Re: gret

見えない背を追う

 故郷へ帰るまでの道程は相変わらず退屈な各駅停車で、俺は車窓を流れる代わり映えのしない風景に溜め息を吐く。『レトロ』なんて言葉は聞こえだけで、実際は老朽化したディーゼル列車の不安定な振動が微睡みさえも遮るのだ。

 遠くに見える高速道路の高架は、山を切り拓いて真っ直ぐ都会まで続いている。あの頃から何も変わらない、閉じた環境から抜け出すためのファストパスだ。


「なぁ、バイクは? 昔みたいに風を感じながら帰ってくればよかったのに……」

「……いつの話だよ。もう売ったわ、そんなもん」


 俺が投げやりに答えながら一瞥すれば、金村は欠伸を噛み殺して笑う。高校の時から伸ばしていた髪を一つに纏め、薄い色の丸サングラスの奥にニヤついた視線。一目見れば10年の月日なんて忘れてしまうほどに、何も変わらない姿。駅ですれ違った俺が驚いたのも、無理はないだろう。


「退屈だなぁ、トキワ。久しぶりの帰郷なんだし思い出話でもするか?」

「お前と遊んだ以外にいい思い出なんて無いわ、こんな町! だから俺らは都会に出たし、10年も帰ってこなかったんだろ?」

「ハハッ、言えてるわ。……なぁ、俺のケータイ知らね?」


 俺はビジネスバッグに忍ばせた金村のガラケーを取り出し、あいつに投げ渡した。表面の液晶が時刻を表示し続ける。14:17。まだ終点まで辿り着く時刻ではない。


「お前、まだこんなの使ってんのかよ」

「うるせぇな、最新式だぞ? ……ってか、なんでお前が持ってんだよ!?」

「最後に会ったとき、借りっぱなしだったんだよ。いつか返そうと思って預かったままで……」

「いや、ずっと持ってたのかよ!」

「悪いか!? もっと早く再会できれば、俺だって……」


 周囲の怪訝な表情に気づき、俺は声のトーンを落とす。ズレたマスクを調整し、視線を再び車窓に移した。

 悪い夢なら納得できるのに、地に足がつくような感覚はこれを現実だと暗に伝えていた。俺は、既に狂っているのかもしれない。


    *    *    *


 俺と金村は同じ街で生まれ、同じ悩みを抱いていた。ベールのように周囲を包む閉塞感と、何かを持て余すかのような衝動の波。ルールに縛られることを妙に嫌って、自由と快楽主義に浸ったティーンエイジの刹那。あの頃の俺たちに取っては楽しかった“今”がすべてで、大人からも白い目で見られていた。

 その中でも、金村は特に反骨心とそれに見合った実力が強かった。どんなに激しい喧嘩でも負け知らずで、あいつの顔には傷ひとつない。長い髪を勲章のように靡かせ、内から湧く情動を発散するかのように暴れ回るのだ。俺が髪を切らない理由を尋ねると、いつものニヤニヤした笑みでこう答える。


「弱い奴に対するハンデで、俺なりの誠意だよ。ほら、こうやって掴まれたら顔を殴られやすい。でも俺の顔に傷なんて無いだろ? 誰も殴れなかったんだよ、俺を……」


 躊躇なく危険な道を選ぶ男だった。ツーリングでは「スリルを味わいたい」と機体の出せるギリギリの速度を出し、都会で買った怪しげなクスリを好奇心の赴くまま濫用しようとした時は流石に俺が止めた。

 今思えば、生き急いでたのかもしれ

ない。“大人”と呼ぶには若すぎたのに、人生が長いことをあいつ自身が信用していないようだった。享楽主義というよりは、ただの捨て鉢だ。

 俺もバイクで金村の背中を追いながら、置いていかれないように必死にアクセルを踏み続けていた。そこでブレーキを踏んでおけば、決定的な不和にはならなかったのかもしれないのに。


 それが表面化したのは、高校卒業を前にした冬だった。お互いに避けていた将来の話について、金村が口火を切ったのだ。


「なぁ、こんな退屈な街出て行こうぜ。俺らで都会に住んで自由に暮らすんだよ。このままここで腐るなら、死んだ方がマシだ。向こうで好き勝手暴れて、俺らの存在を知らしめてやるんだ!」

「……金村。まだそんなこと続けんのか? 俺、普通に就職するつもりなんだけど」

「はァ? トキワ、お前まで退屈に生きていくつもりかよ。考え直せ! 俺らなら行ける。二人で、一緒にやるんだよ」


 俺は溜め息を吐いた。この先に、輝く未来なんてない。今まで振り落とされないように必死に着いて行ったことさえ、その時は馬鹿馬鹿しく思えた。


「確かに都会には行くよ。でも、それはこれから真っ当に生きるためだ。お前と一緒に、無軌道に暴れるためじゃない。向いてなかったんだよ、俺には」

「……ふざけんなよ。お前まで、俺を裏切んのか? わかった、もういいよッ!」


 そう言ったきり、金村は俺の前から姿を消した。後に残ったのは、あいつが忘れていったガラケーとモヤモヤした感情だけだ。

 ただの突発的な家出で、数日経てば戻ってくるだろう。俺もあいつの家族もそう思っていたのか、捜索届などは出されなかったようだ。結局あいつが帰ってくる事はなく、俺は金村が都会に出たことを心の内で確信する。元々家族とも折り合いが悪かったらしく、俺は引っ越してからも忘れ物を預かり続けることになった。都会に出ればいつか会える。そんな考えがあったのかもしれない。


 それから10年が経った。一人暮らしのリビングの一角に置かれたあいつのガラケーは充電したままで、俺は時折その存在を再確認する。

 俺にとって荒れていた過去は遥か昔の話で、今は平凡な生活を送っているのだ。あいつが今どこで何をしているかは知らないが、10年の月日でお互いの道が離れていたのは事実だ。もう会える事はないかと思い、大掃除のたびに処分しようか迷うようになっていた。決断を先送りにして、充電したまま捨てられずにいる。

 だから、仕事から帰って留守電が入っていたのに気付いた時は驚いた。通話を掛け直すと、驚いた声の女性が出る。金村の妹だ。


「お久しぶりです、常盤です! すいません、あいつのガラケーを預かったまま返しそびれてて……」

「いえ、こちらはとっくに捨てられているものだと……。兄の遺品を預かっていただいて、ありがとうございます」

「……遺品?」

「ご存知なかったのですか? 兄は数ヶ月前にこちらに帰ってきました。無残な亡骸ですが……」


 俺は詳しく事情を聞いた。金村は町を出た後、チンピラとして生活していたらしい。ヤクザや半グレなどの集団とは距離を置きつつなんとか生活をしていたらしいが、そのせいで余計なトラブルに巻き込まれたらしい。チンピラに絡まれた女性を助けようとして、半グレの不興を買ったようだ。全身の骨が折れるまで集団リンチを受け、無残に死んだのだという。

 驚きはなかった。あいつとはもう住む世界が違うと思っていたし、昔から生き急いでいた報いが今やってきたのだろう。

 代わりに胸を行き交った感情を、俺は“静かな失望”だと解釈した。あの頃の強かった金村はもういない。所詮は井の中の蛙で、あいつの死顔には消えない傷が残っているのだろう。背中を追わなくて正解だった。

 持ち主のいなくなったガラケーを捨てようかとも考えたが、これもれっきとした形見だ。せめて墓前に手向けようと思い、俺は久しぶりの帰郷を決意する。脳の何%かを占有していた記憶に蹴りを付けるには、ちょうどいい機会だと思ったのだ。


 一人暮らしのアパートから故郷に帰るには、電車を乗り継ぐ必要がある。既にバイクを手放していた俺は、ホームで黙々と電車を待っていた。聞き覚えのある声が聞こえたのは、発着音が鳴った直後である。


「トキワ? 久しぶりじゃん、何してんの?」


 最初は悪質なイタズラだと思った。あいつの妹が俺に嘘を吐いていて、本当はこの街のどこかで生きているのではないか、と。振り向けば、金村が立っていたからだ。

 その顔に消えない痣は無い。折れているはずの骨も見た限りでは何も問題なく、かのようだった。別れた日から何も変わらない姿で、俺に笑いかけている。


「……お前、なんで?」

「あっ、電車出るらしいぞ。乗らなくていいのか?」


 慌てて乗り込み、状況を整理した。違う、違う。俺だけ10年の月日が経って大人になり、あいつの姿が変わらないのは違和感しかない。自分の脳が信じられなくなったわけではないが、幻覚や幽霊の可能性だってある。まとまらない思考は目の前の幼馴染の影を薄くさせ、俺は自分がおかしくなっていくような感覚に陥った。

 あいつが幽霊にでもなったなら、納得できるかもしれない。あの最期では未練も恨みもあるだろう。自分が死んだことも理解できず、俺に会いにきたのかもしれない。


「なぁ、金村。お前、後悔してる事とかある?」


 呟くようにそう尋ねると、金村は意外なように笑う。


「してるわけないだろ。退屈とは無縁の、いい人生だったよ」


 あいつはこういう時に嘘を吐かない。考えてみれば、昔から生き急いでいたような奴が後悔なんてするはずがないのだ。俺も同じように笑い、独り言を呟くように10年振りの会話を続けた。この際、生きていても死んでいてもよかった。久しぶりの再会に、話したいことがたくさんあるのだから。


    *    *    *


 水面に反射する陽光が川を染め、列車は揺れながらトンネルに入っていく。俺の目の前に座っていたはずの金村は、気付けば煙のように消えていた。

 未練があったすれば、俺の方だったのかもしれない。別れてから忘れる事だって出来たのに、俺は記憶を形に残る形で抱え続けていた。10年ぶりの帰郷は、それをより克明に想起させたのだ。


「墓まで待てずに会いにきたなら、もうちょっと居てもよかっただろ……? 全部早いんだよ、馬鹿」


 あいつの背中を、今も追っていたのかもしれない。どんどん離れていく様子に一度は諦め、いつの間にか逃げ切られていた後悔が重くのしかかる。あの日喧嘩別れしなければ、あいつの生涯を近くで見ることができたのかもしれないのに。


「……“たられば”だな、これも」


 後悔を抱えながら、鈍行の列車はゆっくりと進んでいく。あいつを忘れるための旅は、まだ終点まで到着しないようだ。

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