伊丹

 その日は、晴天の日だった。


 いつもの大学で勉強を終え、家に帰ってきた。


 家に到着するまでに、いきなり天気が崩れ、俺が家に帰って来る頃には大雨になっていた。


 天気予報では雨なんて言ってなかったのに……。



 家に入ると同時に雷の音が響いた。


「いきなり雨が降って、可笑しいね~」


「只今、お母さん。ほんと……天気予報が外れるからびしょびしょだよ」


「今日もお勉強お疲れ様。お父さんはまだ帰ってこないわよ」


「そっか…………にぃは?」


「…………いつものだね」


「そっか……ご飯はちゃんと食べた?」


「ええ、しっかり食べてくれたわ」


「そっか……よかった」


「ふふっ、最近は挨拶もしてくれるし、ありがとうって言ってくれるようになったわ」


「うん。このまま俺も医師になれば、にぃも自由になれるね」


「ええ、あともう少し……頑張りましょう」


 俺の兄、昔は優しくて、活発で、自慢の兄だった。


 でも、いつしか勉強を辞め、お父さんに反発し始めて、お父さんから見放されてしまった。


 お父さんからは、ああなりたくないなら、ちゃんと勉強しろと言われた。


 最初は兄の事が嫌いになった。


 兄の所為で……お父さんの期待が俺に向いて、毎日勉強の生活。


 父に嫌われるのが怖くて必死に耐えた。


 毎日夕飯の時間になると、家族テーブルを囲んでご飯を食べるも、うちに笑顔などなかった。ずっとお父さんによる、兄を馬鹿にする言葉が飛び交う。


 中学生のある日。


 兄が毎日うちの病院に出入りする事を知った。


 何やらプリントを届けているらしいけど、会った事もないクラスメイトの為に届けているらしい。


 それを知った俺は、昔の優しかった兄の事を思い出した。


 お父さんが怖いから見て見ぬふりをしていた……でも俺は…………やっぱり兄が好きだ。


 優しくて、かっこよくて、何事も率先して挑戦して、馬鹿な事もしつつちゃんと勉強もしていた。


 それを……あのお父さんの所為で失くしてしまった。



 一番最初にやったのは、兄にわざと難癖付けて、夕飯を共にさせなくした。


 毎日怒声が飛び交う夕食から兄を解放したかった。


 それで兄は部屋で一人でご飯を食べる事となったが、俺が大人になるまで我慢していてくれ……絶対に兄を……にぃを助けるから。


 それから毎日死ぬほど勉強に励んだ。


 全ては兄と一緒にこの家を出る・・為に。


 それもあと一年。


 来年になれば、俺も医師となり、お母さんはお父さんとの離婚を考えている。


 既にお父さんの浮気の証拠も集まっている。


 そうなれば、兄に家の中で自由にして貰えるようになるのだ。


 遅かったけど……ちゃんと伝えれば、きっと分かってくれるはずだ。


 だって……俺の好きな兄は、本当に優しい兄なのだから。




 ドカーン




 また雷が鳴る。


 覚えのない胸騒ぎがする。


 お母さんからご飯の前に着替えてきたらと言われ、俺は二階に上がった。


 ――――そして。


 そこには衝撃的な光景が広がっていた。




「えっ……? にぃ……? え?」


 いつもなら閉じているはずの扉が開いていて、身体が半分だけ部屋から外に出ている兄が横たわっていた。


「にぃ……?? にぃ!!!!!!」


 俺の悲鳴にお母さんが驚き、走ってきた。


 そして、お母さんの悲鳴が聞こえる。




 それからは正直何も覚えていない。


 冷たくなった兄をただ揺らして呼んでいた気がする。


 それから数日後、兄の子供の頃の写真が飾られていた。


 学生頃や大人になってからの写真が一枚もなかったからだ。




 俺は何をしていたのだろうか?


 兄は一人寂しく部屋の中で、ずっと待ってくれていると一人思い込んでいた。


 部屋から出ていた兄の身体は、やせ細っていて、最近ご飯も食べてくれるようになったはずなのに…………既に遅すぎたのだ……。


 亡くなった兄の告別式に来てくれる人も誰一人いなかった。


 唯一、来てくれたのは、中学の時、プリントを届けていた家の両親だけだった。彼らの娘さんも病気で亡くなったそうだ。




 お母さんはもう後悔したくないと、お父さんに浮気の証拠を突きつけ、離婚が成立した。


 家は財産分与でお母さんの物となり、俺は必死に勉強を続けた。


 兄の分まで、後悔しないように必死に生きていくと決めたから…………。

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