、見る度に馬鹿みたいに泣いた。


 そんな俺をイリヤとセリナは懸命に看病してくれた。


 こんなどうしようもない弱い俺を……最後まで見放さない彼女達に感謝している。



 三日後、俺の傷が完治した。


 『ポーション』は傷には効かなかったが、自然治癒も向上してくれる効果があったようで、一か月は動けないだろうと思われた傷が三日で治った。


 そして、俺はイリヤとセリナに事情を説明した。




 頷いたイリヤが続けた。


「纏めると、黒い鎧で長い赤い髪の男ね」


「ああ、そいつは何故かクロエに触れられていたよ」


「……今一度確認するけど、ペインくんはどうやってもクロエちゃんには触れられないのよね?」


「ああ、俺は一度も触れる事が出来なかったよ」


「その男には姿も見えるし、声も聞こえるし、触れられると」


「ああ……」


「そして、男は剣の腕も高く、禍々しい技まで使うと」


「ああ」


「ふむ……聞いてる話から相手は恐らく一人ね。もしそれ以上いるなら、一人で現れる必要性がないからね」


 なるほど、そこは考えていなかった。


「それと恐らくだけど、その男、剣の腕はそうでもないと思うわ」


「えっ? どうして?」


「ペインくんが反応が遅れるくらい速かった、という事は既にステータスで負けているのだろうね。という事はそれなりの剣術のスキルを持っていても不思議ではないの。でもペインくんを見ていると剣による傷は何一つなかった。それは相手が高い剣術を持っていない事が分かるの。わざわざ大技を使った事もそれを証明するだろうね」


 そっか……わざわざあの闇の技を使ったという事は、向こうも剣術では俺を倒せないと考えての事か……。


「それに、恐らくペインくんは突如の事で、冷静に戦えていないと思う。その状態ですら相手は剣ではなく、技ような魔法のようなモノを使ったのなら、なおさらね」


「それなら……俺にも勝機はあるという事ね」


「もちろん。今のペインくんは、ペインくんが思っている以上にずっと強いわよ。ステータス『運』だけではなく、実戦の数もレベルも既に高い次元にいるわ。あとは今まで積み重ねた経験と、『自分の強み』を信じていいと思う」


「そっか……イリヤありがとう。セリナもありがとう」


 イリヤとセリナは笑顔で頷いてくれた。

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