第32話「ゾンビニュース その四」

 松井は本名、松井新太郎まつい しんたろうと言い、俳優のときは、『マツイ』、画家のときは『まつい』と使い分けていた。

 松井はその役になりきることが得意で、カメレオン俳優と呼ばれることもしばしば。悩みはたまに本当の自分がどっちなのか分からなくなること。


 松井は優れた容姿と才能があり、これは神様からの贈り物で、自分はいつか人の前に立ち何かを成すのが使命だと考えていた。それを実現させるため、高校卒業時に家出同然で家を出てから、役者として夢追い人として、都会の街並みに揉まれた。

 もともと演技力のあった松井だったが、彼の転機は、主人公の似顔絵を描く、似顔絵師の役が来たことからであった。

 無名の松井に来た役は、名前もついていない似顔絵師という端役だったのだが、そこで、本当に主人公の似顔絵を描いたことから、彼の知名度は上がっていくこととなる。

 その似顔絵をたまたま見た、芸術評論家はこぞって彼の作品を絶賛。

 瞬く間に個展が開かれ、注目を浴びた。

 さらに、俳優としても、その絵をふんだんに使えるような役が来ることが多くなり、代表作に『絵描き探偵』や『似顔絵捜査官、門田純もんた じゅん』などがある。


 そんな松井が次に脚光を浴びたのがインタビューだった。

 俳優として、画家として、インタビューに答えることが多くなったのだが、毎回なぜか心に響く返しをしてくれると話題になった。


「~~っす」


 というチャラい感じにも関わらず、多くの人たちは松井のコメントを興味深く受け取った。

 そんな松井がコメンテーターとして呼ばれるようになったのは自然な流れと言えた。

 しかし、当の松井は最初の頃、コメンテーターの仕事は断っていたのだが、ゾンビ化のルールが変わってきた頃から急にコメンテーターの仕事も受けるようになっていった。

 そのときのことを、松井は後にこう語った。


「人生の道標、神様からの啓示とでも言うんすかね。ちょっとオレの中で思うところがあったんすよね……」


 そして、コメンテーターとしての名前として、『松井』を使うようになった。


                 ※


「ゾンビ化に対するワクチンっ! これは素晴らしいすね」


 そのニュースを見たとき、思わず松井は声を上げた。


「これでゾンビに苦しむ人が居なくなる!」


 しかし、それと同時に、このワクチンの問題点もすぐに浮き彫りになる。


「だけど、これは、確実に敬遠されそうすね。ゾンビと薬は、ゾンビを倒すゲームの所為でかなり印象が強くて悪いっすからね」


 それから、松井はこのワクチンが安全なのか、そして効果はしっかりあるのかを調べた。

 画家としてパトロンについてくれたセレブの情報網の総動員して集めた情報によると、かなりの確度で安心で効果が立証されたものだった。


「あとは、これをどう広めるか……か」


 松井は一度、目を瞑り、未来を想像する。


「きっと、これがオレが任された神様からの役目っすね」


 神様に後押しを貰い、松井はSNSで新たにアカウントを取得した。


『日いずる国の救世主』


 という名前のアカウントを。


 それから松井は、『日いずる国の救世主』として、ワクチンの怖い噂を流したが、そこで1つ気をつけたのが一瞬信じてしまうが冷静に考えるとウソっぽい噂ということだ。いい塩梅の噂がないときには完全に自作することもあった。

 そして、他人を犯罪へと促す記述も取り入れ、ゾンビワクチンの普及に対する完全なる悪役を作り出したのだった。


 反対に自分自身はコメンテーター『松井』として、見ている人の感情に訴えかけるようワクチンを擁護し、正義ヒーローを演じた。


 の構図が出来上がると、多くの人は正義を応援し、ワクチン接種を友好的な姿勢を見せた。

 松井にとって予想外だったのは木原コーイチの存在で、あそこまでワクチンに否定的で、理想的な小悪党に見える相手がいたことは僥倖ぎょうこうで、姿の見えない『日いずる国の救世主』よりもさらに、テレビという映像媒体を通して視覚にダイレクトに訴えかけられたのは大きかった。


 そして、今、たまたま偶然が重なり、松井の目の前にコーイチが倒れていた。

 たまたまコーイチが以前呼んだ警察がまたホームレスが居ないか探しに来ており、たまたまそんな日に限ってホームレスが居た。

 そして、偶然にも逃げようとするホームレスが木原コーイチにぶつかり、偶然、苦しそうに心臓を押さえている。

 足元にピルケースが転がり込み、松井は全てを悟った。


「これこそ、神様のお導きっすね。オレの行動は正しかったんす」


 松井は、もしこれが神様の仕組んだことであるならば、木原コーイチはゾンビと化し、街に恐怖を与え、より一層ワクチンの接種が進むだろうと考え、ピルケースを確実に届かない位置にまで蹴り飛ばし、あえてコーイチの目を見てから、くるりと背を向けた。

 木原コーイチという人間は罵られ馬鹿にされるよりも、無視されるのが一番、頭に来るはずだと、今までの共演で学んだがゆえの行動だった。


 かくして、コーイチはゾンビと化し、松井の、いや、神様の思惑通り事が運んだ。


「やはり、オレは神様に選ばれし男だったんすね」


 木原コーイチの事件により、ゾンビワクチンを打っていないと見捨てられるかもしれないという恐怖は人々をワクチン接種に駆り立てた。

 今や、日本国民で接種可能な人物のおよそ8割が接種を終えた。


 ゾンビのいない世界。


 松井は、田舎の墓前で手を合わせてから、空を自由に飛ぶ鷲を晴れやかな気分で見上げた。


「もっと早くワクチンが出来ていればお前も注目なんてされなかったのにな……」


 強盗未遂や親子の行き過ぎた愛、書籍の大ヒットがあろうと、虐待事件があろうと、カリスマ店員が活躍しても、ユーチューバーが活躍しても、市役所職員の働きも、警察の働きも、政治家がどんなことをしていても、大したニュースにならず、精々、コメンテーターが面白可笑しく話題にし、お茶の間を満足させる。そんな世界が戻って来た。

 もちろん、コンビニでが事故で死んでも、小さなニュースにしかならない世界が戻って来たのだった。


                ※


「続いてのニュースです。ワクチン接種率は全世界でも7割を超え、ここ1か月間、ゾンビが発生したという記録はありません」


 ――プチッ。


 松井は、満足げにほほ笑んで、リアルタイムで見ていたテレビの電源を消した。

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