破滅のリリー

ジェイソン

第1話

「…………うん?」

 

 周囲の喧騒によって少年が目を覚ます。

 その少年のやや中性的な顔は秀麗で、平均に僅かに届かない身長に比べ脚はスラリと伸び美しい。だが少しばかり伸びた前髪や僅かに肩につく癖のある襟足が自らの外見に無頓着な印象を与える。

 

 少年はその僅かに垂れた眠たげな目で周囲を見渡し眠りにつく前と比べ大きく増した観客を見て首を傾げた。

 

(ライブは終わったのか……ていうか、人増えた?)

 

 ここ秋泉高校の体育館には老若男女多くの人々が集まっていた。

 少年が居る二階の観客席も空席が見当たらず、少年の向かいにある観客席も同様に満員となっている。アリーナには更に多くの人が詰めかけ、皆一様に舞台上に注目していた。その視線の先を追うと、スクリーンに映された『ミス秋泉』の文字。

 秋泉高校文化祭に於ける花形、ミス・コンテストが始まろうとしていた。

 

(いや、にしても多すぎないか)

 

 体育館の入り口では、館内に入ろうとする者とそれを留めようと必死に体を張る生徒や教師が揉めていた。扉を閉める隙もなく未だに人が押しかけるほど混みあっているのには理由がある。

 

 少年は知らずにこの場に居たが、秋泉高校に在籍する一人の女子生徒が、近頃テレビで見ない日がない程の活躍を見せている。

 その女生徒が今日行われるミス・コンテストに参加する事からこれだけの注目を集めていた。

 

「もう舞台裏に叶海ちゃんいるんだよね!?」

「叶海って制服で出てくるのかな?」

「推しを生で見られるなんて、生きてて良かった……」

 

 少年の周囲でも聞こえる話題の叶海かなうという人物、彼女が件の注目の的である女子生徒だった。

 

(有名人が出るのか。凄い人気だな……。それに比べて俺は悪目立ちしてる……よなあ……)

 

 少年に集まる幾つかの視線、それは少年の容姿の他着ている濃紺色の学ランが理由だった。

 少年は秋泉高校の生徒ではなく、曙陽高校に通っている。曙陽高校と云えば、不良が多く集まる事で地域内外で広く知れ渡っている男子校だ。

 全国トップレベルの進学高である秋泉高校とは真逆に位置していた。

 

(制服の方が浮かないと思ったんだけどな……)

 

 少年は居心地の悪さを感じながら混雑する出入り口を何となしに眺める。何とか扉を閉じた教師や生徒等が、何処かに合図を送り照明が落とされていく。

 ゆっくりと照明が落とされていきコンテストの開幕に周囲の熱気が増す最中、少年は辺りが暗くなるに連れ意識が朦朧とし始める。

 

「あ……れ…………」

 

 少年は徐々に薄暗くなる館内に比例するかのように強烈な眠気に襲われていたのだ。

 唐突な眠気に何とか抗うが、瞼は緩慢に閉じられていく。


 少年、波月漱真なつきそうまの意識はそこで途絶えた。

 

 漱真の意識が朦朧とし始めた直後、館内では悲鳴が響いていた。

 

「おいなんだよこれ!?」

「いやぁぁ!助けてぇ!」

「うわあぁぁ!誰か引き上げてくれえぇ!」

 

 突如地面に広がった影のような暗闇から、無数の黒い手が伸び人々を闇の中へと引き摺り込んでいた。

 闇より伸びる無数の手は、微塵の容赦も無く、淡々と人々を呑み込んでいった。

 

 扉を閉じてから30分後、体育館の出入り口前の外で待機していた教師が館内から聞こえる音が完全に途絶えた事を不審に思い、僅かに扉を開けて館内を盗み見た。

 

「————なんで、誰もいないんだッ!?」

 

 扉の先は蛻の空だった。

 

 

 

「いい加減起こした方がいいよね?」

「でも危ないよ……曙陽高校の制服着てるし……」

「でもでもカッコいいしこれをきっかけに仲良くなれるかもよ?」

「もう! そんな事言ってる場合じゃないでしょ!?」

 

 漱真が気の抜ける会話を耳に覚醒し、肌に当たる植物や土の感触に飛び起きる。

 

「………………は?」

 

 目を開くとそこは心地の良い風の吹く草原だった。目を強く擦り何度も瞬きを繰り返しても見える景色に戸惑い、体育館に居た筈の人々が不安げな顔で集い佇む姿に更に困惑する。

 

「…………なに、これ」

 

 思わず溢れた疑問に、隣に居た3人組の少女達が恐る恐る答える。

 

「あの……私達も気づいたらここに居て……」

「そうそう、なんか突然引き摺り込まれて、真っ暗になったと思ったらここに」

「体育館に居た人達みんな居るみたいで……」

 

 疑問が返ってきた事ですぐ隣に人が居る事に気づく。3人とも見覚えるのあるベージュのブレザータイプの制服を着ていたが、少なくとも秋泉高校のものでは無かった。

 

(引き摺り込まれた……?)

 

 疑問は増えたが漱真達から離れた所に居る大きな集団から外れて漱真の傍に居る、漱真はそれを倒れていた自分を心配していてくれたからである事に思い至った。

 

「……とりあえず起こしてくれてありがとう。もう大丈夫だから、あっちの集まってる所に行った方がいいんじゃない?」

 

 漱真が困惑しながらも集団に視線を移す。視線の先では、少女達を熱心に見つめている少年が居た。同じくベージュの制服を着ていることから知り合いだと当たりをつけたのだ。

 少女達は想像と異なった漱真の態度に面食らっていたが、緊張しながらも態度に出さないよう努めた。

 

 そこで視線を追った3人の少女の内、短いブロンドの髪が印象的な九条瑛玲菜くじょうえれながため息を吐き眉を顰めながら毒づく。

 

「あーあ、気づかれちゃったか。ほら蛍里ほとり、束縛男が呼んでるよ?」

 

 その辛辣な物言いに黒髪を背中の中程まで伸ばしハーフアップに纏めている少女、花咲菫恋はなさきすみれが諫める。

 

「こら、瑛玲菜、意地悪言わないの! 蛍里ちゃん、私達も一緒に行くからそんな緊張しないで?」

 

 菫恋の気遣いに西園蛍里にしぞのほとりは長い前髪で顔を隠すように俯き菫恋の背後に隠れた。

 

「……菫恋ちゃん、……ありがとう」

 

 菫恋と蛍里が漱真に軽く頭を下げて少年のもとへ向かう。

 

「蛍里も不憫だなー、あんなのが婚約者なんて。私なら家出してるかなー。お兄さんもそう思わない?」

 

「いや、何も知らないし。……初対面にする話じゃないし、そもそもお兄さんて、歳近いでしょたぶん」

 

 瑛玲菜から突然振られた会話に苦笑する。

 

「それもそうだね、いくつなの? 私達は17歳だよ」

 

「同じ、17だよ。……早く向こう行ってあげたら?」

 

 先に歩き出していた菫恋と蛍里が怪訝な表情でこちらに振り返っていた。

 

「はあ、めんどくさいなぁ……じゃあ、また会えるといいね?」

 

「さあ、どうだろうな」

 

 笑顔で尋ねる瑛玲菜に漱真は表情を変えずに返した。

 苦笑しながら歩き出した瑛玲菜を見送り空を見上げ思わずため息が溢れる。

 

「…………夢じゃないんだよな?」

 

 遥か上空に見える巨大な鳥のような影が、まるでここが夢の世界であるかのようだった。

 

 

 

 

 

 漱真から離れた集団の中、そこでは終わりの見えない討論が交わされていた。

 

「だから! あそこの丘まで行ってみるべきですよ! 向こうに何か手掛かりがあるかもしれないじゃないですか!」

 

「下手に動くより救助を待つべきだ! これだけ大勢の人が消えたらすぐ異常に気づいて通報される!」

 

「ここがどこかも分からないのに何言ってるんですか!」

 

「お前達はあのでかい影が見えないのか!? あれに狙われたらどうするんだよ!?」

 

 なだらかな丘陵に視界を塞がれ、見える範囲には草原しかない。その先を確認しようとする者達を、空に見える未知の影に怯える者達が道を塞いでいた。

 

 そんな何度も繰り返される言い合いを、少し離れて眺める秋泉高校の生徒達。彼等は一ヶ所に集い、その中心を守るかのように並んでいた。

 

「涼楓、顔色悪いけど大丈夫?」

 

 その中心に居るのは浅海涼楓あさみすずか、話題の叶海かなうと呼ばれていた女子生徒だった。

 

「……少し気分が悪いだけよ」

 

 涼楓の容貌は群を抜いて美しく、多くの人々を魅了するのは必然だった。

 黒目がちで大きな目は切れ長でいて愛らしく、スッと通った鼻筋や薄桃色の唇は惚れ惚れする程整っていた。腰まで伸びる艶のある黒髪は美しくまとまり、処女雪のような肌に女性としては高い身長やメリハリのある身体、スラリと伸びた四肢は肉感的で、少女らしからぬ妖艶さを纏っていた。

 

 そんな彼女が今は些か顔色が悪く、自らを抱くようにして僅かに震えていた。

 

「早いとこ俺たちだけでも行動した方が良いかもな」

 

 涼楓の周囲には男女6人の友人達が居た。

 秋泉高校のカーストトップに位置する彼等は、秋泉の生徒達に大きな影響力を持っていた。

 

「じゃあ太一達は足の速い人達を集めてあの一番高い丘まで行って来てくれない? 私達は涼楓の事見てるから」

 

「……そうだな。携帯も使えないし助けが来るとは思えない。よし、おーい! 足の速さに自信のある奴いるか!」

 

 生徒会役員でもある藍葉夏織あいばかおりが、隣に居た神坂太一こうさかたいちに提案した。

 早速メンバーを集め出した太一の下に、食い気味にメンバーが集まる。

 彼等は制止する者達を追い抜き、丘まで一直線に走り出した。

 

「あんた達は行かないの?」

 

「すずちゃんに良いとこ見せるチャンスだよ?」

 

 結川姫奈乃ゆいかわひなの皆本遥みなもとはるかが、友人である男子生徒を煽る。

 

「まあ、僕は運動苦手だし」

 

「俺は念のため残るよ」

 

 残った男子生徒、速水蒼空はやみそら榊間翔大さかきまかいとが涼楓に視線を移す。高校に入学して2年、涼楓が弱みを見せいるのは初めてのことだった。

 

「涼楓、あなた本当に大丈夫なの?」

 

 夏織が涼楓の肩を支える。

 

「……ええ、少し、心配なだけよ」

 

「何が心配なのよ?」

 

 涼楓は夏織の疑問に答えず、俯いたまま胸の内で独語する。

 

(……きっとまた、会えるよね。今日だって、そのために……)

 

 中学一年の夏、別れも言えず突然転校してしまった幼馴染を想う。

 

 

 

 

 

 秋泉の生徒が丘に駆け出してから10数分、漱真は偶然にも身体の異変に気づいていた。

 漱真から1メートル程離れた位置にいた小さな羽虫の羽ばたきが意図せずハッキリと捉えることが出来たのだ。だがそれ以外に身体に違和感はない。違和感はないのだが手を強く握り込むと胸の内が暖かくなる。自然と身体に馴染み、まるでそれが当然かの様に暖かくなるのだ。

 

(これおかしい、よな? 他の人も同じなのか? ……さっきの人達に聞いてみるのもあり……かもな)

 

 瑛玲菜達を探そうかと離れている集団に目を向け、意識して目を凝らす。

 するとまるで時間の流れが緩やかになったような感覚を得る。

 

(は? ……どうなってんだ俺の身体。もしかして聴力とかも上がるのか?)

 

 耳をすましてみるが変化はない。

 

(おかしな状況だしな……便利だしまあ、いいか。それよりさっさと探して聞いてみよう)

 

 この突拍子もない状況でも、漱真に不安や動揺は無かった。寧ろこの状況を楽しむかのように漱真の顔には僅かに笑みが浮かぶ。退屈していた日常に終わりが訪れたのではないかという期待が無自覚にも胸を埋め尽くしていたのだ。

 

 一通り外から眺めても瑛玲菜達は見つからない。奥まで探してみようと集団に混じった。人混みの中には秋泉の生徒の家族であろう人達や他校の生徒がそれぞれ知人を見つけて集まっていた。その中でも秋泉の生徒は教師もいる事もあり統率が取れているようで、黒いブレザー姿の男子生徒が黒のセーラー服姿の女子生徒達を守る様に円形に形をとっていた。

  

 これはちらほらと見える曙陽高校の生徒達を警戒しての事だろうと察せられた。

 現に多くの視線が漱真を警戒する様に突き刺さっていたが、漱真はその視線を軽く躱しながら瑛玲菜達を探す。

 

 漱真が瑛玲菜達を見つけられずにいると、丘の先を確認に行った生徒達が戻って来る。

 彼等の表情は皆焦りに満ち慌てて戻ってくると教師達に何やら必死になって説明している様だった。

 それを聞いていた教師が血相を変え叫ぶ。

 

「皆さん! 急いでここから離れてくださいッ!」

 

 しかし既に手遅れだった。

 

 皆一様に怪訝な表情で彼等が戻ってきた周囲で最も高い丘を見つめる。

 最初に顔を出したのは空色の旗。次第に高くなっていくそれが全容を見せる頃には、馬に跨り鎧を身につけ槍を持った騎士達が見事な隊列で丘の頂上で一斉に姿を見せた。騎士達が静かに集団を見下ろしその異様な空気に重い静けさが辺りを支配している。

 

 そんな中での小さな呟きはよく通った。

 

「……なあ、あの槍俺たちに使わないよな?」

 

 その呟きを皮切りに一人また一人と悲鳴をあげて逃げ始めた。恐怖は瞬く間に伝染し無秩序に走り出した人々は、人の流れに呑まれて蹲る子供すら気にかけることはなかった。

 

 それに気づいた漱真は無理やり流れに逆らいながら泣いたまま蹲る10歳にも満たない背格好の少年へとに辿り着いた。

 そのまま頭を雑に撫でながら少年が泣き止むまで少しの間待ち続けた。

 

 そして落ち着いてきた少年に態とらしく笑ってみせる。

 

「痛い所とかない?」

 

「……うん」

 

「じゃあ走れるか?」

 

 少年は泣きそうな顔で横に首を振る。突然の事態に腰が抜けているようだった。

 漱真は少年を安心させるように柔らかい笑顔を意識して言う。

 

「よし、じゃあお兄ちゃんに任せろ」

 

 背負うのは危険だと判断して少年を横に抱いて持ち上げ、走りながら背後を振り返る。僅かな時間だったがもはや漱真達の後ろを走る者は居らず、騎士達が馬を走らせ始めていた。

 

(いくら何でも無理があるか……なんだか調子も悪いし最悪だな……)

 

 馬と人では勝負にならない。苦笑してみるが背後に迫る蹄音に焦りが積もる。更に漱真は命懸けで走りながらも胸の内が熱を持ち、全力をだそうにもその手前で止まってしまうような気持ち悪さも覚えていた。

 

 既に集団の最後尾は漱真の幾らか前を走り、先頭は先にある丘まで数メートルまで差しかかり背中を追う騎士達はいよいよ漱真の後方10メートル程まで迫っていた。

 このまま走り続けても共倒れになる事を察した漱真は覚悟を決めて走りながら少年に語りかける。なんの計画も無い上に無茶なことを言うなと笑えてくるが共倒れよりはマシだと自らに言い聞かせる。

 

「後は俺が何とかするから、……自分で走れる?」

 

 少年は涙を流しながら首を横に振った。

 

「我がまま言うなよ」

 

 漱真は声を出して笑いながらもこれが最後と強く踏み込む。

 

 その一歩を踏み出した途端、まるで今までかけられていた枷を外された様な感覚と、胸にあった熱が一瞬にして全身に駆け巡り身体全体が異常な熱を持った。

 それを嚆矢として漱真の身体が僅かに赤く輝き、漱真はその赤い光を残像となるほどの速度で駆け一瞬にして最後尾を追い抜いていた。

 

「…………ッ!?」

 

 つんのめる体をギリギリで支え思わず足を止めた時、高い音を発する矢が上空に射られた。

 それを合図に視界を塞いでいた前方の丘からも騎士達が現れる。

 

 我先へと逃げていた人々は足を止め、その顔に諦観を浮かべた時、前方の丘から一騎、前に歩み出た男が声を大きく張り上げる。

 

「我はアルテール王国第三騎士団団長クレイ・シャール! 逃げ出さなければ危害は加えない! 代表の者が居れば武器を捨て前へ出ろ!」

 

 既に囲まれていたことを悟った人々は素直に従うことしか出来なかった。

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