東所沢を歩く

ケイスケ

第1話

「今度、キミの地元も案内して!」

 彼女の地元である徳島を観光した後に言われた何気ない一言に、僕は一瞬、返答に窮してしまった。

「いいけど、案内するところが無いかも」

「えー、そんなことないでしょ」

 そう言われて、しばらく考えてみても何も思い浮かばず、薄ら笑いを浮かべることしかできなかった。

 そのことが寂しくて、僕は自分が生まれ育った土地と初めて向きあってみようと思ったのだった。



***



「東京はかならず武蔵野から抹殺せねばならぬ」

 まずは書を当たろうと、国木田独歩の『武蔵野』を読んだところ、そんな過激な一文が目に留まる。

 僕が生まれ育った土地を示す代名詞としては『東京』よりも『武蔵野』の方がシックリくるような気がした。

 幼少期から東久留米、小金井、府中を転々としてきて、今は埼玉県所沢市に居を構えている。

 思い返してみると、どの土地でも、校歌には必ず武蔵野という言葉が含まれていた。

 抹殺とまでは言わないまでも、一口に東京と同じ括りにして欲しくないという心情は、100年以上の時を経ても共感するところがあった。

 武蔵野には独特のにおいがあると思う。

 中央線や京王線、西武池袋線で都心から西に下って電車を降りると、河川と草とが混ざった、少しひんやりとした空気に触れるような気がして、それが僕の中では「地元に帰ってきた」という合図のように感じていた。

 都会というには憚られるけど、田舎というにも謙遜がすぎる。

 生活する上では、物価が高すぎず、都心にも出やすく、ほどよく自然も残っていて、東京としての絶妙な距離感を保っている、とても暮らしやすい環境だとも思っている。

 住みたい街ランキングの上位に吉祥寺や武蔵小杉の名前が上がり続けているのも、この都心との距離感に大きな理由があり、それそのものが武蔵野を構成する太い幹として、都市化していく姿を決定づけているような気もする。

 様々な文献をあたっても、武蔵野の範囲を明確に定めているものはなかった。

 国木田独歩は小説を通じて「自分で限界を定めた一種の武蔵野」について語っていたが「八王子はけっして武蔵野には入れられない」という一文が面白い。

 個人的な感覚として、八王子は武蔵野と判定しても良さそうな気がするのだけど、様々な路線が集約されるターミナル駅という側面もあり、明治時代は中心都市として栄えていたんだろうなと想像できる。

 そもそも、国木田独歩が過ごした武蔵野というのは今で言うところの渋谷だ。大都会もいいところじゃん。

 都市化と共に失われていく武蔵野があるならば、新たに武蔵野になっていく街があってもいいのかもしれないと思う。



***



「武蔵野の美、今も昔に劣らず」

 武蔵野の美とは、かつて万葉集に詠まれたススキが広がる月夜の原野であり、独歩が発見した雑木林の美しさでもあるという。

 そうした景色が残っている場所に、彼女を案内すればどうかとも思ったが、今の武蔵野を生きる僕にとってはどちらも既に失われた景色で、いまいちピンとくるものでは無かった。

 じゃあ、今の武蔵野ってなんだろうな……と思い悩んでいた時期、自宅から歩いて15分ほどのご近所に、突如として巨大な複合施設が爆誕する。

 ところざわサクラタウンだ。

 近隣に住んでいる身からすると、駅前の開発が進んでいる所沢ならまだしも、東所沢にクールジャパンの中核を担い、国内最大級のポップカルチャーの発信拠点が誕生するというのは、かなり衝撃的な光景だった。

 これまでの僕にとっては、スーパーマーケット、ドラッグストア、飲食チェーン店、書店兼レンタルビデオ屋、幹線道路沿いの衣料品店といったどこにでもある風景が、東所沢を構成するほとんど全ての要素だと感じていた。

 そんなのっぺりとしたザ・郊外の街に、突如としてロールプレイングゲームのラストダンジョンのような巨大な岩石要塞が現れたのは、かなり非日常的な光景だった。竣工された施設と初めて対面した時は、現実の光景と受け入れることができず、思わず笑ってしまったことを覚えている。

 両サイドにアニメのタイトルがバンバン書かれた上りが並ぶ鳥居をくぐると、言われなければ神社とは気づけない、ファーストガンダムの頭部を思わせる社殿が現れる。

 LEDで高速発光する大鳥居の存在感も語らずにはいられない。

 鳥居からは巨岩信仰の意を込めて花崗岩で建築された角川武蔵野ミュージアムと、アマビエプロジェクトの一貫として、巨岩に張り付いた皮トンビの姿が見える。

 もしかすると、この施設の有り様が令和時代における寺社仏閣のスタンダードになっていくのかもしれない。

 驚いたのは、この施設が東所沢に住む人たちの日常の風景として、あまりにもすんなりと受け入れられていったように感じることだ。

 元日、武蔵野坐令和神社への初詣も兼ねてところざわサクラタウンに散歩に行くと、神狼の神楽舞を見物するために、多くの地元住民が集まっていた。

 神狼は神楽舞を終えるとエスカレーターで移動する。日本武尊の眷属として道案内役を務めた御眷属も、原野や雑木林が失われつつある現代の武蔵野で生き残るためには、テクノロジーに迎合しなくてはならない。

 平日の夕方にダヴィンチストアへ立ち寄ると、学校帰りの子供たちがランドセルを背負って鬼ごっこをしていたり、親子連れで犬の散歩に来ていたりする。

 施設内には飲食店やホテルもあり、隣の公園には独歩が激賞した雑木林の面影と、巨大な子供の背丈くらいある巨大なドングリが転がっている。

 最初のうちは面白半分だったが、少しずつこの施を居心地の良い場所のようにも感じるようになっていった。



***



「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない」

 近所に生まれた奇妙な施設に魅せられてからというもの、僕の興味は東所沢という街そのものに拡大していく。

 見慣れたチェーン店ではなく、その隣にある街中華に入ってみる。

 年季の入ったメニュー表、ナイター中継と瓶ビール、常連さんと店主さんの楽しそうなやりとり、中華そばの素朴な醤油味。

 外からみると取っつきづらくても、一歩中に踏み入れると、こんなにもお腹一杯に幸福な世界が待っているのだと気付かされる。

 長年、この街で愛され続けている理由が分かるような気がした。

 東所沢駅を降りてサクラタウンとは逆方向に歩みを進めてみると、一気に人通りが少なくなり、景色には川と草原が広がっていく。

 現在地を確かめるために地図アプリを開いてみたら『血の出る松跡』という名前のシンボルマークが現れて、小心者の僕はその場で引き返してしまった。

 県道沿いを西に向けて歩くと温泉施設がある。

 人があまり多くなく、のんびりできる良い場所を発見することができた。

 これまで、僕は自分が生まれ育った武蔵野という土地のことを、抜け出すことが出来ない柔らかな檻のようにも感じていた。

 誇れるものも、目立った観光資源も無い、平坦なこの台地に対して、どこか未来を見通せない所在の無さを感じ続けていたのだ。

 ところざわサクラタウンの連絡橋から沈む夕日を眺めながら、文化と技術と自然と生活が混ざりあうこの施設は、その実、人の営みの中で急速に変化していく武蔵野という土地のミニチュアなのではないかと思い立つ。

 そうして見つけていった居心地の良い場所は、少なくとも僕にとって「今の武蔵野の美しさ」と言ってもいいものではないかとも思った。



***



「それで、地元のいいところは見つかった?」

 ある日、彼女と電話していた時にふと尋ねられる。

「実は、ちょっと面白い場所を見つけたんだよね」

 自分が生まれ育ったこの土地のことを、今なら少しは誇れそうな気がした。

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東所沢を歩く ケイスケ @gkeisuke

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