無明が辻・五

 月面都市ミズホと、隣の都市であるカグラの間には街道が引かれている。細くも長いその街道を一歩外れた先に広がるのは、砂漠よりも尚白い、ざらつく荒野だった。

 道が細く感じるのも、ただただ荒野があまりに広大で寂寥としているからこそ。まるで地獄にたらされた、蜘蛛の糸のような対比がそう見せている。

 月庭菜園社の六輪輸送車が、その細い道を走っていた。六輪輸送車を先頭にして、連結した複数のコンテナを引く様は、輸送車というより列車のそれに近い。

 ミズホを出てから、カグラに到着するまでの時間は一時間。そして今はちょうどその中間地点といった所。

 時雨はそんな事を、まるで繭に包まれて眠っているような感覚の中で知覚していた。

 待機状態の殲刀機内部で侍が受け取る情報の感覚は、そのようなものである。

 護衛とは言っても、当然のことながら殲刀機を起動して随伴して行動するようなことは無い。こうして待機状態で、やってくる情報を受け取りながら、待つ。

 こうして随行するのも、既に三度目だ。

 さすがに毎度毎度丁寧に辻斬りが襲ってくるわけでは当然無く、今までの輸送で異常が起こった事はない。

 ――さて……

 今日はどうだろうか。時雨はそう考える。

 来るか、来ないか――考えると、なんとなく心が浮き立ってくる。

 まるで恋する相手を待っているかのような心持ちだ。いつか来る、必ず来る。早く来て欲しい。

 対手の技は、セレナアルテカの殲刀機カタナに残されていたデータで、少しだけ見ている。

 思い返すだけでも、背筋に悪寒が走る、凄まじい絶技だ。

 初見であれと打ち合って、生きて帰ってくるのは難しいだろう。殺人刀たる剣の道において、そのような、初見での解答が困難な札を一枚持って、それを押し付けていくのは、正しい有り様だ。

 刀を取って立ち会うとは、即ち殺し合いであり、相対したならどちらかが命を落とす。つまり、二度目に相対することは本来有り得ない。

 一撃必殺の絶技を一つ持つことこそ、剣士、剣客の有り様として正しい。

 ならば、あの辻斬りは真の剣客であると言えるだろう。

 そんな事を考えてしまうと、疼く。

 時雨の心のなかに飼っている、ろくでもない何かが疼いてしまう。

 ――ああ。

 心中で――或いは、殲刀機カタナと一体となった電子情報の流れの中で、時雨は身をすくめるような感覚となってそれを抑え込む。

 しかし、その程度でこの感覚を抑え込むことが出来るものか。

 出来ているのならば、時雨はこんなところには居ないのだから。

 ハロルドの言うことは、間違っていないのだろう。

 と――

 警告が、時雨の思考に痺れにも似た感覚として流れる。殲刀機カタナ観測器センサーが、高速で接近する不明機の存在を感知したのだ。

 直様、不明機の観測結果を映像として持ってこさせる。

 その姿を認識して、時雨はその身が跳ね上がりそうになるのを感じた。

 ――来た。

 セレナアルテカの殲刀機カタナに残されていた映像データと同じ、傘を被ったような漆黒の殲刀機カタナ――辻斬りだ。

 脚部を動かすことの無い、走行ならぬスラスター噴射により、高速で月面の白い荒れ地を疾走している。

 そわそわとした気分を一息で――少なくとも表層的には――落ち着けて、時雨は己の殲刀機カタナを駆動させた。

 

 輸送車に迫る殲刀機カタナが、月面に影を落とす――いや、全身が漆黒の月硝子ムーングラスで出来た機体は、それ自体が影そのものであるかのようだった。

 漆黒の殲刀機カタナ、その号は無明。

 数日前、セレナアルテカの輸送車に襲いかかった辻斬りの機体そのものだ。

 その接近を感知してか、列車のように連なった輸送車のコンテナの一つが、天井を開けた。

 天に向かって観音開きに開いたコンテナから、立ち上がるものが有る。

 それは白い殲刀機カタナだった。

 偶然にもそれは無明と対比するように全身の装甲が半透明で白い月硝子ムーングラスであり、その一部には刃の通りを悪くするための切子細工が施されている。

 特徴的なのは、頭部に鹿の角のような飾りが施されている所だろうか。

 無明の侍は預かり知らぬ事だが、この殲刀機カタナは時雨の機体であり、その号を鹿角兎ジャッカロープという。

「護衛か」

 広帯域の通信を放ちながら、好都合――と、考え、無明は足を止めた。

 先日の赤い殲刀機カタナは味も素っ気もないものだったが――此度の白い殲刀機カタナはどうだろうか。

「どうも、護衛です」

 出てきた白い殲刀機カタナ――鹿角兎ジャッカロープから、そう通信が返ってくる。

 声から、相手は若い男だと無明は認識した。自分とは似ても似つかぬわけだが、そんなものは業前とは何の関係もない。さて、この男にどの程度の技があったものだろうか――そう考えながら、無明は刀に手を添えた。

「ならば、話は聞いていよう」

「聞いては居ますが、一応確認を、と。ついでに聞きますけど、止めておきません?」

「止めぬ」

 無明によって排泄された言葉に、時雨は再度問う。

「えーっと、ご家族とか悲しまれませんかねこういうの」

「くく……」

 思わず、笑いが漏れた。家族、家族と来たか。

「あれ、なにかおかしいこと言いましたかね……?」

「いや何、久方ぶりに自分が木の股から生まれ出たわけじゃあないことを思い出しただけさ」

「それはまた、なんとも……では、何が目的でこんな事を?」

「知れたことさね」

 刀を握る。

 殲刀機カタナ越しとはいえ、刀を手の内に収める感覚は変わることはない。

 人を殺すためだけに鍛え上げられた、最も鋭く、最も美しいものを、手中に収めている高揚感。それは、世界をこの手に握っているかのような恍惚に通じるものが有る。

 刀を握った自分は、対手の生殺与奪を握る絶対者に近いのだ。

 刀とはそれであり、刀を振るう武芸とはそれだ。

 それを解せぬようでは――

 だから、言った。

「武芸に身を置き、武芸に全てを捧げた。ならば――それを振るわずしてどうする?」

「なるほど、一理有る」

 若い男はそう返答してきた。

 理解が有る。いや、この時代にあえて剣を握るとなれば、即ちそういう事なのだろう。そんな認識が有るのは、無明ばかりではない。

「ならば、抜け」

「そうさせてもらいます」

 若い男の言葉とともに、白い機体は抜刀。その構えは、刀を正面に構える正眼。斬るにも突くにも適した構えだ。

 一方の無明は納刀。

 二機は距離を開けたまま静止した。その間に、輸送車は都市間の移動を再開していた。無明は追わない。輸送車の物資を奪うのが目的ではない、今この瞬間こそが、無明の目的であり、無明の全てだからだ。

 互いの距離は刀が届くものではない。

 どちらかが、仕掛ける必要がある。

 無明は動かない。いや、動くつもりがない。

 構えを見て、白い機体の侍はそれを理解したらしい。

「ではこちらから」

 足元に置くような静かさで言葉を落とすと、白い機体が疾走った。

 ――かかった。

 無明の技は居合だ。自分から攻撃を仕掛けていく辻斬りをしておきながら、その本質は後の先狙いの待ちである。

 無明が繰り出すのは、殲刀機カタナ感覚器センサーですら認識不能な高速の居合抜きだ。

 本来、居合とは剣速自体の高速を誇る斬撃ではない。

 刀を鞘に収めた状態から抜く動作と、刀を相手に振るう動作を一つのものとして行うため、動作の省略が起こった結果、納刀状態から先に相手を切り倒せるというだけである。

 刀を抜いてしまえる余裕があるのなら、正眼に構え一直線に打ち込むだけのほうが、当然剣速自体は速い。

 だが、殲刀機カタナにおいて――無明というこの機体において、その常識は瓦解する。

 無明の居合は、振り下ろしより速い。正に有り得ざる秘剣である。

 その秘密は鞘に有る。

 この鞘はその内部に小型の斥力生成機関を有しているのだ。

 抜き打ちと同時に斥力生成機関を駆動させ、斥力を生成することにより、その反発によって剣速を倍加させる。

 無論、ただ刃と鞘を反発させるだけでは、刃を銃弾の如く撃ち出すのとなんら変わりはない。

 そこに殲刀機カタナの膂力を加えつつ、反発によって飛び出していく刀を制御する。これを同時にこなす技量が有ってこそ、ただの武装が絶技――魔剣へと変貌するのである。

 これぞ、魔剣・無明新月。

 白い殲刀機カタナが、ゆるりと距離を詰めてくる。

 無明新月の間合いまであと僅か。

 鯉口を切るセーフティリリース斥力生成クリエイトリパルジョン

 白い殲刀機カタナが間合いに入る。

 抜剣――

 ――それよりも早く、無明の視覚センサーから白い殲刀機カタナが消失した。

 高速の居合――魔剣・無明新月が虚空を疾走る。その牙が、獲物を捉えることはない。

 ――一体どういう――?

 疑問はわずかの間のみ、老婆は即座に回答を得る。

 上。

 白い機体は膝を使わず、脚部のスラスターのみで無拍子の跳躍を行ったのだ。

 だがそれは――

 ――愚かな!

 無明はせせら笑った。

 月の重力は地球の六分の一に過ぎず、落下速度も相応の鈍さになる。

 即ち、一度跳んだが最後、殲刀機カタナは長いこと上空に留まることになってしまうという事を意味している。

 故に、月面機動戦闘ムーンサーフェス・コンバットは、地に足を着けた二次元戦闘がその基礎とされるのだが――

 ――素人ヌーブが!

 そう考えて、頭上へを視覚センサーを向ける。

 だが――

「何故、居ない」

 視線の先には白い殲刀機カタナの姿はなく、その疑問が無明の最期の思考となった。

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