鹿角兎魔剣抄

下降現状

無明が辻

無明が辻・一

 月面都市間の連絡通路を挟み、二機の人型機械――殲刀機カタナが向かい合っていた。

 一方は透明度の高い緋色、もう一方は光を通さぬ漆黒の機体であり、その色を作るのは月硝子ムーングラスの装甲だ。

 月硝子ムーングラスとは月面由来の物質を用いて製造された硝子の総称であり、配合する物質によって色や透明度、強度が自在に変化する。

 その都合上、月面において月硝子ムーングラスは兵器から建造物、食器に至るまで様々な物質に使用されている。殲刀機の装甲もその例外ではない。

 緋の機体は差した刀を抜き、大きく上段に構えている。

 宇宙や月面において、使用される武器は刀剣を含む白兵戦用のものに限られる。正確に言うならば、宙間兵器法によって宇宙空間及び月面で使用可能な銃砲は製造すらされていない。周辺被害やスペースデブリを生み出さないためだ。

 対して、漆黒の機体は刀を抜く事無く、その手を柄に添えている。

 これは即ち、居合――抜刀術の構えである。

 緋の機体は、企業に雇われた護衛の殲刀機カタナだ。輸送用車両の伴であったが、その車両はもう先に行ってしまっている。いや、先に行かせたのだ。

 緋色の殲刀機カタナ、その号はスカーレッド。

 そして漆黒の機体は、輸送車両に向かってきた襲撃者――即ち、辻斬りであった。

 辻斬りの機体は、まるで頭笠かレドームのような、大きな皿のような頭部形状をしていた。そして、その笠には漢字でこのように表記されている。

 無明。

 名乗りをしたわけではないが、それがこの殲刀機カタナの号――或いは殲刀機カタナを駆る侍本人を指す名であるのは、明確であった。

 二機は双方、一触即発の気を発していた。

 剣光が疾走れば、片方が――或いは、両方が斃れる。

 その事を双方が理解しているから、軽々には動かない。間合いを測り、仕掛ける機を測り合う事となる。

 漆黒の機体・無明は、不動――死地の殺気が嵐のように吹き荒れている中で、海の大岩のようにその影響を受けていない。

 対して緋の機体、スカーレッドは、じり、じりと摺足で距離を詰めていた。

 殲刀機カタナの脚部は、無重力作業用機械だった頃の名残として、推進機の殆どを脚部に詰め込んでおり、結果として袴を穿いたかのように末端に向けて肥大化している。

 その詰め込まれた推進機構を使わず、スカーレッドは足捌きでゆっくりと間合いを詰めているのだった。

 永劫と刹那を合わせ持った間が流れた。

 と――

 スカーレッドの足が、僅かに上がった。

 それは摺足とは異なる足運びの起こりだ。

 瞬間、スカーレッドの足裏が爆裂した。

 月の大地を構成する白い斜長岩が噴射で砕けて、空中にふわりと舞う。

 推進機構――スラスターを使った踏み込みだ。

 月面戦闘においては、殲刀機カタナは平面移動のみを行うのが基本である。立体移動――即ち跳躍を行った場合、地球の六分の一という低重力しか無い月面では、その落下は酷く緩慢なものになり、そこを狙い撃つのは容易であるからだ。

 故に、スラスターも平面移動――主に、間合いの制御に利用される。

 その速度をもって瞬間的に間合いに入り、それと同時に刀を振り下ろす――単純にして強力、必殺の戦術である。

 上段の構えからの振り下ろしは、当然速い。

 これを抜刀術で迎撃することは本来不可能な速度である。

 必然、無明は頭部から股まで真っ二つになる――筈だ。

 だが――

 スカーレッドの踏み込み。

 無明との交錯。

 それが起こって尚、剣光は月面に煌めくことは無かった。

 無明は切り上げの姿勢で硬直し、スカーレッドの上半身は、何かに弾かれた独楽のように、空中をくるくると回りながら飛んでいる。

 これ即ち、スカーレッドが無明の抜刀術で斬り捨てられ、上段の構えから刃を下ろし終えることが出来なかった――という事を意味していた。

「踏み込みが、微温いわ」

 老婆の声が、残った一気の殲刀機カタナから漏れる。

 無明が繰り出したのは、上段振り下ろしよりも速い、神速の抜刀術。

 魔剣――

 それは、そう称する他無い絶技であった。

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